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昭和史(半藤一利)

 『昭和史(1926→1945)』を読みました。学校で近現代史を習っておらず(学校では縄文時代から延々とやるのではなく、近現代史を先にやるべきです)、昭和史については「つくる会」教科書がでてきたときに少し勉強したにすぎない私にとって、戦争がどのようにして始められ、だれがなんと言ったかに影響されたのか、どのように拡大されていき、勝ち目のない戦争に突入していったのか・・・が全体の流れとしてよくわかる本でした。皆さんにも一読をお勧めします。

 しかし不満だったのは昭和天皇の言葉のなかから、戦争拡大を憂慮する発言ばかりをとりあげ、昭和天皇がまるで平和主義者のように描かれていたことです。実際には近衛文麿が降伏の上奏をしたときに「いまひとつ戦果をあげなければなかなかむずかしい(正確ではありません)」などと言っていたというのに。このとき降伏していれば沖縄戦も東京大空襲も原爆投下もありませんでした。特攻隊の犠牲者もずっと少なくてすんだでしょう。特攻隊については「そこまでやらなければならなかったのか。しかしよくやった」と言っています(これは載っていましたが、半藤さんは後半はよけいだったと書いています)。

 Aさんとのメールで、「右翼がこわいので天皇の戦争責任については書けなかったのだろう」という話になったのですが、半藤さんは先日テレビにでて、「関東軍は天皇のいうことをきかず勝手に満州事変を起こした」と怒っていたそうです。そんなふうに怒ること自体天皇(の権限?)を認めているということです。半藤さんにしてそうなのかと驚いてしまいました。『昭和史』に天皇を平和主義者のように描いていたのは右翼がこわいからではなかったようです。

 とまれ、「昭和史20年の教訓」として次のことが最後にまとめられています。半藤さん自身もおっしゃっているように、日本人はこの教訓からなにも学んでいないようで、現在も同じ間違いを繰り返しています。(要約)

1、国民的熱狂をつくってはいけない。その国民的熱狂に流されてはいけない。

 例:対米戦争を招くとわかっていながら、なんとなしに三国同盟を結んでしまった。良識ある海軍軍人はほとんど反対だったのに、あっというまにあっさりと賛成に変わってしまったのは、まさに時の勢いだった。

2、最大の危機において日本人は抽象的な観念論を非常に好み、具体的な理性的な方法論をまったく検討しようとしない。物事は自分の希望するように動くと考える。

 例:ソ連が満州に攻め込んでくることが目に見えていたにもかかわらず、攻め込まれたくないと思うことがだんだん「大丈夫、ソ連は最後まで中立を守ってくれる」という思い込みになる。(そのソ連にアメリカとの和平の仲介を頼んでいたのですから、まったくのお笑いとしか言いようがありませんね)。

3、日本型のタコツボ社会における小集団主義の弊害。陸軍大学校優等卒の集まった参謀本部作戦課が絶対的な権力をもち、そのほかの部署でどんな貴重な情報を得てこようが、一切認めない。

4、ポツダム宣言の受諾が意思の表明でしかなく、終戦はきちんと降伏文書の調印をしなければ完璧なものにならないという国際的常識を、日本人はまったく理解していなかった。簡単に言えば、国際社会のなかの日本の位置づけを客観的に把握していなかった、これまた常に主観的思考による独善に陥っていた。

5、何かことが起こった時に、対症療法的な、すぐに成果を求める短兵急な発想。これが昭和史のなかで次から次へと展開された。その場その場のごまかし的な豊作で処理する。時間的空間的な広い意味での大局観がまったくない。複眼的な考え方がほとんど不在であったというのが、昭和史を通しての日本人のありかただった。

 まとめとして以下のように書かれています。(引用)
 
 昭和史全体を見てきて結論としてひとことで言えば、政治的指導者も軍事的指導者も、日本をリードして来た人びとは、なんと根拠なき自己過信に陥っていたことか、ということでしょうか。こんなことを言っても喧嘩過ぎての棒ちぎれ、仕方ない話なのですが、あらゆることを見れば見るほど、なんとどこにも根拠がないのに「大丈夫、勝てる」だの「大丈夫、アメリカは合意する」だのということを繰り返してきました。そして、その結果まずくいった時の底知れぬ無責任です。今日の日本人にも同じことが多く見られて、別に昭和史、戦前史というだけでなく、現代の教訓でもあるようですが。

 そういうふうにみてくれば、昭和の歴史というのはなんと多くの教訓を私たちに与えてくれるかがわかるのですが、先にも申しました通り、しっかりと見なければ見えない、歴史は決して学ばなければ教えてくれない、ということであると思います。
 

by lumokurago | 2011-01-12 11:24 | 社会(society)
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