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暗川  


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by lumokurago
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Dr.Aとのメールより その6

Dr.Aより  8.13

 こんにちは。赤軍派の彼らは基本的に革命を信じていたでしょう。そして、その信仰心をお互いに確認し合っていた。総括と言っていたようですが、スケープゴートが必要だったのではないかしら。総括が上手にできないとスパイ、反動というレッテルを貼られ粛清されたのでしょう。そういうのはスターリンが始まりかな。オーウェルの1984にも最後は改心して従順に処刑を受け死んでいくような場面があったとおもうのですが、総括は反省じゃ駄目で、前向きでなくてはならないようですね。悪かった、すみませんではなく、今度はさせる側にまわり、本当に総括できたかを見せてみろといわれ殺すという。この繰り返しだったでしょう。批判は即死刑でしょうから、できませんね。左翼の殺し合いはスターリンで十分ですが、人間の本質疑心暗鬼がそうさせたのかな。性悪説ですけどね。

 日本の共産党も似たような事件を起こしていますね。宮本顕ニは殺人者であると、今、巷をにぎわせている浜幸が言ったことがありましたが、どう考えてもその通りなんですね。徒党を組み権力に追いつめられると、誰でもそうなってしまうのでしょう。人間の脳にはそういう仕組み・攻撃性があるのでしょう。

 人間はそれほどお利口じゃないという意識でいないと、皆本能に負けておかしな方向へ行ってしまうのじゃないですかね。それが理論化されてくると、さらにおかしくなってしまう。人殺しも平気になるのですね。人間は理論に弱い。人間と言うのは動物で猿より少しましな程度であると抑制的になっていないと、馬鹿ですから、結果を観て後悔すると言うことになる。憲法前文に、人間の程度というものを書いておくのが良いですね。国連憲章にも。あるいは、はっきりと人間は馬鹿であると規定しておくべきかしら。私は馬鹿という単語が好きになっています。

 現代社会はベンサムのパノプチコンで、誰も判らないように何かにコントロールされているのでしょう。そういう構造をもっている。しかも、これを変えることはできないのですね。何故なら権力の正体が政府でも、官僚でもなく、末端機構と言われる警察でも裁判所でもないので。結局我々は自分で自分の首を占めている。これが管理社会における権力の正体ではないかという。権力は上ではなく下から来ると言ったのはフーコーです。この状況は民主主義ではかえられないし、当然革命でもかえられないし、とうぜんテロルでも駄目です。

 絶望的ですね。結局慰め合うしかないというのが私の結論です。

 何年か前に瀬戸内海の島が売りに出されていましたね。無理すれば買えない値段じゃなかったので欲しいなと思いました。しかし、現代社会から逃れてその島を所有しても結局は日本の国の中でしかなく、法律などでがんじがらめの状態であることに変わりないのです。その島に誰も来なければよいのですが、役人や警察は必ず来るでしょうしね。それを買った人がいたと聞きましたが、維持管理が難しい様子で買わなくて良かったと思いました。管理社会に慣れた私たちは、管理されるのは上手ですが、管理するのは苦手でしょう。

 諦めましょう。諦めるのは悪いことではありません。トマス・モアの「ユートピア」はどこにもないという意味でしたね。昔から解っていたのですね。下伊那の方言で仕方がないを「ショーねー」と言います。皆「ショーねーなー」といいました。こういうと諦められたのですね。モアも殺された時はショーねーなーと思ったのではないでしょうか。

渡辺より  8.14

 母のこと、お返事ありがとうございました(注:別メールです)。去年の11月末に大腿骨頚部骨折で歩けなくなりました。歩けていたときは日常生活は自分でできていたのですが、テレビや音楽はもうわからなくなっていました。ほかにやることがないので1日に何度もバスででかけ、同じバスに乗って帰ってきていました(それ以上のことをすれば迷うということを自覚していた)。歩けなくなってからは「何すればいいの?」が口癖になってしまいました。デイサービスに行けば適応しているのですが、うちでは何もすることがありません。ときどき奇声を発するので、私が「抒情歌」を歌うと少し一緒に歌いますが長続きはしません。散歩にでかけても楽しめず、「早く帰ろう」を繰り返します。能力が相当落ちていると思います。ゆうべ一晩目がぱっちりだったのに今日も騒ぎ続けましたが、さきほどやっと薬で眠りました。何もすることがなくて(何もできずというか楽しめず)一日中ベッドの上で天井を眺めているというのも辛いだろうなあと思います。だから甘いものを飲みたがるのでしょうね。
 
