暗川  


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Dr.Aとのメールより その18

渡辺より  11.11

 (前略)従妹が子宮頚がんの術後検査に慶応(婦人科)に通っているのですが、「2年経ったからそろそろCTを撮ってみますか?」とおそるおそる聞かれたそうです。そのときはその態度の意味がわからなかったけれど、後で近藤先生の文春の記事をみつけて読んで、担当医は最初に近藤先生に相談に行ったことを覚えているのだなと納得したそうです。CTは予約したけれど、どうしようかなと言っていました。

 ところで、父は昔のことですが、若月さんの『信州に上医あり』を読んで感激していました。私は読んでいません。若月さんはすばらしい医者ということになっていますよね。真実を知って、「現場の話を聞かなければ人というものはわからないものだ」とまたまた思いました。

 鎌田さんも同じですね。私はたまたま松村さんとの往復書簡を読んで変だと思ったけれど、巷では「すばらしい医者」ということになっています。いわゆる「いい人」なのだと思いますが、豪邸の写真を年賀状に載せるとは! それに講演料が80万円とは! 人間が腐ってますね。「いい人」なので気がつかないのか? そんなことはありえませんよね。同窓などということはまったく関係ないです。同窓で批判すべき人はたくさんいますので。例えば藤原正彦(国家の品格)もそうですし。どんどん批判してください。(後略)
 
Dr.Aより 11.11
 
 こんばんは。CTの件は今度出る近藤先生の本を読んで決めるとよいのではないでしょうか。「あなたのがんはがんもどき」でしたね。12月の会でもほしい方にはプレゼントしたいと思っています。CTは必要ないと思いますけどね。(追記:近藤先生の診察のときに聞いたら、「必要ない」とのことでした)。

 若月さんの悪口を言うのは東京では私くらいでしょう。以前、ある雑誌の編集者に批判めいたことを言ったら反発されてしまいました。若月さんが農民からの収奪で佐久病院という城を築いたといわれたら若月信者はみな怒りますでしょう。南佐久が豊かになり健康な村々に変わって行ったのは医療や若月さんのおかげではありません。日本の経済発展、農村の都市化が原因であると私は主張しました。医療で地域を変革することはできないというのは私の信念です。左翼は医療を利用して変えていこうとする。それが間違っているといいたいわけです。人間の弱い部分、医療への信仰心を利用していますのでね。そして、医療の有効性は無視されます。彼らにとっては革命が起こればいいのでしょう。

 あるいは、若月さんのように地域を支配し、自分の銅像を建てさせ、若月賞を創って名を後世に残そうとする。費用は医療や検診で稼ぐ。そのために幻想を植え付けていく。この理屈が分からないと佐久病院や、共産党系の病院の欺瞞を見破ることができないのですね。人間は虚像はいくらでも作れます。東大ではマルクス主義者で、目白警察署に留置され、転向したことは勲章になっている。過去を美化し勲章のように飾るのは権力者の常でしょうか。

 若月さんは、長野の系列病院の組合運動を潰したこともあるのです。皆さんよく見えるところしかしらないとは思いますが。先週一緒に飲んだ仲間の一人が医者ですが当時の運動のリーダーだったのです。若月さんという人はご都合主義も甚だしいという人物評でした。

 12月はこんな話はしないほうがよいでしょうね。若月信者も来るでしょうし、共産系や、全共闘系もいるかもしれない。

 長野から来る医者は、全共闘ですね。先週、仙谷の悪口を言ったら目がうつろでしたので。仙谷さんは東大全共闘ですね。しかし、嫌なやつだ。恫喝の仕方がね。スマートじゃないのですね。これじゃナショナリズムを強めるだけです。(後略)

渡辺より 11.12
 
 こんばんは。今日は近藤先生の診察に行ってきました。10:30から生田さんの裁判(最高裁裏金裁判)があったので、もうやめようかとも思い迷いましたが、9:00に近藤先生のところに行ったら9:15には呼ばれ(ほんとうに助かります)、おしゃべりしてきました。ちょうどメールで乳がんの患者さんが近藤先生に聞いてほしいということもあったので。あと、まったく関係ありませんが、「性悪説? 性善説?」について聞きました。このことについて明日別荘の催しでシール投票をすることになっていて、友人がぜひ聞いてきてと言ったからです。近藤先生も性悪説で、理由は医療をみているとどうしてもそうなるとのことでした。網野先生も性悪説のほうに入れておきます。私の友人のあいだにお二人のファンが増えているのです。

 慶応病院から四谷三丁目まで歩き、地下鉄で霞ヶ関まで行って裁判を傍聴し、また電車で帰ってきました。それだけ歩くと、身体のバランスが悪くなって、ふらふらになります。なんででしょう? 

