暗川  


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豊前環境権裁判第一準備書面 その1

 むかし、本を読んでいて好きな文章に出会うと、延々と書き写していました。本を処分しようとして、私がいましていることはそれと同じことなのだと気付きました。文章が好きで好きでたまらないのです。

 豊前環境権裁判第一準備書面 その1

 昭和48年(ワ)第612号
 火力発電所建設差止請求事件
 原告 伊藤龍文ほか6名
 被告 九州電力株式会社

 一羽の鳥も、一群の草も

 一羽の鳥のことから語り始めたい。

 ビロウドキンクロ。ガンカモ科に属する冬の渡り鳥で、遥かなシベリア方面からこの豊前海沿岸にやって来る。静かな内海の浅瀬で貝類をあさり、潜水も得意である。遠い酷寒の地から、ひたぶるに飛来した、この小さな鳥の姿をみつめていると、「本当によく来たね」と呼びかけたい親しみがこみあげる。来年冬、また懸命に飛翔して来たこの可憐な鳥が、明神が浜に降り立とうとして、すでにそこが海岸ならぬ埋立地と化していたときのとまどいを思うとあわれである。豊前火力建設が押しすすめようとしているのは、そういうことである。

 それは例えば、次のようにいうことも出来る。即ち、法的にいえば、これは、「日ソ渡り鳥等保護条約」を明らかにないがしろにしているのであり、国際信義にもとることだと。同条約が渡り鳥等の生息環境の保護をうたっている以上、それに逆行する明神埋立は、まさに申しひらきの出来ぬ同条約違反であるからだ。

 だが、私達が語りたいのは、そのような条約に触れる触れぬの論ではない。なによりも、可憐な渡り鳥そのものへのいとしさに執してこそなのだ。しかして、このような<いとしさ>の心情はしばshば勝手に忖度(そんたく)されて、かくもささやかな心情は、豊前火力建設等という巨大問題に比すれば、歯牙にもかけえぬうたかたの如きものとして抹消され勝ちである。そのような価値判断は、人間の尊厳の否定である。

 もし、一個の人間が、「私は火電よりも一羽の渡り鳥をこそ尊く思う」といい放つなら、その一個の心的宇宙に、誰が踏み入ってそれを逆転させえようか。人は己が心の内側を守る為には自ら死さえ選ぶというのに。しかり、私達は、あくまでも己が心情を大切に貫かんとして、豊前火力建設反対に立ち上がっているのだ。これまで開発問題、公害問題で人の心情的主張がほぼ完全に抹消され続けてきた歴史的事実を思えば、あまりにも異常である。ヒトが人たるは、その心情のゆたかさに尽きよう。その心情をなぜに人は開発問題に関しては抹消してしまうのか。

 私達がこれから述べ続けることは、ひたすらに自らの心情の流露である。それを、本件訴訟の主張として、些末という人がいるなら、まさにそれは人間の尊厳の否定だと私達は受けとめよう。心情に拠る主張が、果たして科学論拠に比して、あまりにも恣意的としてしりぞけられねばならないものであろうか。

 一体、私達はなぜあの明神が浜に遊ぶビロウドキンクロやシラサギやユリカモメはシギやセキレイをいとおしく思うのであろうか。それは、所詮分析解釈できぬまでに本能的な心情の動きであろう。そして、可憐な小鳥を愛するそのような心情は、おそらくは、ホモサピエンス幾万世代を経て形成され細胞因子に潜在化せしめられて来たものであろう。とすると、その確かさは、あるいいはなまなかに形成された近代科学以上のものを見抜いているやもしれない。ひょっとしたら、小鳥をいとおしむココロがあるゆえに、人類は生息しえてきたのかもしれぬ。そのココロを喪失するとき人類は滅びるのかもしれない。
 
 私達は、自らの心の内に湧く、自然の郷愁を想うとき、己が感情の中に自然を畏敬し自然の中で生きた遥かな祖先のぬくい血をふと感じるのである。

 シチメンソウについても語りたい。

 あかざ科に属するこの塩生植物は、わが国では北九州南曾根から大分県の豊後高田の間を唯一の自生地とする朝鮮満州系植物である。古代(第3紀頃)日本と大陸が継続的に地続きであった頃の名残りであり、今も仁川の河口や熱河省には果てしなく拡がるシチメンソウの大群落があると聞く。それと同じ植物が明神の浜辺で泥をかぶり海水に浸りながら、気の遠くなるほどの地球的時間を生き抜いていることに私達はいいしれぬ感動を抱く。すでに曾根地域のシチメンソウが昭和10年頃の干拓、更に飛行場造成等によってほとんど滅ぼされてしまっていることを思えば、明神のシチメンソウよ、なんとしても生き抜けと熱い思いで励ましたくなる。ましてこれらを踏みしだく明神地先39万平方メートルの埋立てを私達は許すことはできない。

 私達は、豊前火力の公害を告発すべく鳥や草のことから語り始めているのだ。鳥や草がほろぼされるなど、とても公害などとはいえぬという者と私達はついに無縁であろう。私達は生きて死んで行く。仮に、過ぎていく地上でその宿りの場としての自然を、己が一代で破壊することの誰に許されるのか。祖先から受け継いだ自然は、子孫に出来るだけそっくりと引き継ぐべきだと信ずる。大気や山や海やいうに及ばず、鳥や草にすらそのような思いは及ばねばならない。鳥や草を残すことがなぜそれほど尊いかを、科学的論拠で証せよと迫られるとき、そのような面倒なことをいう前に私達には唯一の答がある。--即ち、鳥も草も祖先とともに共存してきたものなれば、私達もまたその共存関係を子孫に引き継がねばならぬと考える、という単純で誠意に満ちた答えである。

つづく
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by lumokurago | 2010-07-19 18:05 | その他裁判関係
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