暗川  


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モノローグ ’84 

 たいへんなときですが、私の時間も限られているので、むかしのミニコミ誌よりの転載を再開します。


モノローグ ’84  (暗川第3号 1985.2.7 より)

××の独白

 俺は係長になって丸5年、2年前に念願かなってマイホームを建てた。通勤に1時間半かかるが、うちの社ではましな方だ。2時間かかるなんてのがザラなんだから。子どもは中学2年と小学校5年。上が男で下が女。長男が中学受験に失敗してね、小学校5年から塾に通わせたんだが、遅かったらしい。今、高校こそはと頑張っている。下の女の子も今、塾通いで金がかかる。女の子だから絶対私立にやりたい。公立中学の荒れ方はひどいらしいからね。傷でもついたら大変だ。

 いや、うちの子は2人ともいい子だよ。家庭内暴力なんて想像もできない。家内にもよくなついている。家庭に対する不満は何もない。家内はよく尽くしてくれる。1日の疲れでぐったりして帰ってきても、翌朝にはリフレッシュされている。もちろん疲れがたまる時もあるが、日曜日に家庭サービスを強要したりしないから助かるよ。ごろ寝してても邪魔にしたりしないし、会社は男にとっての戦場で、家庭は休息の場だってことがよくわかってる。できた家内だ。

 いやあ、のろけるつもりなど全くないだが、酔いがまわってきたかな・・・すまん。

 じゃあ、今の生活にすっかり満足なんですか、だって? 冗談言っちゃいけないよ。ローンの返済に子どもの塾の月謝、家内にも習い事をさせてるし、毎月火の車だよ。家内は文句は言わないが、腹の中じゃそろそろ課長にと思ってるに違いない。

 俺もなあ、いまひとつふんぎりがつかないぐずな男なんだ。上役にゴマをするにも顔が引きつるし。こんなことじゃいけないとは思うんだが、なかなか人間らしさを捨てきれないのさ。いや、この弱気がいけないんだ。このあいだの宴会で、○×が裸踊りを踊って以来、ばかに部長と近いんだ。奴はどうも宴会のあとで部長に女の子をあてがったらしいんだが。俺も今度の宴会では裸踊りを踊るぞ。女の子もなんとかするぞ。○×!今に見てろよ!

 そうそう、△△からこのあいだ仕入れた組合の動向も、部長の耳に入れておかなければ。○×にはこんな芸当、できないだろう。△△なんか、いい年をしてよくまだ組合なんかやってるよ。俺のこともまだすっかり信用しているんだから、驚きだよ、まったく。今どきああいう純な奴がいるとはね。いい奴なんだ。少しばかり心が痛むよ。俺だって若い頃はうちの会社が兵器を扱っていると知って悩んだもんだ。でも、部長が言っただろ。

 「君もわが社の社員なら、社に来たら個人の思想信条は捨てて社の方針に従ってくれ。私にも思想信条はある。だが、社では社の方針が私の思想だ」

 △△はいい奴なんだが、尻の青いガキと同じなんだ。今はやりのピーターパン症候群とはまたちょっと違うようだが、いつまでたっても大人としての自覚に欠けている。このあいだ社から出された提案制度にも、「どの部分が合理化できるかを一番良く知っている現場の人間を競争させて、自主的に合理化を進めさせようとする巧妙な罠だ、分断だ」とかなんとか。現場の意見を聞いて、合理化できるところを合理化すんだ、いいことだと思うがね。合理化によって会社の利益が上がれば、俺たちの給料も上がる。え? クビになる奴も出るって? 結構じゃないか、能力主義の世の中だ。能力のない奴はクビになっても仕方ない。俺の課も事務の見直しをして、無駄な部分はどんどん簡略化することにしよう。

 △△よ、「団結」なんていう言葉はもう古いんだよ。団結してどうなるっていうんだ。課長になれる人間はほんのひとにぎり、部長となれば本当の狭き門だ。俺が課長になりたいんだ。部長になりたいんだ。団結したって全員が部長になれる訳じゃないんだぞ。そこんとこ、考えたことあるのか? え、△△! 「労働者階級の解放」だって? へっ、そんなものくそくらだ。労働者階級から解放されたかったら、出世するしかないんだよ。ハハハ、まるで悲鳴だって? ハハハ。


突然、△△登場。

 
△△ おまえなんだな!

