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「K・A会通信」より その3

 近藤先生への手紙                  
                               
 近藤先生、エミさんが2月6日に亡くなりました。先生に受診してからちょうど1週間でした。エミさんのこと、ちょっと聞いていただいていいですか?

 私がエミさんと初めて会ったのは、昨年8月末のイデアフォーのおしゃべり会でした。その時彼女はすでに鎖骨上リンパ節の転移がわかっていましたが、とても元気で「自分で決めてきたから何も後悔していない」と言っていたのが印象的でした。その時私の修論のためのアンケートを依頼したら送ってくれ、その後何回か手紙のやりとりをしました。

 元気なうちにまともに話をしたのはたった2回で、1回はこれまた「いつ死んでもいい」と言っているHさんも一緒に3人で(3人ともが「いつ死んでもいい」と言っている)、エミさんの「死んだらお葬式はせず、散骨する」というような「死に方」に関する話をし、もう1回は修論のためのインタビューに答えてもらいました。どちらも短時間でしたが中身の濃い話で、この2回で彼女のことはだいたいわかりました。とても意志が強く、自分で自分を成長させながら、「一人で」(女性にとってこの言葉の意味は重いのです)生きてきた人なのです。私も離婚を経験し「一人で」生きることを学んできたので、共感できる部分が多いです。

 12月の末まで元気だったエミさんが、1月9日に電話した時は咳がひどくて苦しそうでした。10日は水曜日でした。エミさんは「近藤先生に診てもらうまで(我慢する)」と思っていたのです(ごめんなさい。こんなこと知らせて)。でもその日、慶應病院は休み。10日、11日と慶應に電話しましたが先生をつかまえることはできず、A先生に電話して「すぐ来い」と言われました。

 13日に入院してタキソールを一回やりました。エミさんは迷っていたのですが、青木さん(イデアフォー世話人)の情報などから1回試してみようと決心したのでした。でも抗がん剤の副作用とは別に(タキソールやる前に吐いた)この間のストレスからなのか(?それともロキソニンの副作用ですか?)、エミさんには胃に潰瘍ができていて、肺の具合も悪く、ずっと入院することになってしまいました。その後エミさんの血液の状態が良くなってきて、A先生はまだタキソールやろうとおっしゃっていたのですが、彼女は「ここにいるとA先生にいじめられる」と言って、強引に退院しました。1月30日のことです。

 エミさんは実家(長野)に帰りたがりませんでした。自宅で、在宅でやっていくことを望んでいました。でも亡くなる前日にお父さんがいらして、翌日長野に連れて帰るよう段取りを整えていました。エミさんは長野に帰ることになっていたその日の早朝、様態が悪化して近所の病院に運ばれて亡くなりました。彼女は実家に帰りたくないという意志を通したのだと思います(彼女の実家は創価学会だそうで、そのことが関係あるのかもしれません)。

 亡くなる前日、「このうちが大好き」と言っていました。A先生の病院から退院してきて1週間を大好きな自宅で過ごすことができました。近藤先生の診察日は頭がもうろうとなりかけていたにもかかわらず、ちゃんと覚えていて「行きたい」と言ったので連れて行きました。最後になるかもしれないと思いましたし。エミちゃんは「近藤先生はやさしかった。行ってよかった」ととても喜んでいました。連れて行ってよかったと思いました。

 危篤の知らせに、私はすぐに駆けつけられなかったのですが、エミちゃんは待っていてくれました。私が行ってまもなく亡くなりました。亡くなる数日前から咳も止まり、安らかでした。

 エミちゃんは「好きなことをして生きてきた。何も後悔してない」と言っていました。彼女は若すぎるけど、それが救いです。近藤先生が大好きでした。最後にお会いできて喜んでいました。

 エミちゃんは「近藤先生の診察は転移してるのに3ヵ月後。近藤先生とA先生のコピー人間があと2,3人いてほしい」と言っていました。フォローアップは天野クリニックとか他の医者に任せて、近藤先生は初回治療とホスピスをやってほしいです。みんな近藤先生に看取ってほしいと思っていると思います。

 エミちゃんは修論インタビューの時に「ホスピスとかそういう情報を前もって集めて準備できる。それを自分で選んでいける。そういうことも近藤先生に教えてもらった」と言っていました。現実には急激に病状が悪化したので、東京でホスピスを決める前に実家に連れて帰られてしまうことになり、それが気がかりでしたが、結果としては自宅のすぐそば、好きだった根津神社の前の病院で亡くなったので、私たちもよかったと思っています。

 病状が悪化してからの1ヶ月間は、私にとってはとてもとても長かったです。死に逝く人にこんなふうに付き添っていたのは初めての経験でした。最後まで自分で決めた生き方と死に方で、見事でした。

