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豊前環境権裁判第一準備書面 その2

 長いので途中を少し飛ばします。

 海ーーいのちの母

 海が母の字より成るは、太古、最初のいのちを妊んだ海への古人の畏敬であったろう。その母への凌辱の今やとどまることを知らぬ。豊前火力建設の為の明神地先39万平方メートルの埋立てを、私達はいのちの母への凌辱として、自らを楯としても阻止する覚悟である。

 豊前海は、瀬戸内海の西端、周防灘に属する海域である。瀬戸内海沿岸がガン細胞の如く増殖した埋立地におおわれて、大工場群を形成している中で、さいわいにして、福岡県行橋市から大分県国東半島に至る海岸線は、巨大埋立てをまぬがれ、ひとつの工場群もないのである。

 それにもかかわらず豊前海域の汚染状況は深刻化している、これは山口県側の周南コンビナート等の汚染の回流によるものと考えられる。周防灘の潮流を見るに、豊後水道から押し入る大量の上潮流(約90%)は、伊予灘を経て山口県沿いを通る本流となり、周南コンビナート群(徳山・下松・宇部・小野田)の大量の工場廃水を運ぶことになる。この本流は、灘の西端関門に突き当れば、一部は福岡県側に方向を変え、ついで下潮に乗って沿岸沿いに南下し次第に方向を東に変えていくが、その流れは緩慢であるから次の上潮で一部は再び押し返される。かくて汚染水は停滞し、底質も極度に悪化してくる。

 豊前海18漁協は、明神地先埋立てに賛成したが、それは真に歓迎しての賛成ではなく、前記の如き理由による豊前海の汚染の進行に絶望し、いくばくの保証金で海を放棄せざるを得なかったからである。

 だが、まことに自明なことを述べるのだが、漁業者が放棄したのは漁業権に過ぎない。埋立海域で漁業を営む権利を放棄したに過ぎない。しかして、海は厳然として残るはずである。海そのものを売買する権利などは誰にもありえない。もともと漁民に与えられているのは、海で漁を営む権利であり、海そのものを所有する権利ではない。漁業権の放棄されたあとの海は、誰のものなのか。それは誰のものでもあるまいし、同時に誰もの共有物であるだろう。私企業が、漁業権を買い上げたからといって、それがあたかも海そのものをまで買い上げたかの如く専横に海を埋め立てることが許されるとはあきれ果てるばかりである。

 よろしい、そんなに埋め立てたければ、漁業権に加えて、海そのものをも買い上げていただこうではないか。しかして、海の価値は巨億である。豊前海明神地先の海39万平方メートルの価値は、どのように算定されようか。漁業権の放棄は、漁民にとっては生活圏の放棄だが、それは同時に私達にとっては食糧としてのタンパク源の喪失である。明神地先は、前項の藻場として、魚類の産卵と生長の場であり、これの喪失は、豊前海漁業に少なからぬ打撃を与え、それはひいては、私達のタンパク源の減少である。その価値の算定はいくらに換算すればいいのか。

 あるいはまた、一人の人間が海岸にたたずんで安らぎを得るという心情の働きは、どのように価格換算されうるだろうか。日々の生活に疲れ、打ちひしがれて海岸にたたずんだ者が、おだやかに光る海面をみつめるうちに、湧然として生きる活力を蘇生せしめたとすれば、その時の海の存在の価格は、その者にとって敢えていえば百万円どころではあるまい。

 かくの如く一人一人にとって海の価格ははかり知れぬのである。海岸にたたずんで海に慰めをうる者、海から啓示をうる者、汐干狩りを楽しむ者、海水浴を楽しむ者、一人一人の心の受けとめようで、その価格は絶大である。そして、海は万人に対して開放されているはずであり、更には、私達の後に続く子孫にまで開放されているはずであれば、まさに価額は、無限倍されねばならぬのである。それにとどまらぬ。現今の価額がまだ認知しえていない精妙な作用で、海は自然界に寄与していることは十分に察しられるのであり、そこまでを測らんとすれば、もはや海の価額は、私企業の支払い能力を超えての巨億である。
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by lumokurago | 2010-07-20 15:58 | その他裁判関係
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