×× いきなりなんだ、どうしたんだ。

△△ 極秘に予定した昨日の行動が会社側につつぬけだった。俺たちが兵器工場のスト打つ予定でピケに行ったら、もう暴力団がいて排除されてしまった。わかってる、おまえしかいないんだ。

×× まあまあ、そんなに怒るなよ。俺とおまえの仲じゃないか。おまえのためを思ってやったことだ。

△△ なんだと! 俺とおまえの仲だからこそ話したんじゃないか。おまえは会社側の情報も流してくれていたし。

×× いつまでも青臭いな。そろそろ目を覚ませよ。いつまで古臭い組合活動やってても、今の時代、負けるばっかりじゃないか。この辺で方向転換して会社側と手をつなげよ。組合が合理化に協力すれば、会社の発展は間違いなしだ。月産とかタヨトを見習えよ。あれこそが日本の最先端の組合活動というものじゃないか。

△△ そうか、本気でそういうこと言うようになったか。おまえも堕落したな。昔はもうちょっと骨のある奴だったのに。俺はおまえは活動からは手を引いたが、どこかにうしろめたさがあって、上役に知れない程度に情報を流してくれていたものとばかり思っていた。俺がバカだったよ。

×× そうさ、おまえはバカさ。堕落が悪いことみたいに! 堕落していくことが生きてくっていうことじゃないか。いつまでも絵空事を信奉しちゃいられんよ。大事なのは生活していくことだ。息子を一流大学に入れることだ。俺みたいなみじめな思いはさせたくないからね。俺は金が欲しいのさ。

△△ おまえこそ大バカヤローだ。金がなんだ。一生を金を稼ぐためだけに棒に振って、残ったものは「粗大ゴミ」か? おまえのような奴こそ支配者にとって都合のいい良民なんだ。「金」と「出世」というエサを目の前にぶらさげられて、他の世界は視野からはずされて、エサだけに尾っぽを振っている犬と同じじゃないか。それでも人間か!

×× おまえのはいつも理屈なんだよ。理屈で人間が動くか!人間は金で動くのものさ。

△△ 人間には理想があるんだ!

×× おお、なんたる救いがたきロマンチストよ!星よ、花よ、愛よ、自由よ!

△△ 茶化すな。ロマンがなくて人間やってて、一体何がおもしろいんだ。

×× 何もなくて結構さ。ウラン・ウラク戦争が激化して、わが社の株は目下急上昇中、結構なことじゃないか。

△△ 俺は悲しいよ。昔一緒に「ビトナムに武器を送るな!」と叫んだおまえが・・・


△△の独白

 ここ数年来、うちの会社も社会を映して、急速に右傾化が進んでいる。発端は5年前に総務課内に新設された指導係だ。別名「社員監視係」とも言う。社宅内で奥さん方が勉強会やったというだけで、すっとんできて「アカ」呼ばわりだ。集会結社の自由どころか、源氏物語読んでるってだけで、こうだ。人が集まるだけでいけないらしい。「80年代」(雑誌名「野草社」刊)でも「いま、人間として」(雑誌名「径書房」刊)でもない、源氏だよ、まったく。 

 それにあの研修。やれ接遇だ、オアシス運動だ、OA化がどうの、ワープロ講習会だの。ま、そのへんならまだいいよ。課から何名出せとうるさいがね。許せないのは半強制的に受けさせられる新任、中級、係長級の宿泊研修だ。個人の思想信条など、頭から否定され、ただひたすら、社のために尽くすことを有無を言わさず押し付けてくるのだから。拒否なんかしようものなら、将来窓際族確実だもんな。冬の寒空の下、海水パンツ一丁で海べりをランニングさせて、社に忠誠を誓えるなら海に飛び込んで意思表示しろかなんか。××の奴なんか、歯をガチガチ言わせながら必死になって飛び込んでるんだろう。腹の突き出た奴の姿想像するとふきだしちまうけど、笑ってもいられないよ。背筋が寒くなるってもんだ。軍国主義復活だ。 

