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ノーマ・フィールドさん講演「いま多喜二を語る意味—新たな戦争と貧困の時代に」(下)

渡辺容子2009/10/02

未来につなぐもの

  多喜二は常に大きな視野を意識していました。彼の論文や運動の中で発表したものには「当面の問題」が常に出てきます。当面の問題はどうすべきなのかを絶対に忘れていない。しかし大きなスケールでの時間、自分というものを意識している。そういう意味で多喜二は絶対に私たちの同世代の人間だと思っているのですが、バデューさんとつながるとしたら、たとえば大好きな作品に『1928年3月15日』という、左翼、労働組合、共産党に関係のあった人たちの全国的な大弾圧を扱った小説があって、その中で拷問をつぶさに描いているんですね。非常に今とぴったりくるんです。
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  アブグレイヴもさることながら、アメリカがやっている拷問と比較すべきだと思うのですが、その中に、非常に貧しい秋田の農民の小作人の娘である運動家の妻にアリをたとえに出させているんですね。私たちの運動はということで、アリが川を渡るときに先頭のアリが溺れていく。後から来るアリはその死骸を橋にして渡って行く。運動はそういうものなんだということを言わせているのです。私はなかなかそこまでの勇気はないのですが、そういう何かつなげていく、未来につなげていくということ。

  今度の選挙でも、私は決して二大政党があることが民主主義だとは思っていません。それが嘘であるということはアメリカを見れば一目でわかることなのであって、でも、未来につながるものを何か作らなきゃと北海道の友人が話していたのですが、たとえ今の運動が私たちの生きている間に身を結ばなくても、未来につなぐものを残さなきゃいけないということだと思います。

  それが私が最初に申し上げた「今こそ主義」なんですね。しかし、「今こそ」というのがキャッチコピーになって、プラハ宣言があって、「シカゴの奇蹟」が持ち上げられて、被ばく者の方が生きている間にやらなければって、「今こそ」というのをさんざん繰り返して、再来週になって、来年になって、「今こそ」と言い続けられるかと言ったら、そうではないですよね。

なぜ今、多喜二を研究するのか

  「今こそ」という意欲は大事ですが、そういう言葉が空回りすることは問題ではないか。そういう点でやはり私は多喜二さんの作品には嘘の希望というものを感じないのです。だけど彼が希望を捨てているということは絶対にない。なぜ私が今の時期に多喜二を研究しようかと思ったかと懐疑的に質問されるのですが、このあいだ古い論文を手直ししていたら、なんと2002年の引用が出てくるのですね。

  2002年とは日本でどういう時期だったかというと、まだ格差という言葉が出ていなかったのです、実は。そんなに新しい現象ではないのですが、言葉としては新しいですね。バブルははじけていたけれども、バブル社会の理念というものが根底から捉え直されていたかというとそうではなかったです。

  そうではないところで私が多喜二に惹かれたというのは根本的に資本主義に幻滅している時期がずっとあったわけで、私のまわりには左翼知識人の同僚がたくさんいて、マルクス主義の理論は十分みんな身に付けていて、でももちろんベルリンの壁崩壊、ソ連崩壊後は「階級」という言葉をみんな使わない、階級なんてもうないんだからと、そういうマルクス主義者なんですね。階級という言葉が使えない、使うことに過ちを指摘するような風潮があったわけで、その中で資本主義を完璧に捉えて、階級というものを前面に出している小林多喜二の作品に、ある意味では過去に戻ることによって自分の現在を生きる元気を常にもらっていました。

  もう一つは蟹工船のイメージ、大学生の時に当時日本語はそんなに読めなかったので、あまりよくない英訳で読んだのですが、その蟹工船のイメージは決して多喜二を研究しようと思わなかったわけですが、たまたま彼の文学館に行って、恋人のタキさんあての手紙を読んで、全然違った人間が私の前に立ちあがってきたような気がします。青年の熱い恋の思いなのですが、恥じなければならないような境遇から出てきている女性を、彼女が16の時に彼は出会って、10代のそういう女性に対して自分の人格を卑下しないように、人間の尊厳を訴えているのです。

