暗川  


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Dr.Aとのメールより その20

 Dr.Aのファンのかたのためにできるだけ載せたいのですが、捜しあてるのが大変なうえ、いろいろと不穏なこと(!)も書いてあるので、掲載に適さない部分もあります(いままでけっこう過激なこと載せてましたね)。ちょっとさわりだけご紹介します。私ばかりが長く書いていますがご容赦を。 

渡辺より  11.19

 (前略)医療信仰は患者の側から言うと「不安」を自分で引き受けることができないということが大きいと思いました。彼女(ある患者さん)は「生きたい」というよりも「死ぬのがこわい」のだと言っていました。検査に意味がなくても不安だから受けると言っていました。私などは生き方自体が開き直っているので、もともと不安などをそれほど感じないのです。楽観的というのか、なんとかなるだろうと思っているのです。それで死ぬことになっても、それはそれで仕方がないとあきらめてしまうのです。私は変わっているので、一般的な考える材料にはならないように思いました。先生も変わっていますよね。脳梗塞を起こして、死んでもいいから手術はしたくない、なんて。なんででしょうね。

Dr.Aより  11.19

 こんばんは。犬はとても元気になり、先ほど散歩にも行けました。老犬なのによく全麻手術に耐えたと思います。メスで子宮筋腫に感染をおこしていました。このケースは手術が必要でした。

 がんもどきという概念が世に認められ常識となるにはずいぶん時間のかかることと思います。今のところ、人生に達観している人だけが真実を知って、余計な治療を避けることが出来ています。知的な人でも宗教心を持っている場合があります。医療信仰も同じように持つでしょう。その方も入信しているようですので、方針転換は難しいでしょう。それぞれの道を行くしかないように思います。

渡辺より  11.20

 こんばんは。犬が元気になったと聞いて私もうれしいです。先生の家のベランダの猫は何匹いるのですか? 世話が大変だと思います。

 今度は宗教心について考えなければならないようです。自分にはほとんど(まったく、かもしれません)なく、勉強もしたことがありません。うちの親はどういう親だったのか、子どもを初詣にも連れて行ったことがありませんでした。そのため私は神社などに行ってもおまいりしたことがありません。父の母の実家がお寺なので、父はそのお寺の住職(自分の叔父)とよくつきあっていましたが、お寺の話を子どもにすることはありませんでした。

 父はそのお寺にお墓を作ってほしいと言っていたらしく、私たちがお墓は作らないと言ったら、お寺の住職(父のつきあっていた住職の息子)がどうしても作ると言って断りきれませんでした。ただし遠いからお骨をいつでも東京に引き上げていいと言われていて、簡単な木の墓標しかありません。うちは妹にも子どもがいないので、お墓参りもすぐに途絶えてしまうと思います。そうなったらお墓はどうなるのかと聞いたら、ある年月が経ったら処分すると言われました。それならいいかなあと思ったのです。まあ、私もそんなにこだわらないほうなので、いまは母のお骨もそこに埋葬し、自分もそこに入ってもいいかとも思っています。無宗教なのにお寺に入ってもいいと言っているのですから無節操ですね。

 ですが、散骨とか樹木葬というのもたいそうすぎるという気がします。たしかに木の下で眠ったり、自分の好きだった自然の中に還るというととても気分がいいですが、私はもっと冷めているので、お骨に魂はないと思います。魂はもっと早くに体を離れ、上空にいるような気がします。父母の場合はまだこの家にいるような気がします。

 私は両親に関して、よく聞くように「夢の中でもいいから会いたい」などとはまったく思いません。亡くなったときには涙もほとんどでませんでした。父も母も施設に預けるときに泣き尽くしたからでしょう。もう十分生きたと言える歳でしたし、できることはすべてやったと思っているからでしょうか。気持ちがとてもさっぱりしています。

 それに対して6月に死んだ2歳になったばかりの猫については、生き返ってほしいとよく思います。私は全体に人間より動物が死んだというニュースのほうに反応しがちです。人間の子どもが交通事故で亡くなったなどというニュースには「かわいそうに。またか」程度にしか思いませんが、ヤンバルクイナの交通事故にはなんとかならないのかと思います。人間の犠牲だと思うからでしょうか。

 とりとめがなくなってきました。これから「ご近所」の宴会があるのででかけてきます。

Dr.Aより  11.20 

 今日は。猫は2階のベランダに2匹、母猫と子猫で横の車庫に子猫が二匹います。当院関連で、懐いているのはベランダの子猫だけです。他は近づくと逃げてしまいます。

 火葬の後の骨は燐酸カルシウムでゴミと同じなので、私の場合ですとゴミとして捨ててほしいと思います。法律上それはできませんから、海でも山でもよいので、捨てるようにばらまいてくれればよいと思っています。その場合、宗教的儀式は必要ありません。死後のことは、どうでもよいという考えです。

渡辺より  11.21

 あはは! やはり網野先生とは遺伝子が似ているのでしょうか。「死後のことはどうでもいい」というところを読んで笑ってしまいました。はっきり言うと私もそうです。死後の世界はないと思うし、輪廻転生ならそれはそれでいいと思うけれど、前世のことなど覚えているはずもないのでいまの私には関係ないなと思います。お墓もなにも死んだ人にわかるはずもないからどうでもいい。ぜんぶ遺された人のためにある概念なんでしょうね。死んだほうは肉体も魂もなくなって終わりだと思います。

 今日、友人の家でビデオプレスのインタビューのDVDをみていました。友人が網野先生は若々しいねと言っていました。あと、何回も笑って、こんなに本音を言う医者がいるのか、正直な人なんだねと言っていました。原発不明の骨転移で苦しんでいる知り合いにみせてあげたいと言っていました。その人は癌研で放射線治療を受けましたが、また痛みがでてきたそうです。丸山ワクチンをやっています。でも、知り合ったがん患者さんを全員思い通りに動かすわけにもいかないので見守るしかありません。

 猫のことを聞いたのはうちで飼えるかなと思ったのですが(ご飯をあげている野良猫がかわいそうなので、ほかの猫は飼えないと思っていたが、いつまでたってもなつかないので根気がなくなってきた)、捕まえるのは無理そうだし、うちに連れて来てもなつきそうにありませんね。いま来ている野良猫をもう少し根気強くならしてみます。私がつきあっていた非行少年とつきあうにも1にも2にも根気でした。猫をみながら彼らを思いだしています。
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by lumokurago | 2011-02-18 17:35 | Dr.Aとの往復メール
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