 社宅の奥さん連中の中には、夫の出世のためにはって、身分からスパイの役を買って出て、指導係にチクってるのもいるらしい。井戸端会議でもうっかり本音も言えないって訳だ。それに指導係で社員をうまく管理できると認められた奴は出世が早いってうわさがあるもんで、係員は大変な熱の入れようだ。うまいやり方さ。上役がわざわざ手を下さなくても、完全に自主管理が行き届いている。それにとどめを刺す形の、今度の提案制度だ。全くきたないやり方だよ。現場の人間を現場の合理化に利用する。本来、合理化反対!を掲げているはずの現場を。 

 それにまた競争だ。競争心をあおりたてることで、自分で自分の首をしめてることを忘れさせるわけだ。組合員の中にも、会社側から一方的に合理化されるよりは、こちらから先制打を放った方が現場のためになるという意見もある。ただ反対を掲げたって今の時代の労使の力関係から、白紙撤回させるのは無理だから、組合側もある程度妥協する必要があるというわけだ。でも、何かあるたびに妥協していたら、外堀が埋められ、内堀が埋められ、という具合に攻め込まれ、気づいた時には周囲を敵に取り巻かれ、総決戦をしようにも、今まで妥協を重ねてきたから士気があがらない、あえなく白旗を掲げる、てなことになるんじゃないかね。 

 しかし、世の中、どうしてこう平穏なんだろう。ツマハーク配備反対の運動なども、一部の人間が動いているだけ。一億総中流意識化とかで茨木のり子(詩人)の「もっと強く」(詩の題名・茨木のり子作)という思いは消え、「今の豊かさを失いたくない」という思いしかないようだ。 

 “高度成長”が終焉し、今の時代は“安定成長”の時代だそうだが、それと共に、人間のエネルギーの量が圧倒的に減少した。いやモーレツ社員は今でもいるが、この言葉は嫌いなんだが、夢とかロマンが今はもうない。そりゃそうだ。“安定成長”の時代には先が見えてしまっている。夢のもちようがないからせいぜい“今”をおもしろおかしく過ごそうとするのさ。明快な論理じゃないか。最近、本で読んだんだが、スポーツもハングリーなボクシングでなく、アティテュード(演技)のプロレスが人気があるらしい。そういえば、マンガだって「あしたのジョー」(マンガの題名・60年代後半に流行った)から「キン肉マン」(マンガの題名・84年当時子どもたちに人気があった)だな。 

 “高度成長”の時代には何と言っても活気が満ち溢れていた。“高度成長“そのものがよかったと言ってるんじゃない。むしろ諸悪の根源だと思っている。ただ、あの時代のハングリーな人間たちが懐かしいんだ。おや、とうとう本音が出たね「懐かしい」と。ほらほら、言われるぞ、「昔はよかったなんて懐かしんでいても何の力にもならない。時代はここまで進んでいるんだ。この時代の中で何を大切に生きるのかを考えろ。熟練工の技術を行かせる昔ながらの工場がよかったとか、木や草や土に囲まれて暮らしたいとか言って、どうなるんだ!もう昔には戻れないんだぞ、このコンクリートを全部はがせるわけがないだろ!」 

 いや、俺は前に映画で見たことがある。沖縄で基地のコンクリートを全部はがしてサトウキビ畑をよみがえらせたところを。その気になればコンクリートなんかはがすことができるんだ。三里塚空港の滑走路の下には、豊かな農地が眠っている。パリの5月革命でパリっ子たちは舗道の敷石をはがしてこういったじゃないか。 

