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「経済成長がなければ私たちは豊かになれないのだろうか」その3

国家は国民を守ってくれない

ダグラス・ラミスさんの本の要約です。

交戦権は、近代国家の基本的な性格にもつながっている権利です。近代国家の定義として政治学の主流の中でかなり定着しているマックス・ウェーバーによると、近代国家の本質は「正当な暴力」の独占を握る組織であるということです。この「正当な暴力」には3種類あり、警察権、処罰権、そして交戦権です。すでに話したように、これは戦争なら、そして戦争法に従うならば、ひとを殺すことができるという権利です。個人が同じ行為をした場合と違って、それをしたのが国家だと、なにかショックを感じなくなっているということは、そこには国家の魔法が働いているとしか思えません。

そのからくりがどのように機能しているかはとても分かりにくいので、なぜ私たちが国家に、そういう「正当な暴力」を使う権利を与えたのかを考えてみます。それは国家がそれを使って私たちを守ってくれるという期待があったからです。この論理が一番明確に出ているのが17世紀、イギリスのトマス・ホッブズが書いた『リヴァイアサン』という本だと思います。つまり、国家がなければ「万人と万人の闘争」、個人と個人のあいだの暴力が支配する世の中になるだろう、だから個人の暴力の権利を政府に持たせれば、政府が代わりに社会の安全を保障してくれるだろうという期待です。ホッブズの論理は正当な暴力を独占する国家を作れば、社会は安全になるという仮説です。

20世紀のはじめまでは「正当な暴力」を独占している近代国家の数はまだ少なかったけれど、今では国連に入っている国家の数は180数カ国になり、「正当な暴力」を独占する国家のもとに住んでいない人間はほとんど残っていないと思います。そういう意味で、20世紀はホッブズ理論の大実験と考えられる。この100年を振り返ってみるとどうだろうか。

結果ははっきりしています。20世紀ほど暴力によって殺された人間の数の多かった100年間は人類の歴史にはありません。そして誰がもっとも多く人を殺しているかというと、マフィアでもやくざでもない国家です。ハワイ大学のランメルという学者の書いた『政府による死』という本によれば、この100年で国家によって殺された人の数は二億人にのぼります。ナチス・ドイツなどを除いたとしても、すさまじい数、恐ろしい統計であることに変わりはありません。

もう一つ驚くことがあります。それは、国家は誰を殺しているかということです。もしも殺されているのがほとんど外国人であるとしたら、これが恐ろしい統計であるとしても、とにかく国家は自分の国民との最初の約束を守ろうとしているわけです。ところが、殺されているのは外国人よりも自国民のほうが圧倒的に多いのです。

ランメルによれば、先の国家によって殺された約二億人のうち、約一億三千万人が自国民だそうです。

今の世界にも自分の国民しか殺さない軍隊を持っている国家はたくさんあります。フィリピンの軍隊は第二次世界大戦以来、外国人と戦ったことは一度もないけれど、フィリピン人をたくさん殺している。インドネシア政府は「東ティモールの人たちはインドネシア人だ」と主張しながら殺していました。メキシコ人に聞いた話でも、メキシコになぜ軍隊があるのかと言えば、アメリカと戦争すればメキシコの軍隊は何の役にも立たないと言います。メキシコ人自身と戦争しているのです。例えば先住民との紛争で。

日本の他にもう一つ平和憲法を持っている国コスタ・リカの憲法も同じように軍事力を持たないと規定しているのですが、その成立の事情は日本の平和憲法とはまったく違う。コスタ・リカは誰かを侵略して、戦争に負けて反省したという歴史はありません。中南米の歴史が、軍部を作ればすぐに軍事クーデターを起こし、独裁政権を作ることの繰り返しだったため、軍部を作れば国民をいじめるに決まっている、政府の国民に対する暴力を制限するために平和憲法を作ったのです。

20世紀は戦争の世紀だったけれども、最も多く人が殺された戦争は、国家間の戦争ではなく、国家と自国民のあいだの長い戦争だったのです。そして国家が殺したという二億人のほとんどが戦闘員ではありません。ランメルはデモサイド(democide)という造語を作りました。それは政府がわざと非武装の人々を殺すという意味です。デモサイドは戦争で敵の軍隊を殺すという、国際法で許された「正当な暴力」と違って、政府による明らかな殺人です。和訳として「民殺」が当たるかもしれません。ランメルによると国家に殺された二億人のうち、「正当な戦死」は約3400万人ですが、国家による民殺は1億7000万人、約5倍にものぼります。

つづく

その2はこちらです。

その1はこちら。
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by lumokurago | 2009-02-06 17:24 | 本(book)
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