 この手紙は私のモーニングワークです。読んでいただいてどうもありがとうございました。  2001.2.11

Dr.Kのミニ講演会

 3月10日、元気通信(愛知県のYさんがやっている通信)の主催で近藤先生のミニ講演会がありました。皆が事前に、また当日出した質問に答えていただく会でしたが、近藤先生はどんな質問にも実に詳しくわかりやすく答えていらっしゃったので、まあなんて誠実な方なのだろうと、もともと思っているけれど、またまた思いました。私はタキソールについてと民間療法について質問しました。

 私「民間療法についてですが、先生は今日の質問にも根拠のない治療はすすめられないとはおっしゃっていましたが、『乳がん治療・あなたの選択』には『民間療法だけはおやめなさい』と書いていらっしゃるのに、最近甘くなってきたように感じています。私は『ぼくがすすめるがん治療』の中の『それにしても人は何か物質的なものに頼らずにはいられないのだろうか?自然や人との交流が一番の“療法”になるのではないか』という意見に同感です。『がん患者学』の柳原さんとの対談では先生はずいぶん甘くなっているように感じるのですが、考えが変わったのでしょうか? 皆とは違う意見だけど、先生は医者なのだから厳しい態度でいてほしいです」
 
 これに対して近藤先生は「ありがとう」とおっしゃり、「あの対談は相手ががんの患者さんだったから厳しいことは言えなかった。基本的には何も変わってない」とおっしゃっていました。

 私は前掲のエミちゃんのことを書いた手紙をなんとなく出さずにいました。それでこの日渡そうとしていたのですがなかなか先生をつかまえられず、懇親会から二次会に移動する間、なんとか渡そうと先生の後ろを歩いていました。でも他の人が先生をつかまえていたので歩いている間は声をかけられず、でもそのおかげでちゃっかり先生の隣に座っちゃったのだ。今度こそ渡そうとしてね。
 
 そしたら「いい質問をしてくれてありがとう」とおっしゃり、私が「先生はやさしいから。聞かない方がよかったですね」と言ったら「聞いてくれれば自分の考えを言えるから聞いてくれてよかった。聞かれなければ自分からは言えないから」とおっしゃっていました。

W:先生のところには質問の手紙がたくさん来るんですか?
Dr.K:そんなに来ないよ。
W:全部に返事書いてるんですか?
Dr.K:わかることはね。わからないことはわからないって書いてもしょうがないから返事出さない。
W:先生でもわからないことがあるんだ。

 エミちゃんのことを知らせると、「長野に帰る前に亡くなったんだってね。悲しいね。でも悲しいところばかり見てたら医者なんかできない」とおっしゃっていました。その言葉は自分に言い聞かせているようで、ああ、この人はどれだけの患者をどれだけの悲しみをもって看取ってきたのだろうと、彼の抱えている悲しみが伝わってくるようでした。
 
 元気通信の皆さんはとっても活発で、私はそれ以上Dr.Kをつかまえておくことはできませんでしたが、Dr.Kは私には特別にやさしかったのですよ。お店を出た時に「楽しめた?」と聞いてくれて、「きみは深く掘り下げるから(心配だという意味でしょう)」と言ってくれたのですから。

 ところで、例の抗がん剤治療に熱心な平岩医師はテレビに出たあと、手紙がたくさん来たのに対して、全部に「答えられません」というファックスを送ったそうです。答えられないならテレビに出ない方が良かったね。私は平岩医師の本を読んで近藤先生と全然違うと思ったのは、近藤先生はたったひとりを大事にするのに、平岩さんは少しの犠牲は仕方がないと思っているということでした。だから抗がん剤をがんがん使っているのだろう。副作用死することも覚悟して1%の可能性を求めて抗がん剤に賭けてみるという人を否定はできないが、私だったらそこまで生に執着はない。がんも自分なので、がんが転移して大きくなったら死ぬのが自然だと私は思います。

 関係ないけど、東海村の臨界事故で2人の人が亡くなりました。私はそれだけで原子力発電はもうやめるべきだと思った(もともと思ってるけど、特に)。全体の中ではたった2人でも、家族にとっては全てです。近藤先生が抗がん剤の第一相試験(もう治らない患者に抗がん剤を使い、毒性を試す試験)に反対しているのもこれと同じだと思う。たった一人でも患者を犠牲にするのなら、抗がん剤なんかもう開発しなくていいと。私はDr.Kのこういうところが好きなのです。

 以上「K・A会通信」No.6 2001.3.24 より

*****

 この頃、父の介護で大変だった私はうつ状態がひどくなり、「K・A会通信」もこれで終わりました。でも、通信を送っていた友人たちとは今でもつきあっています。そのうちの何人かはこの間、遠いところうちまで来てご飯を作ってくれたり、病院や浦和の鍼灸院に付き添ってくれました。
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by lumokurago | 2010-01-06 17:51 | Dr.K関連記事
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