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Dr.Aとのメール 番外編 その3

 ひとあしさんの「ICDを埋め込んだのは良かったのか?」について、Dr.Aとメールを交わしました。医師の本音を聞く機会はほとんどありませんので、ここに掲載させていただきます。

*****

Dr.Aより

 私も、病院では死なせられない医者で、無理な医療をしていたのです。ですから、批判する資格はありません。方法としては、医療を医者任せにするのではなく、行ってはならない医療規則を国ないし自治体で作り、医者も患者も従うようにするのです。例えば高齢者における透析や、ガンの治療は行わないとかですね。検診もRCT(くじ引き試験)で総死亡率が低下したものに限るとか。差別といわれそうですが、思い切って制度を作ったほうがよいと思います。医療費を削って福祉に回すと日本もよくなるでしょう。

渡辺より

 規則をつくるという先生のご意見は意外なものでした。そこまでしないと無理ということでしょうか。そのまえに人びとの感覚を変える必要があると思います。

 昨日ご紹介した方ですが、お父様のICDが3回作動したら救急車を呼ぶようにと主治医に言われていたそうです。お母様が最期を察して救急車を呼ばなかったことを、お父様が亡くなられて2年半も苦しんでいたそうです。私が救急車を呼ぶかどうかはお母様の判断でよかったのだと言ったら、その苦しみがなくなったと喜んでいました。

 医者の命令は絶対と思い込んでいるのですね。(中略)尊厳死=延命治療の拒否は知られてきていると思っていたのですが、まだまだのようです。私も母のみならず父のときにも、医者のいうことをきかず、自分の意志を通したことが何度もありましたが、それも近藤先生を知っていたからで、自分ががんにならなければそこまでの知識もなく、行動もできなかったと思います。医療は幻想であるという知識を伝え、高齢になったらなにもしないほうが安らかに死ねるのだということを広める必要があります。

Dr.Aより

 だいぶ前になりますが、イギリスで白血病の少女の治療を行うべきか否かについて議論がありました。彼女は二回目の治療で、イギリスのNHS(national health serviceー国民医療サービス)は治療を拒否しました。医療の国家管理がここまで厳しいとは知りませんでしたが、資源が有限である以上、やむを得ないと私は納得しました。結局、彼女はNHSと関係のない医療機関で治療を受け寛解したとのことです。

 私も何人か白血病の治療を経験しましたが、第一回目は容易に寛解に持ち込めるのですが2回目以降は寛解に再導入するのが困難でした。今は、治療法が進んでいるのでしょうが、かなり費用が高くなりますね。人間には諦めも必要で、医者も患者も諦められないときは社会的規則に従うしかないように思います。

 心臓も止まりそうになっているのでしたら、無理に鞭を打つ必要はないように思います。医者も患者もわがままでしょうから、社会的基準を決めましょう。とりあえず、新薬や新技術を使用するときは、保険者の了解を得るようにするとよいとおもいます。そうしないと医療費は青天井に上がっていきます。

渡辺より 

 映画「シッコ」(マイケル・ムーア監督)を見た限りではイギリスの健康保険は至れり尽くせりだと思いましたが(病院への交通費まで面倒みてくれていた)、そんなことがあったのですか。まったく知りませんでした。

 いま沖縄の少女がアメリカで心臓移植を受けたいとのことで、沖縄タイムスで募金を募集しています。目標額は1億5000万円。もう1億円以上集まっているとのこと。その子にはかわいそうだけど、美談記事です。

*****

 網野医師は『満足死宣言』(日本評論社2000)に「臓器移植は必要か」という文章を書いています。

 1997年、臓器移植法が施行されて1年4ヵ月後の1999年2月28日、日本ではじめての脳死者からの臓器移植が行われました。それから半年のあいだに4例の脳死臓器移植が行われましたが、99年6月9日に交通事故で脳死状態になった宮城県の青年は、ドナーカードを持っていたために、移植を前提として十分な救命治療が行われなかった可能性が強いのです。(カギカッコ内は『満足死宣言』からの引用です)。

 「臓器移植は『死』を期待する矛盾した医療である。慢性疾患に苦しむ患者を前にして、彼に同情する医師は密かに他のだれかの死を望み、他のだれかの臓器を欲している。(中略)宮城県のケースでは病院到着時、ビニール袋に纏められた彼の持ち物の中で、なぜかドナーカードだけが目立つ位置に入れられていたという。(中略)このため、彼は入院時に早々と、患者としてよりもドナーと見做されていた可能性が非常に高い。医師だけでなく日本の一般社会も、他人の「死」を求めるという恐ろしい状況になってしまっていることが想像される。すなわち、ドナーカードは「死」の切符になりうるということを、宮城県の事件は証明したといえるのではないだろうか」

 網野医師は、1968年、和田教授による日本初の心臓移植が行われたとき、その札幌医科大学の学生でした。

 「生きた心臓でなければ移植は不可能である。そこで脳死を人の死としなければならなくなったわけであるが、当時の日本においては脳死の定義も明確に決まっていない状況であった。和田移植では脳波の平坦になったことを確認したあと、心臓を取り出したことになっているが、脳波の測定をしたとされる医師がタイミングよく死亡したため、真相は闇の中へ葬られてしまった」

 移植を受けたレシピエントは網野医師の指導教官だった宮原教授の患者だったそうです。宮原教授は患者が移植手術を受けたことに驚愕されたということで、授業で「僧帽弁の置換手術を依頼しただけ」とおっしゃったそうです。

 「全般的にいえることであるが、現代医療は死を認めることができないのである。また、個と全体を統一した観点から、医療自体を眺めることも不得手である。その結果、近視眼的な個に対する医療をやみくもに提供しがちなのである。当然、有効性の不明確な医療技術も使用される。それは医療者にとって実験ではなく、「やむをえない医療処置」として認識されることが多い。無意味な悪あがきをしているという意識はなく、医療者の視野は極端に狭まっている。そして、未来にどんな問題が生じようとも、とりあえず現在の危機を乗り越えようと延命作業に熱中するのである。移植医療の抱える問題も同様である。慢性期の厳しい拒絶反応や免疫抑制剤の副作用は患者のQOLを極端に低下させ、結果として多くの臓器が拒絶されているという現実に医療者は目を背けている。

 一種の共食いともいえる移植医療は、人間にとって本当に必要なのだろうか。人類は他人の死を前提とした医療を認めるべきなのだろうか。これらに関して、一部の専門家に任せておくのではなく、幅広い国民的議論が起こることが望ましいと想う。

 私は、脳死を死とする必要性はまったくないと考えている。その理由はすでに示したとおりである。私は脳死および脳死者からの臓器移植に反対である」 (『満足死宣言』P.30~48)

 昨年、本人の意志がなくとも家族がOKすれば脳死からの移植を認める法律が施行されました。報道によればかなり多くの家族がこの法律によって患者の臓器を提供しています。

 しかし、心臓はどこどこ病院へ、肝臓はなになに大学へ、腎臓は・・・という記事を読んで違和感、嫌悪感を抱いたのは私だけではないでしょう。人間の臓器は部品なのか? 人間はロボットと同じなのか? そして人間は神なのでしょうか?
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by lumokurago | 2011-01-30 17:53 | Dr.Aとの往復メール
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