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がんと闘わない生き方(6)患者インタビュー その2

がんと闘わない生き方(6)患者インタビュー その2

 【M.Cさん】
 年齢:43歳
 家族:夫、子ども3人、主婦
 手術:2000年7月  
 病期:3期
 手術法:乳房温存療法
 
Q:まず、発見からの経緯を簡単に話していただけますか?

A:発見してまず、かかりつけの内科医に行って、乳がんなどの検診を専門にやっている開業医を紹介され、そこでエコー(超音波検査)を撮って、N病院を紹介された。N病院で検査したけど、エコーの予約が1週間後、マンモグラフィ(乳房のレントゲン撮影)がまた1週間後、そのまた1週間後に細胞診で、その時点で私はあせり始めた。このお医者さんにまかせていたら検査だけで時間がかかってしまう。そして、句の果てにパッと手術が決まってしまうのではないかと。医者は何も説明してくれず、医者の思うままに治療されていくということが不安で、このままにしておいていいんだろうかと思った。

 そして結局、A先生のところに飛び込んでいった。その時は細胞診の結果が出ていなかったが、A先生はその日のうちにマンモとエコーをやってくれて、写真を見ながら90%以上、がんだと言った。細胞診の結果をもらってまた来るように言われた。そして前の先生のところに行ったら、やっぱり、がんですと言われた。その先生のことは全く信頼できなかった。

 細胞診の結果を持ってA先生のところへ行った。A先生に「Cさんが100人いれば5年後の生存率は、100人のCさんのうち60人は生き残る、40人はいないんだよ」って言われた。それは、結構ショックな言葉だったけど、はっきり言われたことでこの先生は信頼できると思った。「きみのがんは3期だ」と言われた。がんの大きさは6.5センチあって、この大きさで温存はできないから、とりあえずがんを叩く、抗がん剤を使い始めようと言われた。私もその大きさでは温存は考えられないし、全摘は覚悟してた。だから、先生の提案にいやがおうもなく飛びついた。

 それで4月11日に第1回目の抗がん剤を受けた。あまりひどい副作用もなく5月、6月が過ぎて、6月17日に3クールが終わって、先生が「これはいけるかな」と言った。リンパの怪しいグリグリも消えてるって。その前までは全摘が頭にこびりついてたから、取るなら全摘の方が安全かなと思っていた。でも、私も本を読んで温存療法のいい点が分かって、術後の生活に支障がないと聞いて、先生に「温存できますか」って聞いた。そしたら先生が「どうかなあ、わかんないけど、ま、やってみようかな」と言った。その時「あれ、MRI、君やってなかったっけ」と急に言い出して、「何でやんなかったのかなあ。オレ、忘れちゃったのかなあ」とか言って、それ聞いて「大丈夫かなあ、先生。いい先生ですごく優秀なんだけど、たくさん患者がいると忘れちゃうよね」とふっと思った。なにしろ患者が多すぎる。それで13日にエコーやって14日に手術しました。

 その結果、断端陽性(温存療法の“くりぬき法”というのは、がん細胞に正常細胞を少しつけて、くりぬき手術をするが、その切り口にがん細胞が発見されたことを「断端陽性」という。切り口にがん細胞があると、残した乳房にがん細胞がある可能性がある。通常、再切除するか放射線治療にかけるかの選択となる)で、再切除するかどうかで迷った。このまま終わらせる人も結構いるけど、再切除すれば再発率は14%が3%に減るって言われて、いろいろ悩んだけど、することに決めた。でも病理の説明の時に、がん細胞が3つだったと聞いた時はがっくり来た。先生も「いらなかったかなあ」と言っていた。先生は何も隠さない。全部オープン。アラーと思ったけど、まあしょうがないかと。

Q:逆に3個しかなかったって分かって、ホッとする部分ってあるでしょ?

