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渡嘉敷島の「集団自決(強制集団死)跡地」

 今回の沖縄行きでは6日午後から10日という4泊5日の日程の真ん中に県民大会(8日)があったため、離島に行くことは無理だと思ったのですがあきらめきれず、6日、那覇泊港から夕方の高速船で(35分)渡嘉敷島に渡りました。

 ほとんど歩けないと思い、ネットで調べてビーチのまん前ということだけで「とかしくマリンビレッジ」という豪華ホテル(!)を選びました。(私はいつもユースか民宿に泊まる)。部屋の窓から海がすぐ見えて立地はよかったのですが、お風呂も部屋のバスだけで、お料理も沖縄らしいものではなく、特に野菜が全くなくて、食べ物を残すことはめったにない私も仕方なく残すほどでした。ダイビングショップを併設しており、とかしくビーチをこのホテルのプライベートビーチのようにしていることにもなんとなく抵抗がありました。(海水浴客から施設の使用料を取っている。母島の脇浜には無料の施設があるのにね)。

 7日、どこにも歩いて行けない私はタクシーを頼んで島一周することにしました。那覇で乗ったタクシーの運転手さんは「基地容認派」だったので、ここ、「強制集団死」のあった渡嘉敷のタクシーの運転手さんが「基地容認派」だったらいやだなあと思ったのですが、心配無用でした。運転手さんは米浜さんという私と同年位の女性で、「まず戦跡に行きます」というのです。渡嘉敷で戦跡を案内しようという人が基地容認のはずはないと思い、ほっとしました。「北山(にしやま)にも連れて行っていただけますか?」「はい。行きます」

 「集団自決(強制集団死)跡地」の碑がありました。1945年3月28日、この付近で住民315人が日本軍の命令により「集団自決」に追い込まれたのです。米浜さんは二つある碑文を読み比べてみてと言います。一つは平成5年に渡嘉敷村が作ったもので、うそで塗り固めてあります。住民が北山(にしやま)に集結したのは軍命のためなのに「友軍を頼ってここに集結した」、日本軍が配った手榴弾を「兼ねてから防衛隊員が所持していた手榴弾」と書くなど、米浜さんは「戦争賛美だよ。ここにこんなものを置くなんて許せない」と憤っていました。

 もう一つは平成17年に渡嘉敷村教育委員会が作ったもので、1945年4月2日のロサンゼルスタイムスが報道したありのままの悲惨な状態をそのままの文章で書いてあります。一つは国家の立場で作られた事実を隠ぺいする碑、もう一つは事実をきちんと伝えようとする碑です。

 私のデジカメは暑さのせいか湿度のせいか、シャッターが下りなくなってしまい、写真が撮れませんでしたが、こちらのHPに写真と碑文が載っています。

 米浜さんは座間味島などのよく見える高台に出て、当時の様子を語ってくれました。吉川嘉勝さん(渡嘉敷村教育委員長)、金城重明さん(牧師)など、有名な方のお話はここでは繰り返しません。みなさん、大江岩波裁判で初めて、戦後60年間も封印してきた当時のことを語りだしたのだとのこと、その気持ちは筆舌に尽くしがたいものであること、金城重明さんは生き残ったお兄さんと戦後何十年も会っていなかったこと。大江岩波裁判は原告である梅沢氏、赤松氏個人の名誉棄損問題ではなく、上からの力があって提起されたものであると語っておられました。その通りだと思います。

 軍命にそむき北山(にしやま)へ行かずに隠れていた人、迷ったふりをして戻った人は死なずにすんだそうです。米浜さんの祖父母は阿波連の家で布団をかぶって隠れていたから死なずにすんだそうです。また、慶良間諸島の中でも日本軍がいなかった島には米軍は上陸せず、「集団自決(強制集団死)」は起こっていないのです。日本軍は自分たちが使うのだからとガマから民間人を追い出すことまでしました。沖縄戦では軍隊は国民を守らなかったのです。軍命がなければ、軍隊がなければ人々は死なずにすんだのです。
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by lumokurago | 2009-11-20 20:38 | 沖縄
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