 若月さんのこと、なるほど。読めば読むほど納得できます。私も性悪説だからでしょう。そういう人間(ないし党)のいやらしさをたくさん見てきたからでしょう。といっても、同じ場所にいても、見抜く人とそうでない人に分かれます。繰り返しになりますが、見抜けない人というのはやはり「いい人」ですね。「いい人」は憎めないけれど、困り者です。自分が党派などに利用されてもなにも気付かないし、いいことをやっていると思い込んでいます。それにしても世の中にまともなことなんてあるのか? 私利私欲でなく、人を利用することもせず、真実を求めてまっすぐの道をゆく・・・というとやはり近藤先生かな(笑)。そういえば、文春の来月号か再来月号にまた、抗がん剤・分子標的薬は効かないという論文が掲載されるそうです。
 
渡辺より  11.13

 こんばんは。別荘で屋台の食べ物の店などのお祭りをやって、さきほど帰ってきました。座っているだけは疲れます。バタンキューです。
 性善説vs性悪説は私の予想に反して、性善説が圧倒的でした。性悪説は網野先生、近藤先生、私のほかには2人。つまりその場ではたった3人。性善説は12人。みんな、人間はよいものと思いたい、希望を持ちたいんですね。理由も書いてもらったのですが、それを読んでいてつくづく「いい人」が多いし、相手にも「いい人」を期待するんだと思いました。(中略)投票してくれるのは知り合いが多かったので、今度はまったく知らない人のあいだでやったらどんな結果がでるでしょうか。私は知り合いにはもっと人間を冷静に客観的にみる人が多いかと思っていました。(彼ら・彼女らでさえそうなので)一般の人のなかでは、もっともっと性善説が多いような気がします。

Dr.Aより 11.13
 
 こんにちは。新聞切り抜きが届きました。一応読んでみましたが、やはり色平さんとは認識の違いがあることが分かりました。彼は基本的に進歩主義者ですね。医学は進歩の途上にあると考えているようです。

 結核は町が都市化したために農村型から都市型へと変化し都市で爆発的に増え、自然淘汰で減少して行ったのであって、抗生物質が効いたからではないことは常識です。有名なのはイギリスの呼吸器結核死亡率の推移を示した図で、その減少勾配に医学は影響を与えていないということがわかります。なにせ、コッホの結核菌発見の時点、すでに結核死亡は半減していたのですね。

 日本は違うという人が多いですが、死亡率のグラフを作ってみると、第二次大戦終了まで日本人の結核死亡率は低下していません。タイミングよくこの頃にストマイが世に出たので薬の効果という人が多いのですが、私は環境の変化と自然淘汰と考えます。戦争は日本人に多くの犠牲を強いたのです。この結核に対する評価の違いが、医師が医学医療信仰に陥るかどうかを決めると思います。

 BCGができたのもこの頃ですが、これが無効であることはすでに証明されています。にもかかわらず日本の結核学者は乳児への接種を推奨している。根拠は薄弱ですが、愚かにも全員接種が続いています。

 CTやMRIなどの診断の進歩は医療商人を儲けさせました。また、見落としてならないことは早期発見信仰が人々に植えつけられたことです。遺伝子治療も医療商人を肥え太らせるでしょう。問題は否定すべき事柄をあいまいにせず、きちんと否定できるかどうかであるように思われます。

 国民皆保険の運動に若月さんも加わったでしょうが、根本的には日本が貧しさから抜け出し農村も経済的余裕を持ったことが大きいと思います。これを一個人の功績と考えるのは間違っている。医療ユートピアはありえないはずで、それが南佐久で曲がりなりにもできたのは、医療幻想を農民が抱いたことと、戦後の経済復興が要因として大であると思います。医療幻想を植え付けたのは若月さんや佐久病院であることを忘れてはなりません。

 若月という人の虚像に魅せられて信州に行く医者が多いですが、実像に愕然として去る者もいれば、方向転換する人も多いようです。色平さんが続けていられるのは医療幻想、病院幻想を否定できないからだと思います。

 死は人間にとって基本的には受け入れられないことで、問題はそれが医療化され商品化されていることでしょう。医療側にとっては、死を治せないとなると都合が悪いのです。そこで治せる振りをするのです。医療信仰の根源は患者側ではなく医療者側にあります。