 ところで・・・「タブー」なのでなかなか言えませんが、「絶望的」「諦めるしかない」ということは私もいつも思っていました。人間の遺伝子の為せる技ですね。みんなに言うと怒られるので、あまりはっきり言ったことはなく、先生みたいにはっきり言葉にする人にははじめて会いました。あと「いつ死んでもいい」と言うことも「タブー」です。私がそう言うといつも誰かにたしなめられていました。ほんとにいつ死んでもいいのだから言ってもいいじゃないか、どうして取り繕わなくちゃいけないのかと思っていました。

 私のまわりのみんなは「諦めない」が合言葉です。私は彼らには近づけないけれど、絶望し諦めていながらなぜかまだ裁判などやっているわけです。 田川建三という思想家がいて、キリスト教批判をしているのですが、『立ち尽くす思想』という本がありました。そのころ、高校時代の友人がICUに行き、洗礼を受け、私にも勧めたりしたため読んだのです。「立ち尽くす思想」とは「動かない壁の前に立ち尽くす、押し尽くす」というものです。私の生き方としてはそれしかないかなあと思い、ことあるごとに思いだしています。

 共産党が戦争中(?全共闘時代?)リンチしていたということは友人から聞いています。だから友人は共産党と中核は同じだと言っています。たしかに人間は弱い存在だということを自覚することが必要だと思います。人間の遺伝子(性悪説)に気づいていないと自覚のないままとんでもないことをしてしまうのでしょう。自分もいつなんどきそうなるかわからないのでこわいと思います。

(中略)

 長くなってしまいました。もうひとつだけ。島のことですが、日本人がフィリピンの島を買って、現地の人を雇用して観光地としてうまくやっているみたいな話があります。本もでています(読んでいません)。日本人のもっている金にまかせて好き勝手やってるみたいで、いやな話だと思っています。

 島をもらって独立するためには、いまの状況では独立戦争をしなければなりません。とてもとても無理。私がアメリカ大統領だったら、ハワイもグアムもアラスカもプエルトリコもインディアンも独立させるのになあ。

Dr.Aより 8.14
 
 こんばんは。お母様、今夜眠れるとよいですね。書きもらしたのですが夜間譫妄があるとグラマリールは必要かもしれません。その際、腸閉そくに注意する必要があります。
 
 良く分かりませんが「立ちつくす」というのはある種の諦めの表現なのでしょうか。神の存在について否定してみたものの、存在しなければ宇宙は無いだろうし、全ての説明が不可能になってしまう。そういう状況では立ちつくすしかないのかなとおもいました。わたしは、彼の本は読んでいません。適当なことを書いてしまいました。
 
 話は変わって、フーコーを読むと絶望的になってしまうのです。もう、テロルしか残っていないようで。世界のグローバリゼーションによって造られた構造は変革の余地を残していない。人間が馬鹿なので、革命など意味を為さない。信じている自称革命家は幸せですけどね。

 小惑星の衝突で、0からやり直すのが良いのではないでしょうか。ニヒリストといわれそうですね。

渡辺より 8.15

 網野先生、ご心配ありがとうございます。ゆうべはまあまあ眠りました。2時半に一度起きましたが、水を飲んで30分後にまた眠りました。暑いからと思われます。いまは夜間譫妄はないのでグラマリールはやめました。腸閉塞の副作用があるとは! それで腸閉塞になったのかも?
 田川建三の「立ちつくす」は「現実を明らかに見つつ諦めない」ということだと思います。ニヒリストの先生のために引用します。

*****

 およそこのような壁(自分の存在を限界づける壁)に直面した時に、とりうる態度は3つあります。理性的な人間ならば―というよりも、近代合理主義の意味で合理的な人間ならば―このような壁と力くらべすることの愚を悟って、さっさと逃げ出すでしょう。余計な苦労はしない。人間存在をぎりぎりの点まで押しつめてみて、その存在の権利を主張しよう、などと試みれば、必ず自分の方が傷つくものです。利巧な人間は傷つくような危険な場所には出入りしない。その結果あまり人間らしくもない、というだけの話です。詩的な人間は、これに対して、壁にぶつかった時に、壁の向こう側におのずと通りぬけられるかの如くに夢想する。壁は固く立って動かないにもかかわらず、まるでそれが空気にでもなったように夢想して、あちら側の世界を薔薇色に描く。薔薇色は美しくても、夢想の世界では仕方がありません。

