暗川  


写真日記
by lumokurago
S M T W T F S
1
2 3 4 5 6 7 8
9 10 11 12 13 14 15
16 17 18 19 20 21 22
23 24 25 26 27 28 29
30 31
検索
リンク
ご感想をお寄せ下さいmailto:lumokurago@yahoo.co.jp

嫌がらせコメントは削除させていただきます。

必ずしもリンクするHPの意見、すべてに同調するわけではありません。ご自分で情報を選んでください。

原子力資料情報室

小出裕章非公式まとめ

沖縄タイムス

暗川メインページ
私の下手な絵などを載せています。

杉並裁判の会
私たちの裁判の会です

ポケットに教育基本法の会

「つくる会」教科書裁判支援ネットワーク

もぐのにじいろえにっき
もぐちゃんのページ

プロテア
リリコおばさんの杉並区政ウォッチング

鬼蜘蛛おばさんの疑問箱
松田まゆみさんのページ

熊野古道の路沿い
鈴さんのページ

風に吹かれてちゅちゃわんじゃ
小笠原父島で農業をやっているサエちゃんのブログ

三宅勝久さんのブログ
杉並区在住のジャーナリスト

カテゴリ
以前の記事
ライフログ
その他のジャンル
ファン
記事ランキング
ブログジャンル
画像一覧

がんと闘わない生き方(7)患者インタビュー その3

がんと闘わない生き方(7)患者インタビュー その3

 【A.Dさん】
 年齢:30歳
 家族:夫
 職業 常勤職
 手術:2000年8月
 病期:2期
 手術法:乳房温存療法(腋の下のリンパ節と鎖骨のリンパ節まで切除)
 
 Q:この間のがんの体験、がんを発見した時から治療を経て、回復に至るまでの心理をグラフに描いてみていただけますか?

 A:発見した時は、まだがんかどうかがわからない状況。医者に「がんと思って」と言われていたので、ちょっと複雑ぐらい。入院する頃は少し知識が入ってきて非常に不安、最悪です。生存率というものを数字で知ってしまって、超最悪なんです。

 手術の直後は体調がすごく悪かった。おなかが痛くなったり、手術の影響で腕が痛くて、眠りが浅く落ち着かなかった。なんで自分がこんなことになっちゃったのかとか、今までやってきた登山もこんな状態じゃとても行けないという悲観も強かった。だから直後はかなりひどかった。寝てて悲しくなって泣いたり、特に人が来て帰った後、ショックが大きくて、布団かぶって泣いたりとか、そんなのしょっちゅうでした。

 Q:大変だったね。

 A:それは退院して普通の生活に戻っても、時々思い出しました。退院直後にはこれから先どうなるんだろうという不安があって、また、薬飲んでいて、これっていいんだろうかという疑問があって、精神衛生上よくなかった。

 復職した時も、だいぶよくなったつもりではいるのですが、リンパ節まで切除したので腕も上がらず、精神的に不安。その頃、湿疹が出て、飲んでいた抗がん剤の副作用を疑いました。ホルモン剤も飲んでいたのですが、ホルモン剤は女性ホルモン受容体があるがんじゃないと効かないはずで、私は受容体がないのに飲んでいたから、おかしいと思い、セカンドオピニオンを聞きに行きました。

 その医者の説明が納得のいくものだったので転院しました。そして、飲み薬の抗がん剤とホルモン剤はやめ、点滴の抗がん剤を受けたんです。

 転院して自分なりに納得のいく答えがみつかったので、かなり落ち着いたのですが、化学療法の副作用が強く死にそうな思いをしました。まあ、入院した時の最悪に比べればちょっとはましですが、またローになって。でもそれが終わってからは、どんどん、どんどん、もうギュ-ンて感じか。放射線を始めた頃はすっかり落ち着いて、現在は落ち着いてます。

 Q:どんなふうに落ち着いてきたのか話していただけますか?

