暗川  


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「格差と貧困」テーマに暉峻淑子さんが講演

「格差と貧困」テーマに暉峻淑子さんが講演

 3月10日、東都生協社会委員会主催で暉峻淑子(てるおかいつこ)さん(埼玉大学名誉教授)の講演会が開かれました。暉峻さんは経済学者で『豊さとは何か』(岩波新書)『豊かさへ もうひとつの道』(かもがわ出版)など多数の著書があります。演題は「格差と貧困と社会不安」です。お話を要約して報告します。

人間はそんなに違わない

 小泉元首相は格差社会を「何が悪い」と開き直っていますが、私は格差社会はよくないと思っています。ホームレスは自己責任で本人が悪いのだ、という考えを知らず知らずに持っている人が多いと思います。お気の毒とは思うが、自分とは関係ない、彼らは特別だと思う、心にしみこんだ差別観があります。自分は勉強もしたし、きちんと就職もしたと優越感を持ち、「差別される側」ではないと思っています。

 北朝鮮では金正日は独裁者ですが、社会が少し変われば日本だってそうなります。実際に戦争中には毎日学校で宮城拝礼を行い、天皇の写真に最敬礼してから教室に入っていました。鬼畜米英と教えられ、米英は同じ人間ではない、とさんざん植えつけられました。拉致をして、どうしようもない国であっても、人間としては同じです。洗脳されて人間らしさを失っていますが、体制が変われば変わるのが人間です。敗戦後、先生たちは何もかも掌を返したように変わりました。原爆投下後の広島でも、少ししたら悲惨さに慣れてしまったし、アブグレイブ刑務所での拷問にしても、あの場に入ってしまえば「異常」とは思わないのです。戦争中、虐殺を行った兵士も家に帰れば普通のお父さん、おじさんです。北朝鮮もイラクもホームレスも、人間はそんなに違わないのです。

 イラク戦争でブッシュ元大統領がフセインは特別に悪い奴だと言うと、みんなそう思ってしまいます。アメリカ人の8割以上がイラク戦争に賛成しました。しかし、ジャーナリストのヘレン・トーマスさんは「なぜブッシュ大統領は罪のないイラクの人々に爆弾を落としたいのですか?」と質問しました。ペロシ下院議員も罪なき人々を殺すことになる、と反対しました。

 イラクの子どもは殺していいとするのは差別です。差別を容認するから戦争になるのです。北朝鮮がミサイルを発射するからやっつけていいとするのも差別です。もちろんミサイル発射は悪いことですが、四方八方から非難されたら「窮鼠猫を噛む」の状態になります。武力には武力で返ってくるので、やっつけるのではなくパイプを作っていくことが大事だと思います。飢えている国民が自分で気づき、中から変えていくことがなければ、変えられないと思います。自分の心の中に差別意識があるのではないか?と考えてみることが大事です。

 中世のヨーロッパでは、ペストの大流行が何度も起きましたが、ペストは金持ちも襲ったので、「私はそうならない」というのは間違いで、他人の不幸は自分の不幸と分かり、みんなが伝染病から解放されなければ、自分も危ないと気づきました。

 『火垂るの墓』(野坂昭如著)に、妹がビー玉をしゃぶっているのを見て、兄が飴玉を盗む場面があります。生きるためには、人は何でもやるのであって、そういう境遇になっていないからやっていないだけのことなのです。

 私はコソボ支援で、アルバニア人とセルビア人の子どもを日本に呼び、合宿を行っています。子どもたちは音楽やスポーツなどを通じて交流し、相手のことを「なんだ、当たり前の普通の人間か」と理解し、差別意識から解放されていきます。また、日本を知って、自分の国とは違うやり方の国があり、自分の国のやり方が絶対ではないということを知ります。

 成人式で「立派な社会人になります」とか言いますが、「社会人」とは何でしょう? ドイツは4分の1が移民で、スウェーデンではもっと多くいます。移民の社会と移民でない社会が分かれています。しかし、ドイツ人として統一しようとしています。ドイツに行った時、排除されている人を社会の中に包含するのが社会人だと言われました。日本人に「社会人とは何か?」と聞くとよく「自分で食べていくこと」と言いますね。ドイツとは全然違います。

