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「若芽の会」のこととMちゃんのこと

  昨日は「魔法陣」という「障害」者の作業所にこの3月まで勤めていたMちゃんが来てくれました。Mちゃんは反原発の集会を主催したりする、今どきの若者としては珍しく社会のことを考えている人で、2005年の「つくる会」教科書採択のあと、若者が集まって戦争体験を聞いたり話し合ったりしようとつくった「若芽の会」のメンバーでした。
  
  私は当時50歳でしたが、かなしいことに「つくる会」教科書に反対して活動している人々の中では若い部類に入っているのです。「若芽の会」には他に、街頭でちらしをまいていたら話しかけてきてくれたT1さん(後に裁判の会に参加)、ちらしを見てメールをくれたYさん、9条を守る活動もしているT2さん、中学校教員のT3さん、Mちゃんと同じく「魔法陣」のYちゃんと20代と30代の女性ばかりが集まっていました。それぞれ仕事や子育てで忙しく、何回か集まっただけで自然解散してしまいましたが、とても楽しく、私にとっては若い人の意見が聞ける貴重な会でした。
 
  この会に集った人たちはみんな、「まわりに社会的なことを話せる友だちがいない」と嘆いており、「こういう人間は杉並区中探してもここにいるだけじゃないの」と言う人もいました。ママ友とは「ダイエットとファッションのことしか話さない」と言っていたT1さんは、その後、勇気を出して裁判のことをママ友に話し、「話してみれば、みんなよく聞いてくれる。全く興味がないというわけではないことがわかった」と言っていました。しかし、社会的なことを話すのはダサイ、ネクラ、目立ってしまう、格好悪いという風潮が完全にできあがっている中で育ってきた若い人たちにとって、その風潮を押して身近な人に話しかけるのは本当に大変なのだと思わされました。社会的なことを話すのが当たり前だった私たちの若い頃とは正反対です(私たちの世代は小中学生の頃からベトナム戦争のことを考えていました)。

  初めて集まったとき戦争のことを話し合ったのですが、30代のYさんが「こんな話し合いをしたのは生まれて初めて」と言ったので驚きました。私たちの世代は学校でも討論会をやり(ホームルームなどで自由に話し合った)、職場でも読書会などをやり、話し合うことは日常だったのです。現代の若者がいかに社会的なことから遠ざけられ、話し合う機会も持たされず(自主的に話し合いたいとも思わなくさせられ)、人間と人間の本当の「交流」を知らずに生きてきたのか、暗澹たる気持ちにさせられたことを覚えています。

  さて、私がMちゃんと出会えたのは「魔法陣」を知っていたからですが、ではどうやって「魔法陣」と知り合ったかというと話はずっと昔にさかのぼります。

  1979年に養護学校が義務化されました。これは今まで就学免除になっていたような重症心身「障害」児も学校に行けるようにするという大義名分の裏に、子どもたちを幼いうちから差別・選別して「障害」児は特殊学級、養護学校へと振り分けようとするものでした。これに反対する団体が「障害児を普通学級へ 全国連絡会」で、この会をどこで知ったのかは忘れましたが、この中に「中野杉並保育教育を考える会」が入っていました。当時私は職場の同僚と共に学童クラブへの「障害児」受け入れについていろいろ考え、「暗川」に文章を書いていました。そしてこの会に連絡を取ったのです。この会の代表だったFさんは「暗川」に何度も寄稿してくださいました。

  Fさんたちのお子さんが大きくなって学校を卒業されると、その先の行き場がなく、それで「魔法陣」をつくったのです。「魔法陣」は機織りとパン作りをしている作業所で、私も昔、仕事の合間にボランティアに通っていたことがあります。自由でアットホームな雰囲気で居心地のいい場所でした。後に学童クラブで預かっていた自閉症の妙ちゃんもここに通うことになり、ご縁を感じたものです。

  さらに、現在の「魔法陣」でMちゃんと出会ったので、縁は縁を呼ぶのだなあと思ったりしています。それに現在の職員の一人のYちゃん(彼女も「若芽の会」メンバーだった)は、私の杉並の仲間の娘さんなのです。縁は縁を呼ぶというよりも、「類は友を呼ぶ」と言った方が適切なのかな?

  Mちゃんはご両親が「障害」者のボランティアをなさっていて、Mちゃん自身も高校生のときにボランティアをし、大学も福祉を選び、この道に入ったそうです。「障害」をもつ人たちとのコミュニケーションは大変だけれど、気持ちが通じ合ったときの喜びにひかれてつづけているそうで、給料は少ないけれどやりがいのある仕事だと話してくれました。この4月からは精神「障害」者の喫茶と相談室の仕事に就くそうです。

  Mちゃんとゆっくり話せてとても楽しかったです。Mちゃん、ありがとう。

by lumokurago | 2010-03-27 10:31 | きままながん患者
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