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がんと闘わない生き方(3)手術と放射線治療

がんと闘わない生き方(3)手術と放射線治療

 軽いくりぬき手術と担当医の意見が違うホルモン療法

 術前化学療法のCMF4クール後、7月28日に温存療法(がんの部分だけくりぬく)で手術を受けました。とても軽い手術で、麻酔が覚めても痛みもなく、夜には5分がゆが出、全部食べました。翌日、CMF5クール目の点滴。3日目からは外出、シャワーOK、伊東まで海を見に行きました。4日目に病理検査の結果が出るので、病理の結果を聞いて退院でした。がんは抗がん剤で2cmに縮んでおり、残ったがんも弱っていて、完全に消えたところまではいかないが抗がん剤が比較的よく効いたとのこと、ホルモン剤が効くおとなしいタイプということでした。

 乳がんにはホルモン依存性のがんとそうでないものがあります。それはがん細胞を調べればわかります。ホルモン依存性のがんにはホルモンレセプターがあり、そこに女性ホルモンがとりついて(鍵と鍵穴のような関係)、がんを成長させるのです。そこでホルモンレセプターに女性ホルモンが取りつく前に別なものを取りつかせ、がんの成長を抑えるのがホルモン剤(タモキシフェン)です。

 CMF5クールが終わって、A医師はホルモン療法に切り替えようと言い、タモキシフェンを飲み始めましたが、その後近藤医師は子宮がんが増えるなどの副作用があるためあまり勧めないと言い、自分で決めなさいと言いました。担当医二人の意見が違うので、ちょっと迷いましたが、飲み忘れることが多かったので、自分の無意識が薬を必要としていないのだと判断し、飲まないことにしました。心配症のA医師はその後も「飲んでよ」と言っていましたが、私が「飲み忘れるから」と言ったら、「じゃあ、再発の時にとっておこう」と言いました。

 話は戻りますが、傷にはテープが貼ってあるだけで、一度も消毒せず、退院の翌日放射線治療のために慶応病院に行った時、近藤先生が「まだ貼ってあったの」と言ってはがしました。(注:常識である「傷といえば消毒」は逆効果です。自分の体液が傷を治すので、子どもの怪我などは土などで汚れていれば水で洗い、何もつけず、サランラップなどで覆っておくのがよい。また、術後、抗生剤を何日も使う医師が多いが、これは不要で、術中に1回の点滴が世界の標準治療。抗生剤の濫用が抗生剤に耐性のある菌を作り出している。日本の病院のほとんどは抗生剤耐性菌(ex.MRSA)に汚染されており、しかも耐性菌はどんどん進化している。ついでに言うと、患部の剃毛は不要です)。

 5日間の入院で、退院しました。私の場合は、手術で切った断面にがん細胞がなかった(断端陰性という)けれど、断面にがん細胞が残っていれば(断端陽性)再手術を行う場合もあります。また、リンパ節を取った場合は入院がもう少し長くなります(A医師は、後遺症をできるだけ防ぐためにかくせいはせず、はれているリンパ節だけ取っていました。A医師ははれているリンパ節がなければ腋はいじらない方針でしたが、当時、普通の病院では治療成績は同等なのに転移がなくてもかくせいしていました。)。

他の病院から逃げてきた患者ばかりの近藤外来

 乳房温存療法では、がんの部分だけ手術でくり抜きますが、それ以外に乳房全体に微細ながん細胞が飛んでいる可能性があるので、それをたたくために放射線を照射します。月曜日から金曜日まで毎回2グレイ、それを5週行い、計25回で50グレイです。リンパ節を切除したり、リンパ節転移の可能性のある患者には腋の下にも放射線をかけます。私の場合は腋の下と鎖骨の上のリンパ節にもかけました。

