暗川  


写真日記
by lumokurago
S M T W T F S
1 2 3
4 5 6 7 8 9 10
11 12 13 14 15 16 17
18 19 20 21 22 23 24
25 26 27 28 29 30
検索
リンク
ご感想をお寄せ下さいmailto:lumokurago@yahoo.co.jp

嫌がらせコメントは削除させていただきます。

必ずしもリンクするHPの意見、すべてに同調するわけではありません。ご自分で情報を選んでください。

原子力資料情報室

小出裕章非公式まとめ

沖縄タイムス

暗川メインページ
私の下手な絵などを載せています。

杉並裁判の会
私たちの裁判の会です

ポケットに教育基本法の会

「つくる会」教科書裁判支援ネットワーク

もぐのにじいろえにっき
もぐちゃんのページ

プロテア
リリコおばさんの杉並区政ウォッチング

鬼蜘蛛おばさんの疑問箱
松田まゆみさんのページ

熊野古道の路沿い
鈴さんのページ

風に吹かれてちゅちゃわんじゃ
小笠原父島で農業をやっているサエちゃんのブログ

三宅勝久さんのブログ
杉並区在住のジャーナリスト

カテゴリ
以前の記事
ライフログ
その他のジャンル
ファン
記事ランキング
ブログジャンル
画像一覧

宮崎勤君の事件をめぐって その3

 今日はM.Yさん(22歳・当時)のお便りです。暗川31号(1990.5.27)より。Mさんは現在北海道で養鶏の仕事をしています。

*****

 暗川を読むと、手紙を書きたくなります。いろいろな人がいろいろなことを感じているんだなーって思って、顔も知らないのになんだか身近にいる人のように感じてしまう。みんなおざなりじゃなく、真剣に考えて思いをつづっている空気みたいなものがすごく心地よい。

 やっぱりあの“宮崎”事件は影響大きいみたいですね。結局、マスコミ報道は決してあの事件の本質にはとうてい行きつけやしないだろうと、私も思います。そして多くの人もただ単に“殺人=下劣な行為”という程度の認識しか持たなければ、この手の犯罪はますます増えるでしょうね。『北海道新聞』の投書欄にも「極刑にしてしまえ!」という人の方が多いみたい。

 私が“宮崎被告”なんかより、いちばん理解できないのが、戦争を体験した世代の人たちがこぞって“正義”?!の刃をふるっていることだ。平和な世の中で人を殺すと誰しもが“異常だ”と叫びたてる。けれど、ひとたび戦争が起これば、人が人を殺しても誰も何も言わない。むしろ一部の人々はそれを“当然”だと考えさえする。だけど結局“殺人”という行為の本質には変わりはないんじゃないかな? これは決してそういった世代の人たちを責めているのじゃないですよ。だけど何か変だ。その時々の状況によって変わる人間の価値観なんて・・・そんなものはニセモノだ! って言いたくなる。

 それに殺された者の肉親は別としても、誰も彼を憎悪する権利なんてないと思うし、そういった他人への不合理な憎しみが新たなる殺人の芽になっていると思う。だって、殺人を犯すのは決して特別な人間じゃなく、普通の人間だもの。まる裸の人間としての“彼”を、そして自分たちの中の人間を見つめない限り、“宮崎”被告のことなんてわかりっこないと思う。

 そしてもう一つ、『暗川』の中のS.O.さんの文の中に「他者との<関係>は荒々しさ~充実した快さといえます」というのがあったけれど・・・うーん、これを言うのは私の心のいちばん奥深くあるものなので、非常にはずかしいのだけど、あえて“宮崎”事件にこだわりたいので言いますね。Oさんて人はそういう思いを人びととの関係の中で作り上げていける人なのでしょうね。少しうらやましいです。以下のことは私の独断的意見かもしれないけれど・・・。そういうふうに思うことができない人もいる。たぶん“宮崎”被告(ああーこういう言い方は好きくない!)もそうだと思う。実例をあげると、私もそういう部類の人間だったもの。(「だった」というのは違うかなあ?! ~ing現在進行形かな?! 半分はね)。