  それが私にとっては強力な呼びかけだったのと、貧乏であることの傷がどれほど人間をゆがめていくか、特に、貧困を真っ向から意識した運動がない時に、貧困というのは恥じるだけなんですよね。それからできるだけ早く抜けたい。それがどれだけ人々の生活をゆがめてしまうか。特に階級という概念が切り捨てられた時点では、そういう考察が全く行われなくなる。

  アメリカだったらマイノリティである、女性である、エスニシティである、そういったことはここ20年来認められてきたけれども、階級は切り捨てられてきた。マイノリティ、エスニシティを強調する時に何があるかというと、「負」だけでなく文化的に価値が見出されて、たとえば黒人であったらバスケットボールの選手であるとかヒップホップ。しかし貧乏人には価値や魅力ってないわけですよね。そういう意味でも階級と貧困というものが忘れ去られた10年、ロスジェネ(ロスト・ジェネレーション)という言葉が出てきましたが、ロスジェネの前から、我々の想像力、知性というものから階級という言葉を排除することによって何が失われてきたか、私の中では非常に大きな問題だったのです。

現実を正確に捉えられる言葉とは

  それで2002年から多喜二さんを追求してみよう、この人はどういう時代にどう生きて、何を考えてこういうことになったんだろうということを自分で考えて、それをできたら文章にしていこうと思ってきたわけです。今までずいぶんバカにされました。今でもたぶんバカにされていると思いますが、今、アメリカは大変ひどい経済状況になっているのですが、日本語の「格差」という言葉に匹敵するキーワードがないわけです。キーワードがないと現実を捕まえる、捉えることができないということもあって、アメリカでは格差ということがみんなの意識にしっかり身につけられていない。だから格差とかそういう意識がないところで、小林多喜二を研究するということはバカにされることで、今でも若干あるわけです。

  でも、日本では違ってきた。格差社会を現実として受け止めて、はたして格差という言葉で十分なのだろうか。今の日本を捉えるのに、階級という言葉を避け続けるために格差が出てきたのかなと。

  先ほどの「怒り」とつながってくるのですが、格差という誰でも認められる言葉はとても大事なんです。それからいろんな人が入って来られる運動もとても大事だし、できるかぎりそういう運動であるべきだと思います。もしそれが狭い政治性を持つことによって人を排除する、入りにくいものにしまうのであったらだめですが、政治を避けることによって、政治的という言葉を避けることによって現実を捉えられなくなってしまうのであればそれは大きなロスだと思うので、その辺も、どういう言葉を使えば現実を一番正確に捉えられるのかという問題なのです。

どういう政治性を私たちは求めるべきか

  さきほどの原爆反対といった時に北朝鮮を持ち出したいと言ったのもやはり、そういう意味での政治というのは、絶対私たちは切り捨ててはいけないと思うのです。政治は私たちの生活の根幹を、基準を与えるものだからです。私は政党政治も重要だと思いますが、政治を政党政治だけに区切るのではなく、政治はわれわれの経済にあり、経済は生活、生活は精神でもあるということを常に念頭に置いて、どういうふうに政治的であるべきか、どういう政治性を私たちは求めるべきかということを、多喜二のように意識しなければならない。それを常に現実によって変化させるようでなければならないと思います。

  一つの立場に自分はコミットしたからその立場を批判しないとか、変更しないということではなく、多喜二自身は常に自分の作品で議論を求めていましたし、批判を求めていました。過去の作品は野のクソのようなものであって、自分は見たくもない、自分は次のものを書きたいと語っています。私たちも自分がコミットしたものが何であって、実践に移す時にどういうところを変えるべきなのか、そういう準備を常に身に付けていきたいと思います。

9条から環境問題へ

  最後に今の9条の状況と戦争と貧困の問題ですが、もちろん多喜二にとって戦争と貧困の問題は切っても切れない関係です。新潮社の文庫は『蟹工船』と『党生活者』が入っているので、両方をぜひ読んでいただきたいのですが、『党生活者』の中で、毒ガスを使うことを軍は決めていて、毒ガスのマスクを作る工場で運動を繰り広げるということを描いていて、マスクを大量に作らなくちゃならないので臨時工をたくさん取るわけですね。

