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北海道家庭学校

 本や書類を整理してかたっぱしから処分しています。そのなかに1970年代後半に『暮らしの手帳』に掲載された北海道家庭学校校長の谷昌恒さんの文章がありました。北海道家庭学校は教護院です。谷さんは『ひとむれ』(評論社)という本(シリーズになっている)に、子どもたちの作文とそれに対する評を載せて、子どもを育てることについて根本的なことを書いています。学童クラブで働き始めた私にとって、それは座右の書でした。子どもに関わる仕事をしている人たちにはぜひ読んでいただきたい本です。ここでは、「私たちは子どもをどんな人間に育てたいのか」と題された一文から少し引用しておきます。(ただ捨ててしまうのがもったいないので)。

 *****以下引用

 「私たちにとって、形にあらわれた少年の非行は問題ではない。万引き、空巣、シンナー、家庭内暴力。いろいろなことがある。しかし形にあらわれた非行が問題ではない。どうしてそのようなことをしたのか。せずにはいられなかったのか。その心を知りたいと思う。私たちの仕事は少年の心の内側を知るところから始まる。

 赤ん坊がアンアンと泣く。熱があるのか、お腹が痛いか、肌着に棘でもささっているのか。何かがあって泣くのです。その何かをさぐり当てることが必要なのです。泣くな泣くなと、赤ん坊を叱りつけるだけでは仕方があるまいと思うのです。

 非行は少年の自己主張です。非行は訴えでもあるのです。本校で学ぶ少年たちも何かを訴えているのです。私の仕事は、今の世の大人の一人として真剣にその訴えに耳を傾ける、大人の一人としてじっくりとその訴えを考える、そのうえで、大人の一人として、はっきりと答えを返すことだと思っています。私たちは先に生まれ、長く生き、それなりの苦しみをつみ重ねてきました。言うべきことはいっぱいあります。

 心を見る目で少年を見る。物を見る目では人間の心は見えないのです。物を見る目では、形にあらわれた少年の非行しか見えないのです。私たちの第一の務めは、心を見る目を養うこと、心を聞く耳をとぎすますことだと思います。心を見る目、心を聞く耳、それらは到底言葉では説明のできないものです。昔の剣士がいくたびか真剣勝負を重ね、白刃をくぐって次第に力を蓄えていく。そうしたものだと思うのです。いつ、どこで、どういう力がついたのか。そのことを言葉で表すことはできまいと思います。

 同非。相手の心の悲しみに深くわけ入っていくこと、同じ悲しみを悲しむこと、その志が大切だと思うのです。半日、一日、本校で少年たちと生活を共にした人人は、「みんな普通の子どもですね」と言います。本校の少年たちの素直さが認められた意味で、その言葉を嬉しいと思います。しかし、なんとも辛い言葉だと思うのです。

 それは、問題児、非行児、いわば問題行動をおこした異常な人間類型を想定している言葉です。そんな人間はどこにもいないのです。ごく普通の子どもが、問題の行動を起こすのです。起こしうるのです。落し穴があれば、私たち人間はいつでも落ちます。ここの子どもたちは、その落し穴に落ちたのです。そうした立場に追いやられた子どもたちの悲しみを知ることが大切だと思います。何かが見え、何かが聞こえてくるようになるのです。

 (家庭での子どもの役割分担がなくなったことについて述べたあとで)
 「親子の対話というものは、そもそも、言葉でする対話などではなくて、生活の流れの中で、たくさんの事実の中にこめられている何かが、言葉よりも雄弁に語りかけるものだと思うのです。その何かが次次と滅び去っていって、その埋め合わせに言葉をもってする対話を盛んにしようとしても、無力なあがきのようにしか思えないのです」

 (「戦後第三のピークと言われている、現代の子どもの問題は、どう考えても、その原因が繁栄そのものにあるとしか思えません」と述べた後で)
 「親たちは今、しきりに子どもたちの困難を取り除こうとするのです。それが親心と思い、いじらしいまでの気のつかいようです。しかし子どもから困難をとってしまったら、子どもの個はしっかり育たないでしょう。・・・略・・・辛いこと、苦しいことは、あるよりはない方がいい。しかし、そうとばかりは言い切れないのです。・・・略・・・今ある自分は辛いこと、苦しいこと、悲しいこと、悔しいこと、たくさんのそうした経験の中で、考え、悩み、学んできた、それを糧として育ってきた。決して、面白おかしいことだけが自分を育てたのではない。それは道理の不思議さとしか言いようのないことですが、辛いこと苦しいこと、すべてないよりはある方がいいという半面もあると思うのです。・・・略・・・涙が人を育てるのです」

 「(教育の)条件が整わないよりは、整った方がいいにきまっています。しかし、教育の現場にいて、生きた人間の事実に触れて、ととのっているよりは整わないほうがいいこともあるという、もう一つの真実の面を見落とすわけにはいかないのです。・・・略・・・条件が整っていなければ、自分で条件を整える、自分で道を開く。その構えが子どもを大きく育てるという事実を、私は十分に知っています」

 「今日の子どもの問題は、私たちの生活全体のあり方が深く問われていることだと思うのです。いい加減な答えですますわけにはいかないように思えるのです。繁栄は時に滅亡に通ずることを、現代の社会に生きる一人として、厳しく自覚したいと思うのです」

 以上引用。「私たちは子どもをどんな人間に育てたいのか」 谷昌恒著
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by lumokurago | 2010-07-15 22:54 | 子ども・教育
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