暗川  


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新春放談その3

荒井:広野さん、発言がありませんがどう思われますか。

広野:私は新人でまだよくわかりませんので、さっきからどなたのご意見ももっともだとうかがわせていただいています。

久保田:それから子どもをおけいこごとに通わせることも、即効薬を求めすぎていることのあらわれなのではないですか。スイミングクラブに通わせることは即身体を鍛えるためだし、ピアノに通わせることは音楽的な感覚を養うとか情緒の安定のため。けれど子どもの身体を鍛えるために人工的なプールに入れて一斉に泳がせる光景を思い浮かべると何か寒気がしませんか。(「ぞっとする」の声あり)戦争中の軍事教練と言ってはオーバーだけど、いい値がつくように磨きをかけられている競り市の牛や馬を連想してしまいます。たとえが悪いけど。

船戸:そのうえ、レジャー産業をもうけさせているんだからよけいしゃくにさわるわね。

荒井:それに中には週に3回位もやれ算盤だ、ピアノだ、塾だと追い回されている子がいて、そういう子は遊ぶ時間が足りなくていつもキリキリしています。落ち着いて思い切り遊ぶ時間がない子が情緒不安定になるのは当然のことで、情緒安定のために始めたはずのピアノが逆効果になってしまうこともあります。(「そうそう」「そうだね」の声)

久保田:私は、おけいこごとをさせるということは、確かに上達が目に見えるから子どものためになるように見えるけれど、それはただ技術が上達したということなのであって、子どもの感性を養うこととは別のものだと思っています。子どもの感性を養うということは一体どうすればできるのか、私にもわかりませんが、今言えることはおそらく目に見えるものよりも目に見えないものを大切にすることから生まれるのではないか、すぐに何かができるようになることを期待する必要はなく、もっと長い目で見なければならないのではないかとそんなことを考えています。それから大事なことは、感受性という人間の「もと」がしっかりできていれば、あとのことはいつでもできるし、放っておいてもいいけれど、その「もと」を作ることは人間として生まれたごく初期にしかできないということです。だから私は大事なその時期におけいこなどをとりいれてあわただしくするより、「もと」さえ作ればいいのだからとゆっくりあせらずやっていく方がいいのではないかと思うのです。(一同、うなずく)

船戸:同感です。クラブの父母で子どもに原爆の絵本などをよく見せる人がいるのですが、その人をみているとただ知識として教えているような気がしてなりません。それも悪いとは言いませんが、大切なことは原爆を知識として教えることではなく、子どもが原爆を知って感じる心をもっているかどうかではないでしょうか。その「もと」さえしっかりしていれば、いつか原爆を知った時にちゃんと感じることができるのだと思います。

土井:知識ということで思い出しましたが、このごろ科学絵本というものがありますね。虫や植物などについて詳しく絵入りで説明してある。あんなものを子どもに見せるということは大人は一体どういうつもりなのか怒りを覚えます。東京には虫もめったにいなくなった。花だってそうです。学校でも理科のテストでレンゲ草とか子どもが見たこともない花の名前を書かせるものがありますが、そんなテストを平気で使う教師の気がしれない。アブラナのおしべは何本、めしべは何本なんてことを教えるよりも、一面の菜の花畑に一度でもいいからつれていってやりたい。あきるまでレンゲをつませてやりたい。カブトムシにもさわらずに、まあ、このごろは店で売っているのでさわってはいるでしょうがそんなものはよけい悪いし、本で足が何本か覚えても、子どもの感受性は損なわれてしまう一方だと思います。(一同、ため息をつく)

荒井:いつまで離しても話し足りませんが、そろそろ時間が来ましたのでまとめたいと思います。今日の話し合いはいつも子どもが変わったと嘆いたり、社会を批判している私たち自身も自分の仕事をふりかえってみるとその責任を問われるのではないか、世間が即効薬ばかりを求めている中で私たちはもっとじっくりと腰を落ち着けた指導をしていこうということだったと思います。
今日は寒い中どうもありがとうございました。

広野:今日はとてもいい勉強になりました。

船戸:言いたいことを言いたい放題吐きだしたのですっきりしました。
またこういう話し合いの場をもちたいですね。

*****
 私は子どもたちと、子どもたちをどう育てるかに心をくだく親たちのために、「感じる」ということが「知る」ことよりずっとずっと大切なものだということを伝えたい。もしも事実というものが後になって知識や知恵というものを生み出してくる種子だとすれば、情緒や感覚がとらえるさまざまの印象は、そこに種子が育つべき豊かな土壌だということになります。幼少な時代というものは、この土壌をよく耕し用意する時期です。

 ひとたびこれらの情緒(感じる心)が呼びさまされ―美しいものがわかり、新しい未知なものに驚き畏敬の念をもち、共感と憐れみ、讃美と愛の心が目ざめるなら、それからあとで、私たちはそうした情緒がとらえたものについての知識を教えることができるのです、一度子どもたちがそういうことを自分で見つけだすことができれば、それは永続的な意味をもつものになります。子どもたちにその用意ができていないままに、何かを教え込むよりも、子どもたちに知ろうと欲する心をもつような道をつけてやる方がはるかに大切です。

レーチェル・カーソン 『驚畏の心』より
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by lumokurago | 2010-05-27 22:35 | 昔のミニコミ誌より
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