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映画『ルート181』を作ったユダヤ人・パレスチナ人 二人の監督

長編ドキュメンタリー映画『ルート181』はユダヤ人とパレスチナ人2人の監督がお互いのエゴを乗り越え、『共生』というひとつのプロジェクトを共有することによって作成されました。この二人はイスラエルでもパレスチナでも例外的な人物であり、二人の考えは机上の理想主義と思われるかもしれません。しかしいつの世も理想を掲げる者は極々少数です。なかなか理解されないものです。しかし彼ら(私たち)が歴史を作っていくのです。

今、ガザで虐殺され、苦しんでいる人々をどうする気だ、というご意見もあると思います。できることはありませんが、もちろんイスラエルには抗議します。しかし、この二人が語る理想がなくてパレスチナ問題が解決することはないと思います。

映画『ルート181』を作ったユダヤ人・パレスチナ人 二人の監督

 『ルート181』という4時間半にわたる長編ドキュメンタリー映画があります。パレスチナ人ミシェル・クレイフィとユダヤ人エイアル・シヴァンという2人の監督が共同で制作したもので、1947年の国連決議で採択された、いまは幻のパレスチナ分割線を『ルート181』と名づけ、車でたどり、現イスラエルの各地で出会う人々の声に耳を傾けるという作品だそうです。上映された機会が少なく、私は見ていませんが、2005年10月に東京での上映会を企画したNPO法人『前夜』が作ったパンフレットを読みました。徐京植さん、清末愛砂さん、高橋哲哉さん、鵜飼哲さんが著者です。

 鵜飼哲さんによると、パレスチナ人監督ミシェル・クレイフィの「ミシェル」という名前はアラブ人としてありきたりではなく、聖書の天使の名前で、つまりこの監督はキリスト教徒だということです。パレスチナの解放が、同時にイスラエル人の解放につながるような解放のあり方とは何かということが常に彼の関心の中心を占めていたそうです。ミシェル・クレイフィはパレスチナを代表しているわけではなく、パレスチナ人としてとても例外的な人であり、またもう一人の監督イスラエル人のエイアル・シヴァンももう一度ユダヤ人国家を手放した方がユダヤ人にとって良いと主張している本当に例外的なユダヤ人だそうです。

 この2人が対談でこんなことを言っています。

 2人が一緒に映画を撮ったことについて、クレイフィは、この映画にはパレスチナ人が見たパレスチナ、イスラエル人がみたイスラエルといった主観的視点はなく、2人が試みたのは、互いの差異を乗り越え、両者の思想、分析、政治的視点をひとつにして映画を撮ることで、この作品が存在するのは、互いの属性ではなく、共通するプロジェクトがあったからだと言っています。

 シヴァンは、自ら選択したのではないアイデンティティ(私たちは生まれる場所を選べません)を否認することなくどうやって乗り越えることができるかという問いを提起し、この映画は「イスラエル人とパレスチナ人が一緒に映画を撮り、平和への道を模索している」などといった欺瞞的なものではなく、政治闘争だと言います。反植民地主義のイスラエル人と進歩的なパレスチナ人は一緒に同盟を組んだほうがより強いからです。シヴァンはクレイフィと一定のあいだ共に生活することで、「植民地支配を受けること」がどれほど身体や記録、態度に刻み込まれているかを知り、クレイフィもイスラエル人について学んだと思うと言っています。互いにエゴを乗り越えられたのは、お互いに尊重し合い、また政治的状況に直面するという困難を尊重することを学んだからだと言っています。

 クレイフィはインティファーダについて「私の答えは簡単です。暴力には反対です」と言います。そしてこのように続けます。「人々に説教する気はありません。ただ自分の考えを述べるだけです。武器を持って立ち上がった人々を尊重します。第一次、第二次インティファーダで皆のために闘った人のことも尊重しますし、理解できます。しかし、その場合、私は同時にイスラエル軍のことも理解しなければならなくなる。戦争とは、複雑な、人間の病とも言うべき状況です。非暴力的であること、また、その立場を受け入れ、引き受けること。それによって私は大きな力と行動の可能性を獲得し、映画を撮り、パレスチナのイメージや経験を世界に提示するのです」。

 一方シヴァンはシオニズムに未来はないと言います。「排除」のシステムであるシオニズムのもとで平和に暮らすことは不可能で、植民地制度やシオニズムエネルギーから生まれた「イスラエル性」を、シオニズムから解放して存在させるにはどうすべきか、これこそが「ユダヤ人」国家ではなく、「ユダヤ人」と「パレスチナ人」からなる新しい国民国家の挑戦だと言います。そして二民族一国家という考え方こそが非宗教的民主国家への第一歩だと言います。

 クレイフィは世界中で民族が混交し、「血統主義」から「出生地主義」への移行が見られ、多民族主義が開花している21世紀の今日、19世紀に誕生したナショナリズムは病気のような存在だとし、変動する現在の世界には適していないと言います。そして19世紀的な発想をする過激派パレスチナ人も一部いるが、パレスチナ人が要求するのはネーションではなく、武器なしで他人と平等に暮らす権利だと言っています。ナショナリストに対して間違っているなどと言うつもりはなく、ナショナリズムの前に人間の当たり前の権利を尊重しなければならないのだと言いたいそうです。

 シヴァンは、世界がイスラエルに国際法を遵守させることをあきらめてしまったと指摘し、「ならず者」に法を守らせないと周囲に悪影響を及ぼすだけでなく、法自体が意味を失うと言っています。クレイフィはパレスチナの若者の「自爆攻撃」が非難されているが、責任はイスラエルとアメリカにあると言います。なぜならば彼らにはこの問題を解決する手段があり、国際法と国連の決議に従えば問題は解決可能だと言っています。

 最後に最も印象的な2人の言葉を記します。

 クレイフィ「私が闘うのは、パレスチナ人の権利やイスラエル人の権利のためだけではありません。人間がよりよく自然に生きるため、そして、異なる人々が交わって暮らす開かれた世界のためなのです。その上で、自らを民族や言語、宗教によって定義する集団があるなら、それは結構なことです。豊かさは、差異と複数性から生まれるのです」

 シヴァン「問題は『共生』が可能かどうかではなく、どのように『共生』していくか。イスラエル人とパレスチナ人は、互いの意思は別にして、同じ土地で暮らさなければならない運命にある。そして、この『共生』とは、文化的な闘争や抵抗、権利の認知への闘い、平等のための闘い、文化的同盟、人道的同盟などを通して、一つのプロジェクトを共有することなのです。このプロジェクトとは、人々がそれによって未来を再び見出すことができる、そのような政治的計画のことです」

参考資料:「パレスチナと私たち」(映画『ルート181―パレスチナ~イスラエルへの旅の断章』東京特別上映 プレ講演会記録集)(季刊『前夜』編集委員会編)
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by lumokurago | 2009-02-05 11:41 | JANJAN記事
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