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『なぜ、村は集団検診をやめたか』

『なぜ、村は集団検診をやめたか』_c0006568_1419180.jpg
 長野県泰阜村の村境を流れる天竜川 (網野医師撮影)

 網野晧之医師は1989年に泰阜村で胃の集団検診(集検)を廃止しました。この本は集検廃止に対して発せられた疑問や批判に答えるために、1992年に自費出版されました。

 網野医師は泰阜村に赴任した当時、集検に熱心な医師でした。しかし、胃集検を受けていた人のなかから3年続けて見落とし死亡例がでたことから(胃集検における見落としは発見の6倍にのぼるという研究がある)、胃集検の効果に疑問を抱き、文献を調べ、検診には科学的根拠がないのに、上意下達的な保健行政によって始められてしまったことに気づきます。

 そしてその上意下達的な保健行政は、戦前の健民健兵政策である住民管理、地域管理を無傷のまま引き継いだものであると指摘しています。

 「私たちは権威ある形をとって目の前に現われたものは、たとえ仮説にすぎないものでも、認めてしまう傾向がありました。集団検診を無批判に施行していたのも、低コレステロールの勧めを説いていたのも、無意識に医学的権威に対して奴隷として従っていたこと以外のなにものでもなかったと思います」(P.73,74)

 (注:特殊な場合を除いて、コレステロールを下げる必要はなく、下げるとがん死が増える。ついでに言うとコレステロールが高くなるのは食事内容とは関係ないそうです)。

 この本には現代医学にどっぷりとつかっていたひとりの医師が、見落とし例がでたことから疑問をもって文献を調べ、自分の頭を使って考えていき、ついには根拠のない集団検診を廃止するに至った経過(理由)がわかりやすく書かれています。「疑問をもつ、調べる、自分の頭で考える、おかしいことは止める」。このだれにでもできそうで、じつはめったにできないことが理路整然と進められています。

 日本中のおおぜいの医師たちは、なぜいまだに根拠のない集団検診を行っているのでしょうか? 疑問ももたないのか? 疑問をもっても考えないのか? 考えても保身(儲け)のためになかったことにしてしまうのか? たんに長い物には巻かれろなのか? いずれにしても無責任この上ありません。意味のない(どころか害のある)集団検診を止めれば、浮いたお金を福祉に回すことができるのに。(会社などでおこなう健康診断にも意味はありません。「病気」をつくりだすだけ)。

 「私たちは医学に絶対的信頼をおいてきました。しかし、その根拠について自らを問うことは少なかったと思います。それは常に進歩しており、真理に近づいていく日常的努力そのものが医学であるという感覚をもっていたためではないでしょうか。いつの日にか人間を病から解放してくれるという医学に、それが幻想であるとも知らず、信仰に近い依存心をもっていたのです。しかし、医学が解決した疾病は意外に少ないのです。あの結核でさえ、その克服に当たって医学的関与がほとんどなかったといわれています。また、集検という公衆衛生学的手法は、医学が成人病に対して無力であるがゆえに世に出現したといえると思います。(中略)

 すなわち、治療が進歩していないという苛立ちが、少しでも早く疾病を発見できれば治療可能になるかもしれないという考え方を生み出したのではないでしょうか。(中略)

 しかし、その根拠は皆無なのです。(中略)にもかかわらず、早期発見治療は思想として、宗教として流布されていったのです。そこには医学は進歩の途上にあるので何ら問題はないという医学崇拝、医学絶対の思想、宗教しかなく、批判精神の欠けらも見られないのです」(P.78,79)

 「人間は老い、疾病に罹患し死ななければならない存在です。その過程は人それぞれであり、なかには若くして一生を終える方々もいるでしょう。しかし、これが病気という側面から見た人間の多様性であり、私たちはこれを認めるべきであると思います。なぜなら、現代医学はこれを乗り越える力量を持っておらず、今後もその見込みがないからです。人間は医学とは無関係に寿命限界に近付いているのです」(P.87)

 みなさん、医学の治せる病気はたった1割、1割は医原病(医療がつくりだした病気)、8割は自然治癒するそうです。それなのに医学・医療を信じるのはまさに「宗教」です。「宗教」から抜け出すのは至難の業であるかもしれません。しかし、「宗教」ではない科学的な医療のみが行われるようになれば、増大しつづける医療費は格段に減り、そのお金で福祉を充実させ、人間はいまよりも健康的に生活し、身も心も安らかに死ぬことができるようになると思います。

 注:この本の書かれた1992年頃、現在は「がんは末期発見がよい」と言う網野医師のみならず、近藤誠医師もがんの「早期発見・早期治療理論」自体を完全否定するところまでは至っていなかったと思います。当時はまだ早期発見でがんは治るという考え方だったため、全体がその考えに基づいて書かれています。その点を考慮して読んでいただけば、本自体はまったく古くなっていません。「自分の頭で考える」とはこういうことなのだということがよくわかると思います。

 ★ 希望者にお送りしまして、絶版品切れとなりました。2月17日

by lumokurago | 2011-02-08 12:53 | 医療
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