暗川  


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あめふり放談 その2

広野:話を戻します。田上さんのクラブではコマやけん玉の検定制度を取り入れているそうですが、そのうちうちのクラブでもやってみようかなと先輩の村井さんがおっしゃっていたのでどんな様子か聞かせて下さい。

田上:段階を追ってできるようになるということ、級が上がっていくことが子どもたちには励みになっているみたい。また、みんなで一つの遊びに取り組むということも仲間意識を育てる上でいいことなんじゃないかなと思っているの。今までコマには全く関心を示さず、いつもひとりでいたA君が検定を始めてから熱心に練習するようになって集中力もついてきたし、このごろは小さい子にヒモの巻き方から教えるようになったのにはびっくりしたわ。

荒井:ちょっと待って下さい。今の子どもたちが遊べなくなっているというのはわかるけど、だからといって大人が子どもの遊びにまで立ち入って、その上評価までするというのは、いくら動機や目的がよくても私は何か抵抗を感じるんだな。そうなると単なる遊びとは違った別のものになってしまうでしょう。

土井:私は遊びに意味付けしていけばいくほど、何か怪しげな雰囲気を感じちゃうな。

藤本:そうね、いっさいの束縛からの解放が遊びだと思うから、検定制度は遊びにまでカッコつきの「教育」を持ち込んで遊びをゆがめていると思う。一方的に詰め込んだりなんでも点数で評価したり、今の学校教育の悪いところを自分から好んで真似するなんて、自ら墓穴を掘るようなものじゃないかしら。

船戸:藤本さんの言うとおり、子どもの遊びとは本来自由なもので、大人に強制されたりおぜん立てされてしまったら自由が奪われてしまい、自由でなくなれば子どもにとってそれはもう「遊び」ではなくなってしまうんじゃない。学校の授業と同じ、ただ名前が「遊び」となっているだけの「遊びという名の課題」になってしまう。遊びが課題になってしまった時、子どもたちの生彩は失われ、自主性、創造性は生まれようがなくなるでしょう。

田上:でも子どもにとっては課題をやり遂げることも必要だし、遊びを課題としてやることによって根気強さや集中力や一つのことをやり遂げる喜びなどを教えることが必要でしょう? 自由遊びももちろん大切だけど、自由に遊ばせているだけじゃ新しい遊びのおもしろさも知らずにすんでしまうこともあるし、一つのことをやり遂げるための集中力や責任感も育たないと思います。

藤本:でもなんといっても遊びにあてる絶対時間が少なすぎると思うわ。課題なんて授業中だけでたくさんよ。おまけに塾やおけいこに通わされて。以前読んだ国分一太郎さんの本に「人生のうちで性と時間に拘束されないという意味で輝ける自由な時代は子どもの特権である」と書いてあったけど、まったく同感だわ。現代は子どもたちの自由が最も輝きを失って干からびている時代じゃないかしら。勉強やけいこごとで子どもの自由な時間を奪っておいて、競争によって友だち関係を引き裂いたら遊べなくなるのも無理ないと思うわ。子どもたちに自由な時間と遊び仲間を返してあげたら、遊べない子どもなんていなくなると思うけどな。

田上:でもクラブの仕事をしていて、この職業でお金をもらっている以上、子どもたちが喜んでクラブに通ってこられるように努力しなければならないと思う。たまには行事を組んで日常とは違ったひと時を持たせてやりたいし、遊べない子がいれば遊びを教え、遊ぶことの楽しさを十分に味わわせてやりたい。この仕事をしている以上、子どもに対してそういう気持ちを持つのはごく自然なことなんじゃない?

和泉:うちのクラブでは「みんなで遊ぼう」という日を設け、今は週に1回、みんなでラケットベースをしているけど、初めはいやがっている子もボールが打てたりすると途端に生き生きとした表情を見せ、次からは喜んで参加するようになったりします。もし「みんなで遊ぼう」という日を作らなければその子がラケットベースが好きになることもなかったかもしれないし、そう考えるとそういう場の設定を職員がしてあげることは大切だと思う。

