暗川  


写真日記
by lumokurago
S M T W T F S
1
2 3 4 5 6 7 8
9 10 11 12 13 14 15
16 17 18 19 20 21 22
23 24 25 26 27 28 29
30
検索
リンク
ご感想をお寄せ下さいmailto:lumokurago@yahoo.co.jp

嫌がらせコメントは削除させていただきます。

必ずしもリンクするHPの意見、すべてに同調するわけではありません。ご自分で情報を選んでください。

原子力資料情報室

小出裕章非公式まとめ

沖縄タイムス

暗川メインページ
私の下手な絵などを載せています。

杉並裁判の会
私たちの裁判の会です

ポケットに教育基本法の会

「つくる会」教科書裁判支援ネットワーク

もぐのにじいろえにっき
もぐちゃんのページ

プロテア
リリコおばさんの杉並区政ウォッチング

鬼蜘蛛おばさんの疑問箱
松田まゆみさんのページ

熊野古道の路沿い
鈴さんのページ

風に吹かれてちゅちゃわんじゃ
小笠原父島で農業をやっているサエちゃんのブログ

三宅勝久さんのブログ
杉並区在住のジャーナリスト

カテゴリ
以前の記事
ライフログ
その他のジャンル
ファン
記事ランキング
ブログジャンル
画像一覧

新春放談その2

新春放談その2

広野:(遠慮がちに)ところで同期の人たちと話してみると、クラブによって運営の仕方がさまざまなようですが、これはどういうことなのでしょうか。

久保田:職員によってはある程度共通の指導内容を行った方がよいと主張する人たちもいます。でも指導内容の枠を決めてしまうと、学校教育が指導要領によってしばられているように、指導員の自由な発想が生かされない保育につながっていく恐れが多分にあると思います。そのクラブの置かれている状況や指導員の個性はそれぞれに異なっているのですから、クラブ全体として統一した内容をやることはできないし、またその必要もないのではないでしょうか。

土井:その人が大事だと思っている部分は人によってさまざまですよね。たとえば一方では行事に重きをおくクラブがあり、一方では船戸さんたちのようにそういうところでは大人から子どもにあまり手を加えないで、重点はほかにおいているところもある。行事をやるというのが大人の意図だとすれば、行事をやらないというのも大人の意図にかわりはないわけですよね。

船戸:そうねえ、そこまで子どもは管理されちゃってるということなのかな。むかしだったら大人が忙しかったから、子どもは自然に放っておかれたみたいなところがあるけれど、今は何もしないことも大人の意図になるのかしらね。こっちは自然にしておきたいと思っているにすぎないのだけれど・・・かなしいね。

榎本:それからもう一つ言いたいのは、二人で組んで仕事をしていると、どうしても二人の間の違いがでますよね。もちろん根本的なところではよく話し合って方針を一致させないと混乱が起きるのだけれど、細かいところでは食い違いがでてもそれはそれでいいと思います。子どもも二人の性格の違いとして見るでしょう。その時、私が思うのは、職員の側にも子どもの多様性を認める余裕がほしいということです。たくさんの子どもがいるのだから、その職員のやり方についてくる子もいれば合わない子もいるわけだから。

本橋:それで私が思うのは、大人はそれぞれ自分の思いでクラブでもやっていくので、何が価値かは言えないという気がするのね。結局は子ども自身が感じ取り、選び取っていくのではないかしら。自分というものをだしていって、あとは子どもにまかせるしかないんじゃないかしら。

荒井:何が価値かは言えないなんて物分かりのいいことを言う年でもないじゃない。もっと自分の考えをぶつけ合って、お互いにけんかになってもいいからたまにはやり合うことも必要じゃないかしら。

船戸:そうね。お互いに話し合ったり批判し合ったりしてよりよい方向を求めていこうという姿勢は絶対必要だと思います。今はそれがなさすぎるもの。

荒井:(久保田さんに敬意を表して)いろんな意見がだされましたが、久保田さん、何か気付いたことはありませんか。

久保田:そうですね。感受性のことで言えば、子どもを叱る場合も理屈で叱るのでは子どもの心に響かないでしょう。子どもはさびしい時、悲しい時、まずその心に共感し抱きしめてくれる人を求めているのではないでしょうか。そういう時、子どもの立場に立って子どもの気持ちを感じ取ることのできる豊かな感受性というものも、研修を受ければ得られるというものではありません。どうも世の中全体が目に見えないけれど大切なもの、今は無駄と思われるけれど本当は大事であるまわり道のようなものを軽視して、勉強ができるようになる即効薬や子どもを喜ばせる即効薬ばかり求め、ゆっくりと時間をかけて感受性を育てるということはあまりやられていない、このままいったらどうなるのか恐ろしい気がします。

船戸:即効薬ということの例で象徴的なことがありました。昨年の夏休みでしたか、保護者会で毎日日記をつけさせてくれという要望がだされました。これは毎日日記をつければ文章を書くことが上達するだろうという非常に単純な発想からでてきたのでしょう。しかし今の子どもたちをみていると、それにクラブに来ている子は小学校低学年でもあるし、日記をつけるという作業をさせるよりもまず日記に書くべき内容をもつようにすることが先であると思うのです。書くべき内容というのは、いろいろなことを見たり聞いたりして感じとる心がなければ生まれません。だからまず感じる心を育てることなしにどうしていい日記が書けるでしょうか。反対に感じる心があれば、文は下手でも訴えるもののある魅力的な文章が書けるのだと思います。このように感じる心という根元まで考えることをせず、文が上手になるための即効薬は日記をつけることだとうすっぺらなところで結論をだし、先へ先へと子どもをせかしてしまう。だから無気力な子どもができてしまうのではないでしょうか。

荒井:自分は日記などつけていないくせに、子どもにはつけろと言う。そういう大人の神経はどうなっているのでしょうね。

本橋:そうそう、自分は本など読まないくせに、子どもには読めという。そういう自分こそ読みなさいよと言いたい。

藤本:あるところに自分のへん平足は治そうともせず、子どものへん平足を治すことに夢中になって、自分はとばずに子どもだけ跳び箱を飛ばせる保母がいました。(笑い)その保母のことを「自分抜きで語るから際限なくのせても平気でいられてしまう」と言った人がいましたが、「日記書かせ」などはそんな状況を思い浮かべます。自分を掘り起こす作業、そして掘り起こした自分、あるいは他人、あるいは物をつかまえて引き出してやる力が、感受性を養うということには必要だと思います。現在私たちは、外部からたくさんの情報や理論が洪水のように押し寄せる社会に生きています。それらをいったん自分で受け止め考えるというプロセスを大事にしないと、与えられるだけで流されていってしまうことになり、それが「自分抜きで語る」ことにつながっていくのかもしれません。(一同、うなずく。しばし沈黙)

(つづく)
[PR]

by lumokurago | 2010-05-26 22:34 | 昔のミニコミ誌より
<< 内海さんからの写真 新春放談その1 >>