A:正直いって、これでもう大丈夫って。私はこれでもうがん細胞とはおさらばしたんだという。先生、心配だから、たぶんがん細胞は死んでるだろうけど、一番太ってるリンパ節も一個取ったんですって。そしたら、それにがんはなかったよって。ただ、それにがんはなかったからって他のリンパ節にないという保障はどこにもなくて、我々が間違えたって可能性もあるって。全部包み隠さず話してくれる。これからまた再発があったとしても、父の時のように医者を恨んで恨んで恨みぬくなんてことがないだけ、よかった。

Q:自分の心理的な回復の過程をグラフに描いていただけますか?

A:告知の時が最悪。A先生の顔を見たら安心した。抗がん剤の時は治療されてるから嬉しかった。手術はA先生にまかせれば安心、っていうのがあった。放射線の時は笑いっぱなしだった。みんなと会えて楽しかった。療養の時はひとりになっちゃったのがちょっと。現在は普通。

Q:怒りとかあった? 何で私がとか?

A:発見の時はないね。検査の間は医者に対してあった。その後はない。A先生に対してはないし。療養の時に友だちに対してはあった。やっぱ、がんて、なってみないと分かんないんだなって。

Q:抑うつは?

A:抑うつはすごかった。退院する時は、まだ退院したくないっていう気持ちもあった。NさんがA先生は精神安定剤だって言ったけど、ほんとにそう。A先生のそばにいれば安心ていう気持ちはあった。放射線に行って、みんなと笑い合って、抑うつ状態は全くなくなった。私、がんになってかえって明るくなったって言われるの。

Q:私もそうだよ。そう思うよ。自分の感情の波になったきっかけのできごとは?

A:子どもの関係で付き合ってる人なんかが、がんのことを話すと最初は同情的で「できることがあったらなんでもやってあげる」と言っているのに、実際に頼むと断られたりして、「ああ」って思うようなことがあって、ほんとの付き合いじゃなかったんだと思った。

 逆に学生時代からの友だちはここ5年以上会ってないけど、何度も電話かけてくれて、「実は私、がんなんだ」と言ったら、群馬県から朝5時から車で来てくれて、ずっとそばにいてくれた。いてくれるだけで心強かった。手術の前に2回来てくれて、彼女自身もいろいろ問題抱えてるんだけど、その後も2回、3回と来てくれて、手製のお財布を縫ってくれて、手術の時持っててねってくれた。そういう友だちが一人はいたんだなって。がんになって落ち込んで、ほんとにバカなんだけど子どもたちに遺書、書いたの。それでだんだん、だんだん落ち着いた。それからA先生の明るさ。

Q:治療を選ぶ際に患者が参加することがQOLに影響するっていう研究がアメリカの方で盛んなんだけど、Cさんの場合自分はどのくらい治療の決定に参加したと思う?

A:私は最初に、延命してくださいって言っちゃったんですよ。先生は、こうしたら確率上がるよって言ってくれて、それ選んできたから、自分で選んだって言えるのかな。確率が上がる方に来たから。みんなみたいに抗がん剤を蹴ったりもしてないし。とにかく生き延びたい、生き延びたいで来ちゃったから。

Q:でも最初の医者は信用できないって思って医者を変えたわけだよね。

A:その辺はまあ自立してるかもしれないけど。でもその後はA先生のおすすめコース。

Q:でも、それはやっぱり医者を信頼できるからそうできるんだもんね。お医者さんの信頼できるところってどういう条件があると思います?

A:正直に、自分も人間なんだから時たま軽いミスもする、それをオープンに見せてくださることかな。だから信用できる。この先生は騙さないと思える。あと、こういう治療法があるよって、抗がん剤のこともCMFとCAFがあってその副作用はこうでと、説明してくれて、なんでも聞けば答えてくださる。

Q:それで乳がんについてはどのくらい勉強しました?