  戦争には反対の意識をみんなに説得したい。臨時工も正社員になりたいわけで、正社員は競争相手として維持されているけれども、臨時工と正社員の連帯を求めている。それがどれほど大変であるか。その上に反戦を乗せたらさらにどれほど大変になるか。そういうことを彼は『党生活者』で描いているのでぜひぜひお読みになって下さい。

  9条の問題ですが、9条の会の会員になっている人は全国で増えているわけですが、北朝鮮問題を直視しなければ9条もなかなか進まないと思います。私も絶対9条を支持しています。これをあきらめてはいけない。どんなに今の時点で形骸化されたとしても、改憲したい人たちがいる限り守らなければならない。

  今、形骸化された9条を確保して、形骸化された部分をこれから取り返していくというのは、私たち共通の理解だと思いますが、そこにもう一つ関わっているのは環境、ゴア副大統領がいう地球が我々の唯一のホームだということ。そうですよね、地球しか今のところ住む所はないんですから。

  軽い話なんですが、今回、ユナイテッド航空で—この会社は破産したのですが—、エコノミーだったのですが、なぜかビジネスクラスの入口に案内されて、ファーストクラス、ビジネスクラスを抜けてエコノミーの席に行ったら、ムーっとしてくるんですね。遅れて何10分も待たされたんです。パイロットが口を滑らせて、後部の方に座っている方たち、暑いでしょうが今エンジン一つかけたからもうすぐ涼しくなると思いますって。ユナイテッドが経費削減のためにエンジンを直前までかけない、だけどファーストクラス、ビジネスクラスはいくらなんでもそれはできないのです。

  後から客室乗務員が「みなさん、お暑いけれど、クーラーの故障は今直りましたので」と、全く違ったストーリーが出てきたんです。この飛行機を地球に例えれば同じなんですよね。ファーストクラス、ビジネスクラス、エコノミーと食べ物も全く違っていて、それも不快に思っていたんですが、一つの同じ空間に入っていて、こちらは快適で、こちらは汗を流してすし詰め状態で。これは今の地球です。

  90歳のアメリカの有名な科学者が公共放送で言っていましたが、未来の地球には人類が助かる地域があって、ニュージーランドが一つでアイルランドが一つで、今いる人たちやそこにたどり着けた人たちはいいけど、後で海から這い上がってくる人たちを落としていかなければならない。非常に醜い争いが想像できるわけです。

  バデューさんが想像しているような戦争ではなく、フランス人の核に対する無頓着、フランスの核は安全だという神話がまかりとおっているということもあります。バデューさんがそうかどうかわからないですが、それは地球の絶滅というものに関わっています。反原爆と原発も区別されているけれど、私はその境界というのは納得できないし、反原爆といった時に北朝鮮を語る。そういうことが私の、本当に答えは出せないし、具体的にどうしようということはないのですが、儀礼で終わらせない8月を、今度の選挙もどういうことを言えるのか、そしてマスコミにどうやって訴えるか、マスコミの良心と軽く言われるのですが、どうやってそれを実現できるのか、みなさんのご意見をお聞きしたいと思います。
 
  どうもありがとうございました。

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  JANJANではご意見板の「荒し」問題にどう対処するかでもめていたようですが、編集部が一時休止してしまいました。「今後の措置につきましては、利用状況を見て検討させていただきますのでご了承ください」とのことです。どうも歴史修正主義者の方々が「南京大虐殺」「従軍慰安婦」問題などで書き込みをされたみたいです。すでにいろいろなところでさんざんやりあったのだから、ほっとけばいいのに。

  このブログも2005年度の教科書採択の時に「炎上」させられ、その時は初めてでもあり、ものすごく怖くて一時ブログを閉鎖、その後も「猫や花」だけにしていましたが、冷静になって考えてみれば、どんな暴力的なコメントが何百とついても、「りある」の世界には何の影響も及ぼさないのです。私は住所、電話番号をWEB上やチラシに公開していますが、襲われるどころかいまだに1件の電話もありません(支持者からの応援の電話はありました)。

  ほっとけ。ほっとけ。前にも言いましたが、辛淑玉さんがひどいコメントの主をつきとめて自宅まで行ってみたら中学生だったそうです。
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by lumokurago | 2009-10-02 21:13 | JANJAN記事
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