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もう一度だけ後藤昌次郎弁護士の言葉

 後藤昌次郎弁護士は「故郷の先人たち」の一人として宮沢賢治に言及しています。宮沢賢治は自己犠牲をテーマとした童話をいくつも書いています。賢治は、人間はほかの生き物を殺さなければ生きていくことができないという人間の生存そのものの宿命を、自分の生命と生存そのものを否定する自己犠牲をもって償おうとします。後藤弁護士はその自己犠牲の精神について、かくありたいと祈ることは崇高で美しいことかもしれないが、これを人間のあるべき生き方とすることはできないとしています。

 賢治のほかの自己犠牲をテーマとした作品では、生きるためには他の生き物を殺さなければならないというどうすることもできない自然の掟ではなく、人間が起こす戦争が背景となっています。「からすの北斗七星」で、戦いの前の晩、からすの大将は次のように祈ります。

 「ああ、あしたの戦でわたくしが勝つことがいいのか、山がらすが勝つのがいいのかそれはわたくしにはわかりません。ただあなたのお考えのとおりです。わたくしはわたくしにきまったように力いっぱいたたかいます。みんなみんなあなたの考えのとおりです」

 そして戦いに勝った後、敵の死骸を葬ってこう祈ります。

 「ああ、マジエル様、どうか憎むことのできない敵を殺さないでいいように、早くこの世界がなりますように、そのためならば、わたくしのからだなどは、何べん引き裂かれてもかまいません」

 戦没学生の手記を集めた『きけわだつみの声』という本に佐々木八郎という人の「愛と戦と死ー宮沢賢治の烏の北斗七星に関連して」という文章が出ています。上記のからすの大将の言葉に共感した後、佐々木さんは続けてこういいます。

 「もちろん、僕は戦に勝つ方がいいか、負ける方がいいかを知らないとはいわない。どの民族もどの国家も、全力をあげてその民族、その国の発展をはかってこそ人類の歴史に進歩があるのだと思う。あくまで、積極的に戦いぬくべきだと思う」と。

 *****以下、後藤さんの言葉です。

 ここでは戦は宿命ととらえられています。それが殺し合いにほかならないこと、誰が何のために起こしたのか、自分たちの力でくいとめることができないのか、という問題意識はまったくありません。ひとりひとりの殺されたくないという気持ち、殺したくないという気持ち、殺し合いをしないで互いに仲よく暮らしたいという気持ちは、国家とか民族とか戦争という言葉の前に無力であり、麻痺されています。戦争は至上命令であり、宿命であり、国民は全力を尽くして戦うほかないのだ、いや、全力を尽くして戦うのが当然なのだ、という考え方に支配されています。

 (略)*****引用ここまで。 
 
 後藤さんは佐々木さんより1歳年下の「戦中派」で、「戦中派」は佐々木さんと同じ考えのとりこになっていました。そして後藤さんは、大正デモクラシーの時代に生きた賢治でさえが、美しい心の持ち主の彼でさえが、美しく見える祈りが実は人間を戦争に駆り立てる呪いに縛られていることに気づかなかったのだと指摘しています。

 それから、沖縄やソ連の侵攻に対して軍隊は国民を守らなかったこと、軍部は、国民の生命よりも国体護持、国家体制の存続を重しとしたことを述べ・・・。

 *****以下後藤さんの言葉

 軍隊は、外敵から国民を守るためにあるのではありません。国家を守るためにあるのです。ふるさととしての国ではなく、国家権力としての国を守るためにあるのです。そして、自衛という名の侵略の手段となるのです。こうして、国民は戦争の被害者となり、他国民に対する加害者にさせられます。ここにも常識の第二の盲点があります。

 烏の大将の祈りでは、戦争は祈るしかない宿命ととらえられています。人間は、生きるためには他の生き物を殺さなくてはならないことが宿命であるように、人間同士の殺し合いにほかならない戦争も宿命ととらえられています。しかし、戦争は、食物連鎖という自然の掟の下にある自然現象ではありません。人間の意志と力によっておこされる社会現象です。国家権力や軍隊によって遂行される大量虐殺です。人間が起こす戦争は人間が消滅させることができるし、消滅させなければならない。これを宿命としてあきらめるのは常識の第三の盲点です。(第一の盲点は故郷としての「くに」と国家権力としての「国」の混同)。(略)

 あえて繰り返します。国家の存在理由は、国民の生命・自由・財産・幸福追求の権利を守ることです。ところがこれと反対のことを国家がする。国民にその生命・自由・財産・幸福追求の権利を犠牲にすることを強制する。その最たるものが戦争と冤罪です。そのようなことがあってはならない。憲法が戦争と軍隊を放棄し、平和に生きる権利を謳っているのはそのためであります。

 平和に生きる権利、つまり、殺さず殺されず、人を殺したり人に殺されることを国家に強制されない権利、これを基本権として保障する平和憲法を守ること、そして平和憲法の精神を世界にひろめること、このことこそが大事であり、真に世界平和に貢献する道ではないでしょうか。

以上
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by lumokurago | 2010-07-08 22:03 | その他裁判関係
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