暗川  


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ノーマさんの記事(上)

ノーマ・フィールドさん講演「いま多喜二を語る意味―新たな戦争と貧困の時代に」(上) 

 暗川の読者の方はすでに読んで下さったかと思いますが、JANJANに掲載されました。ノーマさんにJANJANに載せる承諾をいただいていたので、やはり掲載してもらった方がよかったと思います。ノーマさんの写真もあります。

 昭和天皇の闘病中、本島等元長崎市長が「天皇に戦争責任はあると思います」と発言したことで、本島市長には日本全国から7300通の手紙が寄せられました。紆余曲折の末、径書房から「長崎市長への7300通の手紙」として出版しました。編集には径書房の読者おおぜいがボランティアとして関わり、私も仕事が終わってから毎日、当時水道橋にあった径の事務所まで通ったものです。

 そこにノーマさんがいらしていました。ノーマさんはこの本を元に本島さんに取材してまとめた文章を『天皇の逝く国で』に載せています。『天皇の逝く国で』にはその他、沖縄の国体で日の丸を焼いた知花昌一さん、自衛官合祀違憲訴訟を行った山口の中谷康子さんを取り上げ、天皇制を論じています。すばらしい本で、お勧めです。

*****

 8月8日、東京杉並区で開かれたノーマ・フィールドさん(日本生まれ、シカゴ大学教授:日本文学・日本文化専攻)の講演会でのお話をお伝えします。(上・中・下3回)講演の主催は第9条の会・日本ネットです。

 今日の演題は「いま多喜二を語る意味―新たな戦争と貧困の時代に」ですが、そこに到達するまでにいくつか考えてきたことがあります。タイトルにすると「今こそ主義―希望と怒り」です。主催者から出していただいた質問、なぜ今、小林多喜二を研究する気になったのか、戦争と貧困の時代、憲法9条に関する状況には、最後の方にできる限りお答えしたいと思います。その前に来る話も、私はすべて多喜二と関係があると思っています。多喜二の作品を読んだり、多喜二に関係してきた方たちと話し合うことによって自分が発見したことが至るところにあると思います。多喜二が最後だけに出てくるのではない、ということも念頭に置いていただければと思います。

「広島・長崎とその彼方に」―疎外された「怒り」

 私はシカゴ大学の学生に「広島・長崎とその彼方に」という授業をやっているのですが、「その彼方に」というのは被ばく者というのは世界各地にいるということで、もちろんアメリカにも核実験による被ばく者が多数いるということを強調したいのです。それ以後の劣化ウラン、原発からくる被害などを視野に入れて、「核の時代」というのは我々の時代なんだということを学生たちに意識してほしいのです。

 ある学生がシカゴ大学を卒業してから、マーシャル諸島に行って教員になりました。ご存じのとおりマーシャル諸島の中にビキニ島があります。1954年3月1日、ビキニ島で水爆実験が行われて第五福竜丸が死の灰をあび、杉並の主婦たちが立ち上がって原水爆禁止運動が起こったわけですけれども、3月1日というのはマーシャル諸島でも記念日なのです。

 それについてインターネットで調べていましたら、記念日の名称が変わっているのです。最初はnuclearvictims’ day、核被害者の日、それが次には survivors’ day、サバイバーの日。今はいとも簡単に記念日、 remembers’ day といって、被害者もサバイバーも核も省かれてしまって単なる記念日になっている。卒業生から聞いた話では、アメリカ大使が来てマーシャル諸島の人々の勇気と犠牲とを称える日になっていたのです。ひどい言葉を使っているのですが、彼ら彼女たちが自分たちの身を持って人類の自由のために貢献してきたというのが、マーシャル諸島の被ばく体験の記念の仕方なんです。

 年老いた被ばく者たちは日本とは比べ物にならない安い金額の保障しかなく、たいした医療も受けられずにいます。また、日本の占領期と似通ったところがあるのですが、若者たちがアメリカ文化の魅力に毒されていて、やはり植民地支配的な場所ですから、アメリカ人になれたらいいって、高校生が次々と論文に書いてくるんだそうです。つまり、白人、アメリカ人になりたい、格好いい人たちになりたい、お金のある人たちになりたい、自分たちは離れた島に暮らしていて何の未来もないと。そういった大変疎外された状況らしいです。

 まず一つは第五福竜丸の事件が契機になった杉並の原水禁運動の、その現地がどうなっているかということを意識していただきたい。1946年から58年の間に、67回原爆実験が行われています。もちろん被ばく者は多数いるし、認知されているかどうかも非常にあいまいであるし、ビキニ、ロンゲラップといった島々から避難しなければならなかった人たちは永久に自分たちの島に帰ることができない。生活も完全に破壊された。そしてとうとう記念日からも「核」という言葉がはぎとられ、自分たちの怒りから疎外されているわけです。特に、称えられるわけですから、記念日には。