A:それ言われると痛い。まずA先生のところに飛び込んじゃったじゃない。それも近所で、知り合いの人がいいよって言ったからで。その後Nさん(患者仲間)から「こういう本があるよ。読んでごらん」て言われて、K先生の本のシリーズを書店で取り寄せてもらった。後で、N先生のキャンサーファックスで取り寄せた。

Q:知識を得たということで不安はどうなりました?

A:私は楽になった。何をされてるか分かる方が楽じゃないですか。分からない方がよっぽど不安。がんの告知の時がすごくショックで、カウンセリングが欲しいと思うくらいだったけど、その後は、何にも言われないで父の時のように「大丈夫ですよ、大丈夫ですよ」と騙されるよりは、知識を得て「こういうことはこうなんだ、こうなんだ」と分かる方がよっぽどいい。意味が分かるじゃない。それで、A先生もK先生も患者がそういうことを分かっているものと前提して考えているじゃないですか。ところが、分かってないと会話に追いついていけなくて、会話が途切れちゃって、それで診察お終い。こっちが必死になって勉強しないと、あの先生たちにはついていけない。

Q:そういえばCさんて初めてK病院に来た時に、(医師に聞く)質問事項を誰かに書いてもらったりしてたね。

A:あきれられたね。

Q:そうやって自分の病気の状態がどうで、いま、どういう治療がなされているのか、どんな効果や副作用があるのかを知っているってことは、自分の治療をコントロールしてるっていうか、主体的に関わっているっていう気持ちがあるじゃない。それがすごく大きいと思う。

A:K先生の本には、「遠隔転移したら治らない」ってはっきり書いてあるでしょ。「読んだらショックを受けて立ち直れないかもしれないよ」と言う人もいたけど、知らないより知ってる方が、よっぽどいいわよ。みんなからも知識が入ってくるし、本を読んで確かにショックではあるけれども、自分なりにコントロールできるし、がんは死ぬまで時間があるし、準備もできるし。何よりも一番いいのは老後の心配がないこと。

Q:でも長生きするかもよ。

A:ずうずうしくね。こんなに元気になっちゃってね。明るくなっちゃってね。

Q:なんでがんになってからの方が明るくなったんだと思う?

A:なんででしょう? 開き直ったんじゃないかという気がすごくする。どうせ死んじゃうんだから。やれることをやろうよ。やりたいことをやろうよって初めて本気になれた。今まではくだらないことで落ち込んでたのが、どうせ死ぬんだからって。でも、それって私たちだけじゃなくて普通の、がんじゃない人間だって同じなのよね。どうせ死んじゃうんだからっていうのは。やっぱりがんは改めて教えてくれた。それに、あれだけの苦しい治療を乗り越えたっていう自信みたいなものが、やっぱりできるじゃない。

Q:そのことはみんな言ってたよ。

A:どうせ死んじゃうんじゃないかって(笑い)。

Q:どうせいつかは死ぬんだから。だったらやりたいことやろう。

A:人間はみんな同じなんだから、なんか楽しいことやろうよって。それを、K先生もいっぱい書いてるよね。いままで怖気づいてできなかったことにも手をのばしたり、お金がなくてできなかったことも何でもやってみようかなって。

Q:この病気の強み。いつ死ぬかわかんないんだから。

A:なんかそうすると、いままで悩んでた、ちっぽけなくだらないことがどうでもよくなってくるんだよね。

Q:それは言えると思う。生活の変化はどうですか? 

A:楽しいのよね。ああ、お花ってきれいねとか、非常に価値があって。

Q:感動がなんか違うっていうかね。

A:私も、それはすごく思う。がんになってよかったなって逆に。家族とかに負担をかけたし、子どもにも心配させたけど、まだまだ時間はあるんだから楽しいこといっぱいしよう。子どもも前より明るい。それはね、近所に住んでる人に言われる。明るくなったわねって。いい笑顔ですよとか言われる。言われない?

by lumokurago | 2009-04-09 17:57 | がんと闘わない生き方
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