船戸:私は大人が場を設定して子どもの遊びを管理・操作することは本質的に間違っていると思います。和泉さんのような話を聞いても、私はその子の変化を安易に成長とは結び付けられないように感じるの。子どもが生き生きしたというのは、それはそれで本当のことだろうとおもうけど、それは表面的な変化にすぎず、子どもの心の奥まで響いていると思うのは大人のおごりではないかしら。その変化も大人が操作した結果でしょう? 逆に万一、それが子どもの成長につながっているのだとしたら、成長まで大人が管理することになり、それはとても恐ろしいことだと思います。
私は子どもは大人の操作などにかかわりなく、自分の力で成長するものだと思っているけれど、いつも大人におぜん立てされ受身の形でしか物事を考えられないようになると、今に自分で成長する力も失って本当に成長まで大人に管理されてしまう子どもができあがるんじゃないかと背筋の寒い思いです。

田上:私たちは子どものためを考えて日々いろいろ悩みつつ努力しているんですよ。それを「管理・操作」と言われるなんて心外です。

和泉:子どもの遊びにヒントを与えたり、励ましてやったり、成長を援助しようとすることと、「管理・操作」とは全くの別物ですよね。船戸さんは全然違うことを言ってるよ。

荒井:私も「管理・操作」という言葉はおかしいと思うなあ。だってこちらにはそんな気は全然ないんだから。

土井:私はひとつの遊びを設定してみんなでやればそれなりに楽しいし、子どもたちそれぞれが生き生きとしてやっている状態は、大人がはたらきかけた結果であっても悪いこととは思わない。ただ何もそれをいちいちもっともらしくとりあげて、仲間意識が育ったとか遊びを教えたとかおおげさに言うほどのものでもなく、学童クラブにおいては日常茶飯事のような気がしますが。

荒井:代替に行ったときに、私が「ドッチボールしよう」と言ったら子どもたち全員がそろって始めたんだけど、遊んでいるうちに一人二人とクラブ室のほうへ行ってしまうわけ。そうすると他のやっている子たちが「みんなで遊んでいるのにわがままだ」とぶつぶつ文句を言いだすの。それで私が「ドッチボールやりたい子がやっているんだからいいじゃない。自由に遊んでいいんだよ」と言ったら、ほとんどの子が抜けて他の遊びに行ってしまったことがあったんだけど、職員が「みんなで遊ぶことがよい」というふうに設定してしまえば、子どももそのように思いこんでしまう・・・私は子どもを育てるということの中にはそういう風に大人の思い込みが育ってしまうという面があるから、とてもこわいと思ってしまう。

船戸:思い込みと言えば、子どもはいつも生き生きしているものだとか、一人で遊ぶよりも大勢の仲間で遊んだ方がよい、ダイナミックな遊びはいいけど、天気のいい日に室内で一人でこちょこちょ遊んでいるのは子どもらしくない・・・などという思い込みが強い指導員が多いように感じます。でも毎日毎日楽しく元気いっぱいに遊ぶなんてあり得ないと思わない? 大人でも心の状態のいい時もあれば悪い時もあるように、また、いくら本が好きな人だって読む気にならない気分の時もあるように、子どもだっていつも同じ気分でいるわけじゃないのだから、強制的にみんなに一つのことをやらせるなんて人権無視と言いたくなってしまいます。子どもだって毎日が同じように楽しいなんてことはない。つまんない時もある。でもそれはそれでいいと思いますがいかがですか?

田上:でも誰にでも自分の理想とする子ども像があって、できるだけその理想像に近づけるように育てていくものだし、クラブでの運営も同じだと思います。どういう子どもに育てたいかという方針は絶対必要だし、その時指導員の思い込みが強くなるのはむしろ自然なことなんじゃないの?

船戸:「どういう子どもに育てたいか」という方針が必要なことはよくわかるし、私だって持っているけれど、自分の思い込みを子どもに押し付ける前にその子のありのままの姿をそのまま全部うけいれてやらなければならないということを言いたいのです、その子がどんな子であっても、まるごと腕の中に抱きかかえてしまうの・・・うまく言えないけど。そんなふうにその子をかかえこんだ時の思い込みとかかえこんでいない時の思い込みとは質が違うと思う。

広野:一人ひとりの子どもを大切にするー本当の意味でーということがポイントのような気がしますが・・・。

(つづく)
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by lumokurago | 2010-05-29 21:28 | 昔のミニコミ誌より
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