渡辺より  11.14

 こんばんは。結核死亡率の図は近藤先生がむかし講演で使っていました。たしか聴衆に結核死亡が減ったのはなぜかとクイズをだし、多くの人が薬の効果と答えたと記憶しています。種明かしをしたあと、さらに一般の人よりも医学生のほうが薬の効果と答える率が高いとおっしゃっていました。種明かしをすると学生はあきらかにがっかりしいやな顔をするそうです。自分の志す仕事を否定されたわけですから。

 昨日のつづきですが、性善説の人が多いのは、「人間っていいもんだ」と思いたいからのようです。
 
性善説の理由

1、もちろん性善説。生まれたとき悪人なんかいないよ! だからみんな大好きだよ。
2、よくなりたいと望んでいる限り。
3、どこまで行ってもカケラのような「善」の残るかぎりは、そうです。
4、性善説を信じたいです。弱い時に一時的にいじわるになる事があるとしても・・・
5、この私を見て下さい。言わずもがな。人間っていいヨ。
6、不幸にも、愛されたことのない人、あるいは愛されたことがないと思い込んだ人が、性悪説になると思う。I love you.
7、今まで心底わるいひとに会ったことはない。
8、性善説を信じて生きたい!
9、ルイ:ダックス6歳:完全性善説者=その方が幸せ。
10、性善説じゃなきゃいやだ!!と思って生きているから、次々と山がたちはだかるのかも。でも善を信じている。

性悪説の理由

1、最近の政治やマスメディアの動向(world wideに)をみて性悪説になりました。
2、人間の欲ははかりしれない闇の中  渡辺容子
3、医療の世界を考えるとそうなるしかない。 近藤誠(代筆:意見聴取済み)
4、医学界を考えると・・・。 網野晧之(代筆:意見聴取済み)

 どう考えても性善説は甘い、世の中のことを何もわかってないと言いたくなってしまいます。佐久病院や若月さんの本質を見抜けなかったり、医療幻想を否定できないのも、非科学的ということもありますが、同時に「人間っていいな」の枠から抜け出すことができない=常識の枠から抜け出せないためだと思うのです。いつか先生もおっしゃっていましたが、頭のよしあしではなく、発想の転換ができるかどうかですね。

 「善」という言葉はどうしてそんなに人を惹きつけるのでしょうか? 近藤先生が「惻隠の心」 の例をあげ、おぼれている子どもを助けたくても、自分がおぼれてしまっては助けられないと言っていました。客観的な条件を無視して、おぼれている子どもを助けたい一心になってしまうのが「善」だと思います。

 こう考えてくると、性善説、性悪説って物事を理解するための重要なポイントだということになりますね。
 
Dr.Aより  11.14
 
 こんばんは。大変お疲れ様でした。人間は善であるべきなのでしょうね。ところが、医学会などを見ているとそうではないので、疑問を持つわけなのです。しがらみや癒着の構造の中で人間はうごめいている。命に関わる分野でさえ性善説が通用しないのですから、社会一般はなおさらなのではないかと考えるのですね。これはニヒリズムではないと思います。我々は戦っていますから。(後略)

渡辺より  11.15

 こんばんは。おっしゃる通りだと思います。性善説の人達は「悪」を言うと、「人間っていいもんだ」を否定されて夢を打ち砕かれるようですが、「悪」は「悪」としてみすえなければなりません。人間には厳しさも必要です。性悪説の立場をとっているからといって、「人間っていいもんだ」を完全否定しているわけではありません。白か黒かではないのですよね。(後略)
 
 (ある友人から次の本の企画書に関連して)医療信仰は教祖・教団があるだけではなく、信者がいるから成り立つのであって、信者の責任も大きいと指摘がありました。でも素人は専門知識がないのでだまされやすいですね。がんの場合は近藤先生の情報公開があるけど、一般の病気の場合はどうやって教祖の欺瞞を見抜くのか、とてもむずかしいと思います。また、考えてメールします。

Dr.Aより  11.15
 
 医療信仰では、教会が病院に変わっており、神父の代わりを医者が務めています。信者は患者で、医療というひとつの構造が成立しています。その中でそれぞれの関係が生じているのでしょう。このように構造化された状況では、どちらが、あるいはどの要素が問題であるとか、悪いとかではなく、構造そのものに対して分析を加えていく必要があるように思います。その結果、医療は宗教なのだという結論に至れば大変結構なことです。また、患者すべてが信者ではなく、中には異教徒や宗教そのものを否定するものもいるという事実が興味を惹きますね。さらに、医療構造における権力関係の分析をすると面白いでしょう。医者と患者の関係は単に医者が強権的なだけでなく、患者も権力を持っており、医者も従わざるを得ない状況が生まれているでしょう。
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by lumokurago | 2010-11-23 08:42 | Dr.Aとの往復メール
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