暗川  


写真日記
by lumokurago
S M T W T F S
1 2 3
4 5 6 7 8 9 10
11 12 13 14 15 16 17
18 19 20 21 22 23 24
25 26 27 28 29 30
検索
リンク
ご感想をお寄せ下さいmailto:lumokurago@yahoo.co.jp

嫌がらせコメントは削除させていただきます。

必ずしもリンクするHPの意見、すべてに同調するわけではありません。ご自分で情報を選んでください。

原子力資料情報室

小出裕章非公式まとめ

沖縄タイムス

暗川メインページ
私の下手な絵などを載せています。

杉並裁判の会
私たちの裁判の会です

ポケットに教育基本法の会

「つくる会」教科書裁判支援ネットワーク

もぐのにじいろえにっき
もぐちゃんのページ

プロテア
リリコおばさんの杉並区政ウォッチング

鬼蜘蛛おばさんの疑問箱
松田まゆみさんのページ

熊野古道の路沿い
鈴さんのページ

風に吹かれてちゅちゃわんじゃ
小笠原父島で農業をやっているサエちゃんのブログ

三宅勝久さんのブログ
杉並区在住のジャーナリスト

カテゴリ
以前の記事
ライフログ
その他のジャンル
ファン
記事ランキング
ブログジャンル
画像一覧

ぼくがかく見えるわけ(近藤誠)

ぼくがかく見えるわけ  慶応義塾大学病院放射線科 近藤誠

 ぼくは自分のことを、にこやかな人間だと思っている。だからこの元気通信で、「つっけんどんな対応」「こっ、怖い」などの評判を読んで驚き、元気を失った。

 しかし考えてみれば、他人と自分の評価が食い違っているからこそ、人は恥や迷惑をまきちらしながら生きていけるわけだ。これもその一場合なのかもしれない。ともかく、ぼくが他人にどうみえているか自分にはよくわからない。そこで、怖くなど見える理由を考えてみた。

 診察時、面と向かって話をする場合、お互い心地よさを感じる適正な距離があるはずだ。その距離感には、相手方の身体つきも影響するだろう。その点ぼくは身体が大きく、顔もでかい。診察室で膝がふれあいそうな距離で相対すると、顔と身体が迫ってくるようで患者さんは威圧される可能性がある。つまり心地よい距離は、二人の間で違いうる(これは一つの発見だね。文章を書いているとき、こういう発見があると楽しくなるんだ)。

 ただ、そうかといって1メートルも離れて座ると、かえって親近感を失うだろう。それにぼくには、1メートルは遠すぎる。これはどうにもならないたぐいの問題かもしれない。

 二つ目には、ぼくはもともと冗談好きで、仲間内では駄洒落をとばして顰蹙をかっている。しかし診察室や病室では、なるべく冗談やお愛想を言わないよう心がけている。理由はどこかにも書いたが、言ってもらえなかった人の不公平感が強くなる恐れがあることが大きい。といって、全員に公平に冗談やお愛想を言おうとすると、そうするための、心理的拘束感がたまらなくなるだろう。別の理由としては、女性相手の冗談はぼくには苦手、つまらない冗談を聞いた相手にどこかに書かれたりしたら恥ずかしい、などもある。(渡辺註:だからDr.Kと長く話すには質問を考えておくしかなかったわけです。彼もどこかに、質問に答える分には不公平ではないと書いていた)。

 聞いた相手にどこかに書かれてしまう――。そういうことは数限りなくあったし、これからもあるはずだ(渡辺註:わたしみたいにね)。ぼくは、それが悪いとかいやだとか言うのではない、言葉がひとり歩きしていく覚悟がなければ、言葉を発してはならないと思っている。

 ただその場合、冗談はまだいいけれど、理論的な話がひとり歩きするのが怖い。これまで著作に書いてきた内容と矛盾する話がひとり歩きして広がっていったらと、思うと慎重にならざるをえない(これからも医者たちの言説の問題点を指摘し批判していくのだから、自分の言説の矛盾やあやまちはできるだけ少なくしたいわけ)。

 したがって、一人ひとりの患者さんに対して発する言葉も慎重に選ぶことになる。さらに難しいのは、これまでの言説と矛盾のない話をしながら、患者さんに納得してもらえるかどうか、この一事である。そのうえ診察室には、もういろんな人が来る。そうなると、患者さんの表情を読みながらの論理展開や言葉探しに意識が集中し、こっちの顔から笑みが消えることが多くなっていると思う。

 また、診察日の前日はなるべく酒席にでないで早く就寝し、体調をべストにすべく心がけているのだけれども、朝から診察や会話に集中していると、昼過ぎには若干もうろうとしてくる。以前はそんなことはなかった。これは年をとったためか、以前より集中力がついたせいなのか。以前より患者さんの病状や境遇に同情する度合いが大きくなり、こっちの心理的負担が大きくなっている可能性もあるな。

 ともかくも遅い順番の人ほど、不機嫌なぼくに出会う確率が高くなる。ことに初診の患者さんは、初対面にもかかわらず、午後遅くに診ることにもなり、問題があることはわかっている。

 だけれども、しかめっつらになっているとしたら、その一番の理由は、患者さんが押し寄せてくるからですよ。一人に1分よけいにかかると、60人では60分、100人なら100分のびる。そして3時間待ちにも4時間待ちにもなるかと思うと気が気でなくなるのだ。ぼく自身は診察の終了が夜の10時になろうが12時になろうが、自らまいた種だから仕方がないと思っている(これまでの最長は夜8時だが、今後そういう事態も予測している)。

 しかし、そこまで待たされる患者さんや、診察につき合ってくれる若いドクターや看護婦のことを思うと、いたたまれなくなってしまうのだ。それで、新患患者がこんなに来ましたと聞くと、かえって不機嫌になってしまう今日この頃である。

 ただ診察は暖かい冷たいの問題がすべてではないだろう。患者さんにとって一番肝要なのは、医者の説明が納得できるかどうかではないだろうか。だから外の部分は全部そぎおとさざるをえなくなっても、説明の部分だけは合理的であり続けたいと思っている。

 なんだかぼやきになってしまったけれども、昔はこんなじゃなかった。15年も前の診察日は、数少ない患者さんを時間を気にすることなくゆったり見て、それでも午前中には終わっていた。乳房温存療法を希望する人が来るのは、1年に一人か二人。次の希望者が来るのを一日千秋の思いで待っていた(一人でも多く治療して、その成績を発表し、世の中を変えたかったからね)。

 その時分は、たぶん誰に対してもきわめて愛想がよかったはずだ。毎週、診察日が来るのが楽しみでもあった。今は苦行の側面も強くなってしまった。時に過ぎたるは及ばざるがごとし、か。でも誠君は頑張るよ。

「元気通信」No.13 2000.7.10付より
[PR]

by lumokurago | 2010-01-07 18:45 | Dr.K関連記事
<< 便利な介護用ベッド 食道がん・手術しちゃだめだ >>