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Dr.Aとのメールより その19

 お待たせしました。Dr.Aとのメールを再開してほしいというご希望がありましたので、過去メールを探して拾ってみました。18のつづきです。が、このあと私に相談された患者さんの話題や犬猫の話題などになっているため、掲載不適切です。あいだを拾ってなるべく掲載するようにしますね。

渡辺より  11.16

 こんばんは。医療信仰のつづきです。考えてみると私の両親の世代以上では、祖母が「灸焼きさま」と呼ばれるおばあちゃんにお灸をしてもらっていたことの延長で、医者を「医者さま」と呼び、「神様」に近いものとしてあがめたてまつっていた人が一般的だと思います。その段階では呪術に対すると同様のレベルでの信仰だったように思います。

 戦後になって結核に対するストレプトマイシンがでてきて、感染症は栄養状態の改善や清潔にすることによってすでに減っていたという事実を見ず、薬によって治せると思い込んだ人たちが医療信仰の基礎を築いた。感染症は薬によって減らすことができると誤解し、医学の進歩はすばらしいと思い込んだこと、これは当時としてはしかたのなかったことのようにも思えます。近藤先生も若いころは抗がん剤にある程度の希望をもっていたようだし、そのころは薬を信じていたかもしれません。先生はいつごろ結核死亡率の図の真実に気がついたのですか? 

 色平さんの記事にはストレプトマイシンに当時日本人が驚いたことは書いてあったけれど、結核がこれのおかげで減ったのではないことは書いてありませんでした。読んだとき、「医療への期待が高すぎる」と言いながら、真実を知らせることをしないのでずるいなあと思いました。佐久病院が否定されることを避けるためでしょうか。矛盾しています。

 近藤先生の本を読んでも、抗がん剤で治るがんがでてきて、医者自身がほかのがんも治るのではないかと期待し、その期待が裏切られ、そこで二つに分かれるのだと思うのです。がんは老化だから治せないと考える医者と、それでも治そうとして研究をつづける医者と。それでも治そうとする医者は心底医学が進歩することを信じているのか、それとも金儲け(自分の仕事をなくさない)のためなのか?

 患者の側からすると死にたくない一心なのか、死を受け入れるのかで医療への期待が変わってきます。また、医者を信じるかどうか。普通は信じているので無謀な手術もされてしまうのですよね。今日来たヘルパーさんに聞いた話では、お父さんが胃がん、大腸がん、前立腺がん、肺がんと4回もがんにかかったそうです。胃がん、大腸がんでは胃を全部取って、大腸も切除し、前立腺がんは進行していたので放射線治療、いまは肺がんがわかって2年ほどだそうですが、いままでの手術が大変で特に食べられなくて大変になってしまったので、今回は手術はしていないそうです。そのように経験してわかるということはありますが、それでは遅すぎですよね。食べられなくて大変な思いをしても、がんだったのだから仕方ないと思ってしまうと思います。手術しないほうがよかったかもしれないというところまでは考えないと思います。

 いま考えられるのは、医者は信用できないので、患者の知識を増やして無謀な手術を断るというほうが早いのかと思います。だからやっぱり患者の声を集めなければということになるかな。でも、いつかも言いましたが語りたくない人が多いようですね。

 だらだらとまとまりませんが、考え途中ということで送ります。  

Dr.Aより  11.16
 
 こんばんは。私は脳梗塞に対して手術を勧められたのですが、断りました。何故かと考えますと、人生に未練はなかったのですね。この選択で死んでもかまわないと担当医などに言いました。もう最終のステージに来ていると思いましたので、生きるために冒険をする必要はないし、他人に頭の中をいじられるのも嫌だった。しかし、その結果死ぬとも思わなかった。精神的には余裕がありました。死ぬときはそう分かる場合がほとんどであるという患者さんの経験を知ってましたし、私の今回の事件ではそういう感じがなかったのですね。医者だから余裕があるのだと考える人がいるかもしれませんが、医者であろうとなかろうと人生に対する心構えで、自らに対して客観性を保てるかどうかが決まるような気がします。医療の罠にはまっていく人は、余裕をなくしているのでしょう。

 泰阜村ではいろいろな本を読む時間に恵まれまして、その中に例の結核の推移の図があったのです。そのほか読むべきだったが読んでいなかった資本論の第一巻を読むことができました。インターネットが普及する前だったのですが、パソコン通信でアメリカのデーターベースに電話回線で繋ぐこともできたので、常に新しい医学知識を手に入れることができました。いろいろな意味で人生には余裕が必要ですね。

渡辺より  11.17

 こんばんは。お返事ありがとうございます。そういえば先生の脳のMRI写真をみようと思って佐藤医院のHPをみたのですが、みつけられませんでした。

 「余裕」はいまの日本において最も手に入れることがむずかしいものだと思います。子どもたちは特にそうですが、大人も時間的にも精神的にも追い詰められていると思います。むかしを懐かしんでもしかたないけど、仕事上で思い出すと、一番余裕のない母子家庭を例にとっても、給料は少なくてもむかしはなぜかいまよりずっとずっと余裕がありました。父親のいる家庭もいまのように帰りが遅くはなかったと思います。

 話は飛びますが、効率を重要視するようになってから余裕がなくなったと思います。もっともっと物をたくさん作ってたくさん売って儲けたいという思いが余裕をなくしました。それほどお金はいらない、家族が質素に暮らしていければそれでいい、と思えば、余裕のある暮らしをつづけることができたと思います。人間の進歩主義が社会を変えてしまったのですね。人間の欲望は果てしないと言いますが、ほんとうにそうなのか? 自分の頭で考えて、一番大切なものを大切にしていれば、物はそんなにいらない、という考えになると思います。などと言っている私の家にも物があふれていますが・・・。

 なんちゃって、「いい人」が1回80万円もの講演料をもらい、豪邸を建てるのですから、私の説などふっとんでしまいますね。たぶん鎌田さんに余裕はないでしょう。

Dr.Aより  11.17

 こんばんは。家族の一員である犬が今夜、緊急に手術ということになり、我が家は少し静かで、事の成り行きを見守っているという状況です。ベランダの子猫は育って中猫になりました。

 私の脳の画像はホームページにあります。
http://homepage1.nifty.com/drsatou/index.html  (注:脳梗塞顛末記のなかにある)

【追記】犬の手術は成功し、元気にしているそうです。

 Dr.Aとのメールその18はこちら
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by lumokurago | 2011-02-11 12:54 | Dr.Aとの往復メール
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