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辺見庸 水の透視画法

 辺見庸さんの「水の透視画法」、東京新聞では連載が中止になってしまいましたが、沖縄タイムスではまだつづいています。2011.2.18の沖縄タイムスより。

狂気かくす 排除の倫理  秋葉原事件求刑公判

 (前略)

 梅の枝をつつんでいた新聞紙をすてようとしたら、大見出しに眼を撃たれた。「悪魔の仕業」「死刑を求刑」―秋葉原事件論告求刑公判の記事である。(中略)おどろいたのは「悪魔の仕業」という言いきりかたに、である。せめて助動詞「ようだ」か、その連体形「ような」を付した直喩のかたちにして「悪魔のような仕業」か「犯行は悪魔のようだ」と表現できなかったのか。横着な記者がわざとはしょって「悪魔の仕業」という、異端審問ふうの見出しをたてたのではないか、とうたぐった。本文を読むと、はたして記者が横着なのではなかった。「人間性のかけらも感じ取ることができない悪魔の仕業といわなければならない」が、論告正文であったのだ。

 眼鏡をかけたあの青白くやせた青年はわれわれとおなじヒト科ヒト属の種であるヒトとして分類するのが困難な、悪魔ないし悪魔と同等の「人間性のかけらもない」生き物ということなのか。どうもあんばいがおかしい。顔写真をしげしげと見る。もちろん悪魔になんかみえない。あまりにふつうすぎるほどふつうなのだ。(中略)だいいち、悪魔はもともと宗教用語であり、現代の裁判にはなじまない。(中略)わたしよりだいぶ若い検察官たちはなにをイメージして「悪魔の仕業」と表現したのだろうか。このことがをつかうことに抵抗はなかったのだろうか。(中略)

 検事たちは、人間やいわゆる人間的なものの対極に悪魔を措(お)き、被告人の罪状の重さをきわだたせるために、悪魔の形容をひるむことなくもちいたのだろう。犬をなだめながら、でもなあ…と、わたしはとまどう。そして、ひやりとする。検事たちも記者たちも悪魔の所在なんか信じていまい。非在のものを裁判にもちだし、記事に書くその心根に、手におえない思念の廃(すた)れを感じる。あぶなくはないか。

 かつてある思想家は書いた。「十八世紀末以前には、『人間』なるものは実在しなかった。それは知という造物主が作りだした最近の被造物である。」 近代の知がこしらえた「人間」という価値概念は、ヒトがじつはおそるべき「非人間」の半面をふくみもつにもかかわらず、それを他者として切りはなし、他者を排除・抑圧することでヒトとその社会に本来的に潜在する暴力性や狂気をかくそうとした。二十一世紀の悪魔もそうしてつぎつぎにねつ造され、排除されつつあるのではないか。

(中略)悪魔と青年をよばわることのすごさ。悪魔とよばわる者らは、そのむなしさを知っていよう。つまり、ことばなんかほんとうは信じていない。ということは、「人間」のふかみに関心をもっていない。無差別に多数を殺傷した者、それを悪魔と責める者。ともに「人間とことば」への関心と執着をなくしているのかもしれない。犬がうなる。

*****ここまで引用

 「悪魔」ではない「人間」がおこした事件だからこそ、私たちはあの青年について、青年をおいつめたものについて、私たちのいま生きる社会について、真摯に考えていかなければいけないのである。
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by lumokurago | 2011-03-02 20:26 | 沖縄タイムス
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