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私より先に亡くなる人がいるなんて

 今日、高校の児童文化研究部の後輩(ゆきちゃん)から手紙が来て、親友(Yさん)が亡くなったというのです。今年の2月頃、私のがんを理由に同窓会をやろうと話していたのですが、ゆきちゃんがYさんに連絡しても返事がなく、その後、ゆきちゃんはご両親の入院などがあってばたばたしていて、4月になってYさんの実家に電話してみたら、2月9日に亡くなっていたことがわかったとのことです。1月末に受診したら肺がんで手のつけようがない状態で、入院する間もなく、あっという間に亡くなったとのこと。

 なんということでしょう!

 がんの私より先に死なないでよ。あなたの方が若いんだから。大事な人もたくさんいたのでしょうに・・・。まだまだこれからじゃないか。順番が違うよ。

 私は今の今まで、「みんな」が私より先に亡くなることがあるとは想像もしていませんでした。けれども客観的に見れば、それは当然あり得ることだったのです。

 話は変わりますが、近藤誠医師は「ぼくはいつ死んでもいいと思ってきたなあ」と言っています。そのことについて、昔、近藤先生に手紙を書きました。その中から少し引用します。

*****

 『ぼくがすすめるがん治療』は先生の一連の著作の中では新しいものです。この本を半分ほど読んで、先生が人間的にまた哲学的に深まっていらっしゃるなあとしみじみと感じました。対談集の中で先生の理論を“哲学”だと言った方がいらっしゃいましたが、私はそれを読む前からその人とは全く違う意味で、先生のことを哲学的で文学的な方だと感じていました。もちろん多くの人も、また先生ご自身も言っていらっしゃるように先生は第一に“科学的”なのでしょうが、私にとってはそれは大前提、それプラス“哲学的”“文学的”であることが先生の先生らしさだと考えます。

 (後記-この手紙を書きながらこの本を読み進んでいたところ、「現状維持の哲学」という言葉が出てきたので、思わず笑ってしまいました。先生ご自身も「哲学」だと自覚され、この言葉を使って提案されるまでになったのですね)

 “哲学”の中身は先生が“再発・転移”について書かれている部分で非常によくわかります。「再発・転移は原則として治らない。この事実をまっすぐに見つめなければならない」「がんも自分のからだの一部である。がんと闘う心と闘わなければ、おのれの人生をまっとうさせ、燃焼させる機会は得られないだろう」「そこで問われているのは結局、各人の価値観や人生観のようである。いつかは死を迎えるわたしたちみんなにとって、めいめいの価値観や人生観をつむいでいくことが今一番必要とされているはずである」

 これはまさに今の日本で最も欠けているものの一つである“死の教育”だと思います。

 私はがんと診断される前から、本気で「いつ死んでもいい」と思っていました。今でもその気持ちは変わりません。しかし、友だちにこの気持ちを話すと、全員から「とんでもない考えだ。もっと命を大切にしろ。親より先に死ぬなんて親不孝だ。考え直せ」等々総攻撃に遭います。 「いつ死んでもいい」と思うことは別に命を粗末にすることではないので、こんな風な対応が返ってくるのは私の言葉が足りないのかもしれません。

 先生も「いつ死んでもいいなあと思ってきた」とおっしゃっていますね(『「治らないがん」はどうしたらいいのか』P.270メディカルトリビューンブックス1999.11)。

 これを読んだ時「ああ、ここに私と同じように感じている人がいる」ととてもうれしかったです。ここで丸山雅一さんが言っている「死んでもいいやっていう諦めを、どこで自分に言い聞かせるか。ポジティブな意味でね。だからもう自殺してもいいやではなく、ちゃんと死を見つめて」という言葉はとてもよくわかります。ただ、丸山さんも「ポジティブ」と言っていますが、「死んでもいいや」っていうのは“諦め”とはちょっと違うように思うのです。うまく言葉にできませんが、“諦め”ではない。「いつ死んでもいい」、そう思った時、それからあとの人生を意志的に積極的に生きていくという決意ができるといったらいいのかなあ、そんな気が今はしています。

 私はがんと診断された時、「自分は昨日までの世界とは違う世界に生きている」「世の中の普通の人とは違う世界に生きている」と強く感じました。それは今まではいつか死ぬということを知識として知っており、私の場合は「いつ死んでもいい」とまで思っていたにも関わらず、死は日常的には思い出すこともない漠然とした遠いものだったということです。それががんになって“死”が目の前に現れ、「死を見通す世界」に住むようになりました。「死を見通す世界」に住むことは今まで漫然と生きていた時に比べ、数倍密度が濃いように思います。きっと先生はがんにかかっていないけれど、今までの患者さんたちとの関係によって、「死を見通す世界」に住んでいらっしゃるのではないでしょうか? (後略)

*****ここまで2000.8.23付 近藤誠医師への手紙より

 前にも書きましたが、近藤先生は返事が必要な手紙に、受け取ったその日に返事を書いていらっしゃいます。あっという間に返事が来るのです。しかも土日をはさむような場合は速達になっています。それは昔も今も変わりません。きっと、長い間多くのがんの患者さんとつきあってきて、今日という1日がかけがえがないこと、明日はどうなるか全くわからないという感覚が染みついているのでしょう。

 【追記】 後日(2010年)、このことを質問したら、「時間取られるから早く片づけるだけだよ」とおっしゃっていました。じゃあ、なんで速達にするのかな。  2011.11.22記

 とても真似はできないけれど、今度のことでますますこの一時、一時を大切に過ごしたいものだと思いました。

追伸:これも何かのご縁なのですが、近藤先生はゆきちゃんの従兄なのです。(コネは一切使っていません・・・笑)。
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by lumokurago | 2009-09-24 21:31 | Dr.K関連記事
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