 放射線治療に通っている間はとても楽しかったです。というのは毎日通っているうちに仲間ができたからです。O病院では入院していたのがたった5日ということと個室だったため、知りあった人はいませんでしたが、ここでは毎日会うので、仲良くなり、毎日一緒にお昼を食べ、それが25回続きました。この仲間とは10年目になる今でもつき合っています。

 それにしても彼女たちの話には驚くばかりでした。最初から近藤医師のところに来たのは私ひとりで、みんな他の病院で乳房を全部切ると言われて逃げてきたのです。本では読んでいましたが、いまだにこんなことがあるのか、まるでお話みたいだと思いました。中には前の病院に入院する前夜、偶然に偶然が重なって近藤医師の本を本屋で見つけて、徹夜で読んで、そのまま朝9時を待って近藤医師に電話し、本人が出てくれて、入院を断ってこちらに来たという人もいました。彼女は「普通、本を出すような先生は診てくれるかどうかわからないと思ってあきらめてしまうでしょ。本に電話番号が書いてあったから救われたのよ。それに本人が出てくれたから感激したわ」と言っていました。

 近藤医師の本には、近藤医師を訪ねて慶応病院に行ったのに、受付で乳がんなら外科だと言われ、慶応の外科に入院し、同じ慶応だから近藤医師もカルテを見てくれているのだろうと信じていたが、そうではないことがわかり夜逃げして放射線科に来たという人もいました。

 この時代(2000年)はまだまだ乳房温存療法を行っている病院は少なく、乳房を全部切り取ると言われた人が近藤医師のところに逃げてきていたのでした。それで、近藤医師の外来は混み合って大変でしたが、今では日本の温存率も50%を超え、近藤医師の外来も以前のように混み合うことはなくなりました。

乳がん患者の心理的回復の要因は? 

 放射線治療を受けている患者の中には慶応の外科で手術を受けた人たちもいました。こんなふうに書くのは申し訳ない気もするのですが、客観的に言えることなので、お許し願いたいと思います。近藤医師の患者たちはみな、すでに覚悟を決めて乳がんを乗り越え、よりよく生きることを決心し、とても明るいのですが、慶応の外科の患者さんたちは、まだがんにかかったショックを引きずっており、不安でいっぱいなのです。そしてあまりにも乳がんに対して知識がなく、自分がどんな治療を受けたのかも、なぜ放射線治療をしているのかも知らないのでした。自分が受けた抗がん剤の名前はおろか、抗がん剤治療を受けたこと自体を知らない人もいました。彼女たちは病理検査の結果も知らず、自分のがんの性質やステージも知らないので、担当医に質問するようにアドバイスしましたが、なかなか聞けないのです。当時、インフォームド・コンセントはまだまだ行われておらず、普通の患者は医師のいいなりであることがわかりました。

 乳房を切り取られることがいやで、何か別の方法がないものかと探したり、セカンドオピニオンを求めたり、乳がんの本を探したりして近藤医師の元に集まってきた患者たちは、初めに行った病院のいいなりにならず、自分でなんらかの行動を起こし、自分で勉強して、自分で治療法を決めたのです。そうやって知識を得たことと、治療法を自分で決めたことが乳がんに対する恐れを消し、明るく前向きに生きる気持ちを生み出したのです。

 私はこの時、筑波大学の社会人向け大学院(教育研究科カウンセリング専攻)の学生で修士論文を準備していました。なぜ大学院に行ったかというと、20年以上学童クラブという、家庭と学校の狭間で子どもたちをみていて、それまで見たこともなかったような子どもの登場に、当時すでに対応に苦慮していました。専門的な知識があればもっと何かできるのではないかと思ったのです。修士論文は子どもをテーマにするつもりでしたが、同じ乳がんにかかっても患者によって心理的な回復が全く違ってしまうということに気がつき、このことを調査することも乳がん患者として貴重だと思い、修士論文のテーマを「乳がん患者の心理的回復」に決めました。次回は修士論文の要約を掲載します。
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by lumokurago | 2009-04-03 14:53 | がんと闘わない生き方
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