 犠牲が称えられるというのは日本の構造と非常によく似ているのですが、それは自分たちのとりかえしのつかない損害、それに対して怒ることが疎外されている。マーシャル諸島の人たち全体が疎外されている、そのことを一つ念頭に置いておきたいと思います。

 つまり、運動、特に反戦平和の運動の中で「怒り」というのはどういう役割を果たすのか。怒りには危険なものがあるので、怒っていればいいということではないのですが、怒りの場というのがなくなって、意識されていないような気がします。それはあとで議論したいと思います。

続いている原爆の時代

 もう一つ、たまたまなのですが今朝こんなメールをいただきました。アメリカ人の40代の女性で、日本にも入ってきている有名なアニメ映画のサウンドをやっている人がいるんですが、彼女はここ数年来、自分のお母さん―アメリカの核実験にエンジニアとして参加された女性―についてのドキュメンタリー映画を作っています。

 そのお母さんは長年患っていらっしゃるのですが、自分が核実験に参加したから身体の具合が悪いんだということはずっと否定してきましたし、娘さんにも秘密にしてきたんですね。被ばく者と秘密というのはつきものですが、何十年も秘密にしてきたことが、あるきっかけがあって母と娘の対話が始まりました。

 私がマーシャル諸島のことも知っていると思うけどこういうことなんだよね、というメールを出したら、ビキニのことは自分のドキュメンタリーに盛り込むことにしているということで、被災地から誘導する役を果たしたエンジニアの長い取材をしていて、彼が膀胱がんになって、まだ映画は完成していないけれども、急いで送ったら彼は見ることなく先週亡くなってしまったそうです。

 つまりマーシャル諸島では原爆の時代がもろにまだ続いているのです。日本ではそういうことも考えられていないんじゃないかと思います。チェルノブイリとか劣化ウランに関しては日本の皆さんも活発で、たとえばドイツで劣化ウランに関する世界会議があると日本からの代表が最も数が多いそうで、日本の人たちが最も知識もあって活発に活動されているようですが、特に杉並区とマーシャル諸島との連帯も生まれたらいいなと思っています。

学生と核物理学者の母親の対話

 マーシャル諸島のことをお話しする契機になった卒業生ですが、その男性の学生さんについての話もしたいんです。彼は3歳の時に中国からアメリカに永住した人で、お母さんは核物理学の専門家でシカゴ大学の研究所にいます。これはシカゴにはないのですがマンハッタン計画の拠点です。

 この授業で私はいつも原爆に関して、アメリカの人たちは年齢を問わず全く無知に等しいので、知識を身に付けてほしいのと、もう一つは自分たちの問題としてできるだけ身近にするために誰か対話者を見つけるということを主眼としています。それは第二次大戦の時に生きていた人、原爆投下の記憶を持っている人でなくてもいい、時々そういうおばあちゃんなんかを探してくる人もいますが、誰でもいいから、日常の中で授業に出てくる問題を話してくれる人です。それをみんなに報告して最後にまとめるという宿題が中心なのですが、彼の場合、対話者にお母さんを選んだのです。なぜお母さんかというとお母さんだから話すのに便利だ、もう一つ毛沢東時代の中国で教育を受けた中国人がどういう意見を持っているかがおもしろいだろう、最後に科学の専門家だから確かな知識を得られるだろうという、3つのメリットがあるということで選んだのです。

 彼の報告はすごいものだったのです。お母さんの意見が変わった時とかためらいが感じられた時、必ずお母さんにつきつめてるんですね。なぜそう言うんだと。

 禎子さん(※)のお話ありますよね。千羽鶴の。あれ、確かアメリカの書き手が最初書いたんだと思うのですが、お母さんは中国で小学校4年生の時に禎子さんの話を読んで、ずっと心に残って、日本が鬼であっても原爆はひどすぎるという意見になる。しかし彼女はアメリカに移住して、アメリカ人からしてみれば原爆投下を正当化すべきである。だから正当なのかなと逆戻りしてみる。だけど冷戦時代の中国に育ったのでアメリカも敵であるということで、大変複雑な思いで息子さんと原爆投下について語ったことを息子さんが報告しています。
 ※禎子さん:広島平和記念公園「原爆の子の像」のモデル, 佐々木禎子- Wikipedia (編集部)