 A:大きく分けると、がんというものに対する理解がどんどん深まって、理解することによって自分の心の状態が落ち着いてきた。発見した当時はほとんど無知に近く、混乱。将来に対する悲観が強くて、毎日泣いたり笑ったりしている不安定な状態がしばらくあった。

 手術を受けて治療していく過程の中では、今度はがんというものについての知識が少しずつ断片的に入ってくるので、治らないかもしれない、治るかもしれないということで、開き直る部分と悲観する部分と、ちょくちょく気持ちが揺れ動いて、落ち着いている日は開き直っている日で、不安でしょうがない日は悲観してる日で、そういうことが何度かありました。で、転院して抗がん剤のこととか、自分で進んで理解を深めて、納得のいく治療を自分で選択したことによって、今は非常に落ち着いた前向きな気持ちになりました。

 Q:やっぱりそれは、自分の病気に対して自分でコントロールできるっていうか、そういうふうに思えるようになったっていうことが大きい?

 A:そうですね。自分で納得がいく治療を求めて、その治療に対して信頼した。信頼したことを自分で取り入れて満足した。ダメな結果に転んだとしても、再発して行き着く先に死というものが、近い将来来ることになったとしても納得がいく。それは寿命だっていうふうに受け入れられるようになった。

 Q:わかりました。すばらしい説明です。あなたはがんについて、誰か他の人、配偶者、家族、友だちなどと話しましたか?

 A:たくさんの人と話しました。配偶者、親やきょうだい。職場の上司、同僚、それに親しい友人。自分のライフワークである登山というものに関わってくる人たち、この範囲で話した。お医者さんにも自分の歩んだ状況、自分のライフワーク、それに自分の住んでいる環境、それも含めてがんというものとどう付き合っていくかということを相談した。

 Q:再発するかしないかも含めたあなたのがんの経過について、あなたは何か自分でコントロールできるっていうものがあると思いますか?

 A:病状をコントロールできるか否か、あまりよくわかっていません。しかし自分なりに環境、例えばストレスを少なくする、自分が心地よいと思える環境を自分で整える努力をする。食べ物を少しシンプルに、欧米化した食環境というものもがんが起こるきっかけのように思うところがあるので、発がん性物質を含まない食生活をする、そういう努力でうまくいくと思いました。

 Q:再発を防ぐことなど、何か他の人の力を借りてすることができるっていうふうに思いますか?

 A:ストレスを下げるために身近な家族とか、そういった人の協力を得ることは可能と思います。

 Q:がんになってから生活が変わったことってありますか?

 A:あります。今まで以上に家族と話す時間を増やした。家族と一緒にいる時間を大事にする。毎朝リハビリ運動の時間を増やした。それくらいかな。

 Q:がんについての情報をどのぐらい探してどのぐらい求めましたか?

 A:入院する前はほとんど知らないに等しいです。退院してから図書館、インターネット、医療関係者。毎日情報収集に努めた。転院してからは主治医の本や患者さんの話でより深めました。

 Q:乳がんの患者さんとかサポートグループ、患者会の人などと話しましたか?

 A:話しました。がん患者の会があった。退院してから何年も前に手術した人や患者のいる家族の人に話を聞きました。

 Q:あなたの適応感について聞くんですけど、特に不安とか恐れとか怒り、抑うつ感なんかを1から4までにするとしたら、不安4が一番大きいとして1から4までだったらどのぐらいですか?

 A:1かな。もう吹っ切れてるから。

 Q:恐れは?

A:1。

 Q:怒り。

 A:怒りも1。

 Q:抑うつ感。

 A:時々調子が悪かったりするので、朝から腕が痛くて、調子が悪い時はちょっとローになるから2。

 Q:自分ががんに適応してるってことはどのくらい思いますか?

 A:今は結構いい線いってると思いますね。子どもを産んでもいいかなって思うぐらい。

 Q:他に何か心理的な回復に役に立ったものがありますか?