 「敷石をはがせば、そこは海とつながっている」

 “救いがたきロマンチスト”か・・・


 間


 しかし、みんなも今の生活にはどことなく空しさを感じているに違いない。それを自覚するのがこわいから、余計にはしゃぎまわっているんだ。檻に閉じ込められていることに気づいたって、決して檻を破る方法がないなら、変に檻を意識して暗くなったり、檻を破るために体当たりして傷ついたり、遮二無二行動して挫折したりするのは消耗ってもんだ。昔、「ブタ箱にレースのカーテンをかけて、ちょっとばかりいい暮らしができるようになったからって、「それで自由になったのかい。あんたの言う自由なんてブタ箱の中の自由だ」という歌があった。あの頃はみんな、純情だった。いや、こういう言い方はよくないな。ただ、時代がよかったんだ。いつの時代も人間は「時代の子」だもんな。 

 今の時代は、ブタ箱の中でおもしろおかしく生きることを価値とする時代らしい。しかし、子どもたちはそういう意味じゃ大人ほど計算高くないし、感じやすくて純情だから、今の時代についていけなくて反乱を起こしている。骨のあるのは子どもだけというわけだ。しかし、外に現れた現象が昔のように自分の思いをストレートに主張するものでなく、親や教師に暴力をふるったり、登校拒否をしたりという、言葉以外の手段で訴えるので、鈍感な大人たちにはそれが時代に対する反乱であることが見抜けない。 

 それで、規則を厳しくしたり、家庭でのしつけを問題にしたり、果ては道徳教育の強化とか、そういう方向に行くんだから、子どもたちもうまく利用されたってもんだ。だが、今の子どもたちにはどこか病的なところがあると思うよ。いや、社会全体が病んでいるんだから、無理はないんだが。もう、ギリギリまで追いつめられて、後がないところまで来ているのかもしれない。子どもたちの半鐘の鳴らし方のすさまじさを見て、そう思う。

 いや、人間が人間として古典的に感じたり、考えたり、他人と付き合ったり、という時代は終ろうとしているのかもしれないね。俺は古典的な方の部類の人間だから、なんでも重くまじめに考えるし、コンクリートのビルよりも木造の家の方が暖かいと感じ、コンピュータなどにはなじめない。高速道路が上にも下にも走っているような所に行くと、別世界に来たような気がするくらいだ。しかし、今の若い者や子どもなんかは、俺みたいな感じ方はしないだろう。うちの子供たちも外で友だちと遊ぶより、室内でテレビを見たり、ゲームウォッチをやる方がずっと楽しいと言っている。まさに新人種の誕生だ。感じ方も考え方も他人との付き合い方も俺たちとはまるっきり違う。 

 縄文土器から弥生土器に、それからずっときて、ランプから電気にと、いわゆる文明が発達してきたわけだが、手元の本を見ると、縄文時代は約1万年前からB.C(紀元前)300年位まで、弥生時代はB..300年からA.D(紀元)300年位までと、とてつもなく長く、文明の歩みは遅々としている。ところが、時代が進むにつれ、その歩みは加速度的に速くなり、特に最近20年間の「発達」ときたら、平安時代頃からの1000年の人間の生活様式を一挙に変えてしまったのではないだろうか。新人種も生まれるわけだ。 

 今に、人間が感じるとか考えるということそのものの中身も昔とは全く違ったものになるような気がする。肉体としての人間は急には変わらぬ種だろうが、今「心」と呼ばれているものは、将来的にはすっかり変質して何か別の名称がつくんじゃないか、それを進化と呼ぶか退化と呼ぶかはわからんが・・・ 

 どうも暗い話になってきたな。いや「暗い」というのは俺の感じ方にすぎない。この感じ方がだいたい時代遅れってもんだ。 

 話が戻るが、活気の話、今だって活気がないとは言えないが、昔とは全然違うところに違う形であるんで、全然ないより余計に薄気味悪い。若者の世界に溢れているあの「笑い」。あれを文化と呼ぶのかどうかわからんが、ユーモアの域をとうに越えた、下劣といいたい位の、そしてあまりにもワンパターンのギャグの連続・・・マンガでもテレビでもそうだ。ああいうものに若者や子どもやかろうじて「笑い」という形の活気を与えられている。まさに、「与えられて」いる。だが、あの笑いは、心を開放させてほがらかに笑うものでなく、まるでその逆、精神的にパニック状態に陥った者たちの逃げまどう叫び声に聞こえないか? 断末魔の叫びに似て・・・。こんなふうに感じるのは俺だけなのかね。まあ、本人たちは感じるはずないが。比較するものを持たないのだから。 