 次に劣化ウランについても、彼女は日常的に劣化ウランを扱っているわけなんですね。それに対しては基準などがあって絶対安全なんだと息子に主張している。でも息子は、お母さんは何回か腫瘍ができてるし、どうして無関係だと思うのか、いや絶対無関係だと。もし私の健康状態と実験とが関係あるとしたら、前に勤務していたところがアメリカの生物兵器を作っていたところだから、それが影響しているんじゃないかと、劣化ウランの関係ではないと主張していた。彼女は永住権を得てマイノリティの科学者として、研究所で一番高い地位を占めている方なので、絶対安全だと信じなければ仕事ができない立場に置かれているのです。それが息子さんとの会話を通して、だんだんお母さんも不安になってきたことが伝わってきた。

 広島市の職員でスティーブ・ディーパーさんという、秋葉市長の仕事に協力されている方がたまたま来たので、劣化ウランの危険性について授業で話していただいたんです。その後、学生はお母さんに、今度は本当に科学者から真実を聞きたいと言ったら、お母さんは劣化ウランを使用する場合に、人間に最大に効果を発揮するためにはイラクほどいい地域はないと言ったそうです。つまり風が強い、気温が高い。ですからイラク戦争で劣化ウランの被害は出ているはずだとお母さんが認めたことで、息子さんも聞きたくなかったことを聞いてしまったとなったわけです。

 このようにアメリカの中でもいろんな立場に置かれて、迷いを持ちながら原爆投下とそれ以後の核の時代を生きてる人たちがいるのですが、残念ながら昨日インターネットで読んだある統計では、今の世論調査でも、原爆投下は正しかったというのは61%なんですね。36%が反対で16%がわからないという意見です。マイノリティになると正しかったという人たちが圧倒的に少なくなる。特に黒人は少ない。ヒスパニック系は正しかったというのが44%で、年長者ほど正しかったという人たちは多いです。そういうのは何も変わってないのです。

 もう一つ私の念頭にあるのは、日本におけるオバマ大統領の発言の過剰評価というのは非常に心配なのです。もちろんあった方がいいです。全然否定するつもりはないんですけれど、一方ではマスコミのネタであり、原爆報道の問題であり、もう一方ではアメリカの核の傘への依存を裏返した形ではないのかという気がしないでもないので。オバマさんのプラハ発言をどうやって現実に近づけるか、今は全く現実に近いとは私は思っていません。どうやって近づけるかというのが課題ではないかと思います。

ストックホルム・アピール―朝鮮戦争が起こるからこそ原子兵器禁止を

 それから、杉並が原水禁運動の発祥地ということで、大きな忘れ去られていることがあるんですね。1950年からあった運動でストックホルム・アピールというのがあって、私も近年、それに関わった方に出会って知ったんです。
1950年、つまり、もう冷戦時代でありますし、朝鮮戦争が間近で、というか朝鮮戦争が間近だからこそ、賛同した人たちが多いんですが、ストックホルムで開かれた世界平和擁護者大会常任委員会の決議案で4点あるんです。1950年3月19日です。

1.私たちは人類に対する威嚇と大量殺りくの兵器である原子兵器の絶対禁止を要求します。
2.私たちはこの禁止を保障する厳重な国際管理の確立を要求します。
3.私たちはどんな国であっても、今後、最初に原子兵器を使用する政府は、人類に対して犯罪行為を犯すものであり、その政府は戦争犯罪人として取り扱います。
4.私たちは全世界のすべての良心ある人々に対し、このアピールに署名するよう訴えます。

 以上、4箇条は広島と長崎に原爆を投下し、第二次大戦後の冷戦と核兵器開発競争の主導権を握った米国外交と核による脅迫に対する批判を含むものだった。 ストックホルム・アピールの署名は、朝鮮戦争を背景に世界的に展開し、1953年までに署名数が5億人に達した。主要国では、米国300万、英国120万、仏1500万、伊1700万、東西ドイツ1900万、ソ連1億1551万、インド67万、中国2億2375万など。

 これ、インターネットがない時代ですよ。

 日本においてなぜストックホルム・アピールが語られないかというと、一つはGHQによるものですよね。広島、長崎においても非常に厳しい報道規制がありましたし、署名運動に関わることによってレッドパージされた人たちが数多くいたわけですが、なおかつ署名が645万を超えたんです。どうしてこのストックホルム・アピールが忘れられてしまったかというのが、私の今の謎なんですけど、ご存じの方がいらっしゃったら後で教えてほしいと思います。

 朝鮮戦争が起こるからこそ署名するんだという意識は、北朝鮮がミサイル実験をしたから核を持たなきゃならないという意識と、かなり違った論理なんですよね。どうやったら1950年の意識に戻れるのか、戻って進めるのかというのは課題ではないでしょうか。
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by lumokurago | 2009-09-30 20:35 | JANJAN記事
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