 A:自分のライフワークの友だちの支え。がんになって何年もたって以前と似たようなことができてる。そういう先駆者の存在が大きかった。

 Q:山登りの、前に乳がんやったっていう人?

 A:そう。健康な人と比べてもかなり行けてるレベルまで回復している。病気になっても前と変わらない生活ができる、少なくとも自分より前に同じがんになって、回復している、その人の存在が非常に大きかった。

 Q:将来の再発への不安とかはどうですか?

 A:それはもう神のみぞ知るっていう心境に。自分は大丈夫のつもり。ちょっと不安はあるけど、とりあえず自分だけでも大丈夫って思ってないとやってらんないから。今はやりたいことをやって、もし再発したとしても後悔しないようにしていこうっていう心境です。

 Q:そうだね。それしかないよね。

 A:いずれ年をとって寿命がくるのが、ちょっと早めに来てしまったっていうふうな受け止め方ができればいいかな。自分の山の仲間で病気が原因ではなくて、もっと若くて遭難して亡くなった人が何人もいるので、やっぱりそういうケースを見て寿命っていうのは人それぞれあって、寿命までにどれだけ中身の濃い人生をすごせるか、それはやっぱり質なのかなと思うから。

 Q:そうするとやっぱりそういうふうに思えるようになったっていうことでは、このがんになったっていうことがすごく大きな体験だった?

 A:そうですね、まあ、いい経験、いいっていうと変な言い方だけど、がんが教えてくれたっていうか。人生の質を、時間というものをすごく大事だと教えてくれた。

 Q:大事なことだよね。

 A:うん。だからそれがわかって暮らせば、いつお迎えが来ても受け止められる、ということですね。非常に今は精神的に安定してます。何事にも積極的に、先送りにするんじゃなくて、できることは今、そういう動きができるようになった。

 Q:そうですか。素晴らしい。きのうCさんと話してもそういうことを彼女も言ってるよね。

 A:そうなんですよね。漫然と今まですごしてきたのが、この病気になったことによって逆に転換したというか、前向きに。

 Q:そう、時間がすごく限られている。今までだったら、まあAさんはとても若いわけだし、いつまでだって生きられると思ってたのが……。

 A:そうそうそう。今まではなんとなく生活してたのが、この病気になったことによってもっと密度の濃い人生を過ごしたい。

 Q:そうだね。そういう意味ではすごく

 A:貴重な経験なんですよ。そう思いますね。すごいポジティヴ。

 Q:そうそう、ポジティヴになれるでしょう? 私もそれはすごくそう思うよ。だからほんとに普通に、がんとかじゃない普通に生きてる人たちよりずいぶんこれからの生き方とかそういうところで、

 A:再認識というかね。そのきっかけになったという部分が大きかったね。だからグラフに「以前」というのがあったら、今はもっとそれよりもプラス思考になってるっていう感じ。体調は、前はVery goodだったね。

 Q:体調に関してはね。

 A:やっぱりね、それはしょうがないね。とるもん取ったし、それなりの治療はしてる、そこは割り切ってる。標準の女性の生活という部分で見たら、かなりめりはりのある生活を私はしてた方だと思うので。かなりハードな登山をやったりね、仕事もそれなりに男女差ない仕事をずっとやってきたから。そんなとこかな。


【追記】
 山岳救助隊の主要メンバーだったAさんは精力的に山に登り、後輩の指導に専念しましたが、5年後、転移が発見されました。外国の論文を自分で探して勉強し、積極的な治療は受けず、緩和ケアのみを選択しました。36歳の誕生日の3日後、山の仲間に囲まれて亡くなりました。明るく前向きに生きたしっかり者の若い彼女の死は本当につらかったです。ご冥福をお祈りします。

あっこちゃんが亡くなる前の日のこと
[PR]

by lumokurago | 2009-04-14 18:25 | がんと闘わない生き方
<< ノルウェイの写真 ちょっとご無沙汰でした >>