 それに対して、第三の人間は悲劇的人間とでも名づけましょうか。壁の前から逃げ出すことはしない。また、できもしないくせに通りぬけたと夢想することもしない。そして、そこに壁があって人間の存在を限界づけているという事実に、無限の憤りと悲しみを感じるのです。この壁は打ち破らなければならない。だから彼は動かない壁の前に立ちつくす。動かない壁を押しつくす。そしてそこに立ちつくすことにこそ人間の高貴さを知るのです。このような人間の思想が立ちつくす思想です。

 だから、立ちつくす、ということは、決して消極的なたたずみではありません。怠慢なあぐらではないのです。むしろこれこそ積極的な革新の姿勢ではありますまいか。これこそが挫折を克服しうる思想ではないのでしょうか。動きそうもない巨大な不条理を前にしても動かずに立ちつくす者であればこそ、ついにはその壁を崩壊せしめるのではないでしょうか。社会的矛盾の壁を前にして、相手が倒れるまで押しつくすのではないでしょうか。それは決して、根源的には動かぬ壁ではない。いつかは転倒しうるものです。しかしそれには長い時間がかかる。多くの場合、人間一人の短い一生の間には、社会的矛盾はなかなか解決へ向かって動いていないように見える。人間一人の一生どころか、何世紀も動かないこともある。しかしそれを動かすのは押し続ける者たちの力です。1789年に革命の歴史の火ぶたを切ったフランスの民衆は、1世紀後のパリ・コミューンにおいて民衆の革命が何であるかを提示し、さらにまた1世紀後のこの5月に、また再び押し続けているのです。彼らの革命の伝統は2世紀もの間、真の民衆の世界を目指して叫び続けているのです。無名の民衆が立ちつくし、叫び続ける。

 このように、立ちつくす思想は息の長いものです。詩的夢想の純粋におぼれるのではないから、手を汚すことを知っている。教条的にはねあがる連中は案外詩的であって、簡単には動かない壁を前にして、結局は自分個人の思想や行動の純粋性を守ることにのみ専念し、いたずらに鋭角的に、閉鎖的になって、短期に壁の向こう側にかけぬけようとする。かけぬけられたかと思う。自分のみはかけぬけてしまったかと思いこむ。しかしまた、「はねあがり」を批判することでかろうじて自分の存在意義を示しうるかと思っているような疑似左翼の連中はもっといけません。彼らはすぐに、壁の手前に安住することを覚えてしまう。

 我々もまた、むしろ、壁の向こう側にかけぬけようとする者です。ただし、かけぬけようとすれば、ぶつかって、通り抜けられないことを知っている。だから何度でもかけぬけようとしてぶつかるのです。真に社会を転倒しうる者は、「待ち」、立ちつくし、押し続ける者です。自分の生の基本的なたたずまいにおいて「待つ」ことを知っている者ならば、自分の一生を棒にふっても、次の世代のために新しい社会を待つことができるはずなのです。 (1968年7月)

*****「立ちつくす思想」田川建三・勁草書房

 当時は多くの人が「革命」を信じていたのでしょうね。
 コスタリカでは政府がイラク戦争を支持したとき、一人の大学生がそれは憲法違反だと裁判所に訴えました。大学生が裁判に勝って、コスタリカ政府はイラク戦争支持を撤回しました。裁判費用は日本円にして1000円位でした。また、小学生が裁判所に電話で「憲法違反です」と言えば、全部調べて憲法違反かどうか判断してくれます。校長先生が子どもたちの遊ぶ校庭に教員用の駐車場を作ろうとしたのですが、これは憲法違反と判断され、中止となったそうです。
 コスタリカのほかのことは知りませんが、裁判においては日本など比較にならないほど進んでいるようです。私たちも裁判を行うことで、裁判そのものも変えていきたいと思っています。絶対に無理だとわかっているけれど、何度でも壁に対してぶつかっているのです。やっぱり馬鹿ですね。

by lumokurago | 2010-08-21 22:02 | Dr.Aとの往復メール
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