格差と分裂

 月収40万の人と月収8万の人が同じ考えを持つということはあり得ません。戦争が起これば特需が起こり、兵士として雇われる、日本は敗戦で改革されたから、もう1回負ければまともになる、だから戦争は希望だと言った人がいます。これは本気ではなく、センセーショナルに言っているのだと思いますが、平穏な暮らしをしている人は「とんでもない」と言う。9条改憲反対運動をやっている人は平穏な暮らしをしています。戦争は希望だ、という言い方は生活の中から出てきた叫びだから、説得がむずかしいし、双方が合意に達することはないでしょう。同じく、年金を払ってきた人は制度を維持したいと言いますが、掛け金を払うどころではない人は、くそくらえと思っています。国論が分かれ、みんなにとって不幸な形で出てきます。

 格差社会とは、社会が病んでいるということです。生活保護家庭の6~7割は親も生活保護を受けていました。子どもは塾にも行けず、教育を受けられず、健康上も栄養もよくなかったので、社会に入れずということで、それを繰り返しています。「ニート」の子は生活保護家庭に非常に多いのです。みんな、めちゃくちゃに競争して上にあがろうとしますが、彼らはついていけず、親にも言えず、絶望しています。そしてまた、生活保護を受けることになります。少子化の大もとは、結婚して子どもを産むだけの給与がないことであり、格差社会は再生産されていくのです。

 外国に行くと、物乞いの人がたくさんいます。日本ではまだプライドがあって、物乞いする人はおらず、一人寂しく死んでしまいます。「自己責任」という意識が、差別される側にもまだあるのです。ホームレスは努力してこないからこうなったのだ、と思うようになれば、ホームレスを自分とは違う人として見るようになります。差別を受けた側は戦争でも犯罪でもいい。ここから這い上がりたいと思うのです。一番悪いのは、同じ人間だと思わない考え方なのです。

 人間社会の維持のためには、コミュニケーション能力が一番大切なのに、あらゆるところでコミュニケーション能力がないと嘆いています。口で言うのはわずらわしく、隣の人とメールで話している状況です。これでは人と人とが通じ合う、助けあうということができません。

 学校教育は競争ばかりで、いまさら嘆いても仕方ないけれど、衰退する一方です。三浦朱門さんの「できんものはできんままでけっこう」という言葉が象徴するように、財界がそれを要求しているからです。塾やエリート校に通えるのは、収入の多い家庭の子どもだけ。でも、人間相手の事柄は数値化できないのです。子どもは数値化すればするほど、格差が出てきます。これは子どもにとって不幸な教育で、子どもの人権を考えていません。

 コミュニケーション能力は、点数で競い合うところから離れたところで養われるものです。先進国では、生徒を学校から早く返していますが、日本の子どもは遅くまで学校にいさせられ、本当の能力は落ちるばかりです。日本では「もし~があれば」という例文を作らせると画一的な文章しか出てきませんが、インドではアッと思うものが出てきます。インドのIT産業の秘密は、多様性を維持していることが強みとなっていると思います。日本はこのままでは創造的な能力が求められる産業から脱落していきます。

国民の責任

 ドイツでは失業保険が二つあって、まず、あの手この手で基本的生活ができるように国が保障しています。その期間が切れても仕事がない人には職業訓練があり、仕事を国が世話しなければなりません。日本では、企業は「ハケン」には掛けるのが当たり前の保険も、掛けていません。ワークシェアリングと言っていますが、株主、企業側もそこに入らなければおかしいのです。雇っている側と雇われている側でシェアすべきです。その分配率が変わったから、この状態になってきたのです。

 すべては政治の問題です。わざわざ格差を広げる税制へと変えてきているのです。国民は政治家を見極める力もないし、だいたい選挙にも行きません。「自分が選挙に行ってもどうせ変わらない」という人に「あなたは何をしたの?」と聞いてみたい。福祉社会を維持するためには、国民にもそれなりの責任があるのです。たくさんの人がひどい目に遭っているということは、国民の力が足りないということです。一人一人がしっかりしなければ社会は変わりません。
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by lumokurago | 2009-03-20 12:26 | JANJAN記事
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