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「すさみ受容」の思想 辺見庸

 2010.9.2の沖縄タイムス文化欄より引用 (東京新聞にも載ります)。

 水の透視画法  辺見庸 「すさみ受容」の思想  千葉景子さんと絞首刑 

 (前略ー千葉さんの「おしゃれ」についての描写)みずからサインした死刑執行命令書により、その朝、刑場で二人の男がくびり殺された。千葉さんはそれにわざわざ立ち会った。ロープが首の骨を砕く音を複数回耳にし、四肢がひくひくとこまかにけいれんするのを眼にしただろうその足で、あでやかに記者会見にのぞんだ千葉景子さんは、まったく大した人ではないか。

 皇居での認証式だったか、びっくりするほどすてきなドレスをつけていて、まるでオペラハウスの招待客のようだった。その拳措まことにうやうやしく、禁中にあって千葉さんくらいふさわしい貴人はないようにさえおもわれた。いつも鏡のなかのじぶんにうっとりと見ほれているにちがいない。ハレにはハレのケにはケの、祝儀不祝儀万端においてあるべき装いをしっかりとこころえていて、頭から手足のさきまで身づくろいにはおさおさおこたりない。肩を傲然といからせたりはしない。演技なのか無意識なのか、謙虚めかしてからだを内側にすぼめるようにしたりする。そして眼。薄膜でしれっとなにをかくしているのか。小暗い水銀のたまりみたいなひとみの底は冷たいのかどれほどの毒なのか、なかなかはかりがたい。たぶん苦しい恋の一つや二つしたことがある人だろう。愛したり愛されたり殺したいほど憎んだり妬いたり。それが人というものだ。そうならそうと国家権力とまぐわいしたりせずに、ひとりの生身の女として温かな血のままに生きればよかったのに。

 千葉さんがいまさら考察にあたいする人かどうかわからない。「アムネスティ議員連盟」事務局長をつとめ、「死刑廃止を推進する議員連盟」にぞくしていたこともある千葉さんはかつて、杉浦正健法相が「信念として死刑執行命令書にはサインしない」と話したあとにコメントをとりさげたことにかみつき、死刑に疑問をもつなら死刑制度廃止の姿勢をつらぬくべきではなかったか、と国会で威勢よくなじったことがある。杉浦氏は発言を撤回しはしたけれど、黙って信念を貫き、法務官僚がつよくもとめる死刑執行命令書へのサインをこばみつづけた。他方、千葉さんはさんざ死刑廃止をいいながら翻然として執行命令書に署名し、おそらくなんにちも前から姿美と相談してその日のための吹くとアクセサリーをえらび、絞首刑に立ち会った。これは思想や転向といった上等な観念領域の問題だろうか。それとも政治家や権力者や政治運動化によくある「自己倒錯」という精神病理のひとつとしてかんがえるべきことがらなのか。

 弁護士でもある千葉さんはこれまでずいぶんかっこうのよい正義や人権をかたってきた。だが、わかりやすい正義とともに、晴れがましいことも大好きで、出世や権威にめっぽうよわく、おのれのなかの権力とどこまでもせめぎあう、しがない「私」だけの震える魂がなかった。だから、死刑執行命令書へのサインは「法相の職責」という権力による死のドグマと脅しにやすやすとひれふしたのだ。そう見るほかない。政治と国家はどうあっても死を手ばなしはしない。国家や組織とじぶんの同一化こそ人の倒錯の完成である。千葉さんだって若いことはそれくらい学んだはずだ。だが、老いて権力に眼がくらんだ。このたびの裏切りにさしたる謎はない。彼女の思想は、口とはうらはらに、国家幻想をひとりびとりの貧しくはかない命より上位におき、まるで中世の王のように死刑を命令し、じぶんが主役の「国家による殺人劇」を高みから見物するのもいとわない。そのようなすさみをじゅうぶん受容できる質のものであっただけのことだ。堕ちた思想の空洞を、ほら、見えないシデムシがはっている。ざわざわと。

 背信は彼女ひとりだけの例外的なものだろうか。どうもそうはおもえない。すさみとは、人がただ堕ち、すさみつくすことではない。自他のすさみについに気づかなくなること。熟れすぎたザクロのように、もろともに甘く饐(す)えたそれこそが、深夜、鏡のじぶんと凝然とむきあう。

辺見庸
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by lumokurago | 2010-09-05 17:51 | 沖縄タイムス
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