 一時期の私にとって、他者との関係というのはとてつもなくプレッシャーを強いられるものでしかなかった。特に、気軽に話せる友だちでもなんでもなく、顔は合わせても言葉をかわさない、単にクラスにいっしょにいるだけの人びととか、会社だけのつながりetc.・・・そういった人たちとの関係ってとても不安というか、自分の中で消化しきれないと思うときがある(これって自分の責任もあるってわかっているけれど)。毎日、あたりさわりのない会話。そういう生活がしばらく続くと、なんかほんとに虚無感におそわれてしまいそうになる。うまく表現できないけど・・・疲れる!?のかな。私は関係を作ることがうまくできないから、そう思うんですよね。

 “宮崎”、この人の場合、関係を打ち砕くことに快楽を求めているというけど、本当にそうなのだろうか。ただ単に、子どもがゲームに熱中するみたいに、自分で作った“シナリオ”を演じているだけにしか私には見えない。彼にとって現実、社会、そういったことすべてが自己中心的な心の夢の世界にしか見えていないのだと思う。うまく言えないけど、人はそれぞれある意味で自分、その価値観をこの世界の中心にして生きていますよね? 大人になるにつれて、たいていの人は自分以外の人間にもさまざまな世界があり、そういったものの“ぶつかりあい”、あるいは”融合”によって一つの社会がある・・・という認識にいたって、その全体の中で自分を表現することを学んでゆく。けれど彼はあまりにもマスメディアの限定された世界に熱中しすぎたために、たったひとりだけの狭っ苦しい心の世界に閉じこもってしまった。そのために社会と自分の心の世界の認識をとりちがえてしまったのだと思う。

 人は本当に社会の中へ出ずに、心地よいアニメーションや小説、その他の映像世界ばかりをみつめていると、実社会とのギャップにますます自分を合わせていけなくなって、しまいには現実そのものが空虚で汚らしい偽物に思えてくるんですよね。これってアニメ世代の全部とは言わないけど、思い当たる人けっこういると思う。私もそういう自分の心に気づいて苦しみました。心は空想の世界に逃げられても、自分の体は絶対に現実の中にいるし・・・ある時にみごと! 壁にぶちあたって砕けました。生まれて初めて1週間泣きはらしました。その時の心のショックは大きかった。止められない涙に「いったい自分はどうしちゃったんだろう」って自分自身とまどっていた。このまま気が狂うのかなって思いも浮かんできて、その時、母が”助け舟”を出そうとしたけど、なぜかすごく傷ついたんですよね。「これじゃあ私はますます弱くなる一方じゃないか」ってすがりつこうとする自分の心と母の甘さを憎みました。

 彼、”宮崎”という人は逮捕され、牢に入れられてはじめて“現実”の社会、そして人間、そして自分自身の心に気がついたんじゃないかな。だとしたら、彼の真の人間としての人生はこれから始まるのだと思う。そして、彼を犯罪者という枠組みの中で片づけて、その内部を理解しない限り、この社会も“大人”という成長を遂げるのは不可能だ、と私は思う。

 長くなったついでに、愚痴ってもいいですか? ―良い子の反乱― 暗川の中にもあったけど、“ワルの子”がいいって、私良い子じゃないけど、周りからは“まじめ”に見えるらしい。だから良い子の弁明。良い子ってさあ、心中は“ワルの子”と同じに感じたり、悲しんだりしてるんだい! だけどさあ、性格もあるけど、周りのことに気をまわしたり、自分の感情を抑えちゃうから、けっこうなんでもソツなくこなしてツンとしてるって誤解されるんだ。誰もが「あの子はちゃんとできる」って思ってしまう。両親でさえそう思ってる。これってプレッシャー。本当はバカヤロウって思いきり叫びたい時もあるのにね。良い子ってけっこうつらいんだ。メチャクチャしたくても生半可な大人の倫理観なんぞ頭にあって、ダダこねる勇気もない。「よし! やってやる」と思った時にはすでに大人として見られる年になっていたりする。訳わかんなかったりして・・・。(後略)  1990.4.9  M.Y.
[PR]

by lumokurago | 2011-03-08 18:18 | 昔のミニコミ誌より
<< 内海さんの写真より 雪の日の鳥たち >>