暗川  


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新しい「われわれ」という関係を求めて

  引越しの荷物整理と人生のまとめを兼ねて、昔書いたものを読み返しています。職場の組合活動に関しても仲間の書いたものを含め、たくさんの文章がありました。振り返ると感慨深いものがありますが、現在の組合を思うと、暗澹たる気持ちになります。これからこの国は、地球全体はどこに行こうとしているのか、私の感性ではとてもついていけません。若い人の時代なのですから、若い人が自分で考えてやればいいと思うのですが、考えているのでしょうか?  どうにも頼りないですね。

  児童館の職場ではこの間の子どもたちのすさまじい変化を見つつ、「今に、人間の<心>そのものが変質して人間としての価値観も感性もなにもかもが変わるのだろうね」と話し合ったことがあります。たぶんそうなりつつあるのだと思います。私などもう出る幕ではないのでしょう。そう思いつつ、それでも生きている限りあきらめずに自分の意見を言い続けなければなりません。それが自分を愛するということだからです。

  組合活動関連の文書の中から、もう一つだけ載せておきます。これは東京都職員労働組合の杉並支部の執行委員選挙である仲間を推薦したちらしです。

  ーー新しい「われわれ」という関係を求めてーー

  現在の(杉並)支部の運動を振り返る時、私が最も問題であると感じるのは「わたし」(=ひとりひとり)と「われわれ」(=組織)の関係が逆転しているということです。本来、「わたし」が自己主張し、その重なりとして生み出されてくるはずの「われわれ」が、ここではまず先にあって、「わたし」は「われわれ」の中に解消させられてしまっているように思います。このことは、組織の上部からの指導が入ると、いとも簡単に自らの意見をくつがえしてしまう人たちがいることから感じられることです。

  組織の(上部の)方針がいつも正しいということはないと思います。人間であればそれがおかしいと思う時もあって当然だと思います。おかしいと思えば言っていけばいいし、言われた方もそういう声に率直に耳を傾け、議論すれば良いと思います。ところが、今の支部にはそのような姿勢はないようで、上の方で決まった方針に下の者は盲目的に従わされているように見えます。

  もうひとつ、私は、いったん掲げた方針をすぐにただのお題目としてしまい、中身は当局の言うなりに自分からどんどん引き下げていくことを問題であると感じています。

  私は今の時代に労働組合が「勝つ」ことなど99%あり得ないと思っています。それほどに厳しい時代です。しかし、だからといって同じ労働者でありながら労働条件に格段の差のある、当局が経費削減、労働者の分断支配のために作り出した嘱託員(非常勤職員)を、自分たち正規職員の時短(時間短縮)の穴埋めに自分たちから要求するなどということが許されるでしょうか。私はそんな時短ならいらないと思っていました。

  「過激な玉砕」という表現がありましたが(注:対立候補のちらしに、当局に譲っても小さな実を取るのが現実的であり、いつまでも原則的な方針で突き進むのは「過激な玉砕」だとあった)、人間には「ここから先は絶対に譲れない」という信念があると思うのです。その信念を守ろうとすることが「過激」であるとは思いません。むしろ、最も人間らしいまっとうなことだと思います。

  情勢が厳しいからという理由で、その線はどんどん後退させられ、とどまるところを知りません。そして、そうやって後退してきたことで、当局は私たちの足下を見るようになり、私たちはどんどん弱くなってきたと思います。

  私たちが大切にしなければならないのは、当局のお情けによるちっぽけな「成果」などではありません。「勝つ」ことなどあり得ないけれど、たたかいの中で自分を主張し続け、自分を鍛え、成長させ、また、仲間たちと信頼し合える関係を作っていく、、、、その過程を大切にしなければならないのだと思います。そうやって力をたくわえて、次の世代にひきついでいくのです。

  「たたかい」と言う時、当局とたたかうのはもちろんですが、「たたかい」とはいつでもまず、自分自身とのたたかいであると思います。

  私たちはまず、自分自身をたたかわなければならないし、そうすることによって確固とした自分の意見を持ち、声をあげていかなければならないのだと思います。それができるようになった時、私たちは既存の「組織」の概念とは違った新しい「われわれ」という関係を作り出すでしょう。

  1990年6月
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by lumokurago | 2010-03-02 18:29 | 昔のミニコミ誌より
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