 しかし、今の時代は複雑な時代だ。あまり複雑でそれがまた急激にクルクル変わる紋で、既成の哲学ではついていけない。今、最も求められているのは新しい哲学だと言われる。

 「ミネルヴァの梟は日暮れに飛ぶ」(「哲学は時代の終わりに生まれる」の意)だったか。しかし、日暮れまで待っていられない。今度来る日暮れは、永遠に夜明けの来ない日暮れなのかもしれないから。


□□の独白


 「人が何ものでもないこと、人生が無意味であること、それこそ人間の恥辱であり、屈服であるように信じこませ、他方に於て屈服を希望に変えさせること、努力によって人は必ず何ものかであり得ることを信じこませる」。(吉野弘の詩「モノローグ」より引用) 

 これは、昔、わしの言ったことだが、基本的には今も考えは変わっていない。代わったことといえば、この中の「希望」という言葉がもっと単純な「物欲」「出世欲」に収れんされたことと、「人は必ず何ものかであり得る」の中身がこれまた単純な「マイホームを持つ」とか「人並みの暮らしをする」といった程度の低いものになったことぐらいだ。わしには都合のいいことばかりだ。

 出世欲、これが今の時代の鍵だ。これを巧妙に操作し、競争心をあおり、適度にエサを与えて物欲を満足させながら、完全な絶望に至らせないように注意する(完全に絶望した者は危険だ。何をするかわからない)。昔は貧しかったから、十分にエサを与えられず、不満を爆発させたりしていたが、今はエサは有り余っている。彼らが十分満足できるだけ与えられるから、不満はなく、余計なことも考えず、おとなしく働き、結構楽しくやっているようだ。えさをやることがわしにとって自分の富が減るわけでもなんでもないどころか、かえってそれで増やしてもらっているところがみそだ。エサがはければはけるほど、儲けさせてもらえるんだからな。彼らも喜ぶし、わしも喜ぶ。これ以上いいことはない。

 人間たちが持っている妬みという感情、わしはあれを大いに利用させてもらっている。あれたちは自分より少しでも出世した者を妬むから、あれたちの心を引き離し、ひとりひとりをバラバラにすることなど、わしにとっては容易なことだ。そして、自分に自信の持てないあれたちは、自分より少しでも下にいる者、弱い者をいじめることで、かろうじて自己の存在を認め、落ち着いた気持になる。いじめるのでなく慈悲を施す者も中にはいるが、効果は同じだ。あれたちの中に、わしが特に目をかけてやる者を作ることもよい。ほんの少し特別待遇してやるだけで、それらはわしに信じられないくらい忠実になり、以前は仲間だった者たちをわし以上にうまくあやつるようになる。わしでもためらうようなことまで平気でやってくれるようになる。 

 わしにとっておもしろくないのは、物欲も出世欲もあまり持たない者たちだ。それたちはわしの網の目からこぼれ落ちてしまう。だが、それたちは全体から見ればごくごく少数だし、今のところまわりへの影響力を持たない。むしろ、ドンキホーテのように笑いものになっているから、全体にとってはちょうどいい見せしめだ。わしに逆らったって無駄なことを示してくれる生贄だ。あれたちはなぜか、他のものと自分が違うことに驚くべき恐怖心を持っている。だから、少数の落ちこぼれの方には決して近づこうとしない。これもわしには好都合だ。

 わしが本当にこわいもの、それは口が裂けても言えない。だが、それが現実に出てくるとはあれたちの習性からして考えられないことだ。わしはあれたちの習性を今日も研究し、どうやったらもっとわしのために働いてもらえるかを考えている。落ちこぼれどもの中にはわしのことを研究している者もいるようだが、それらも孫悟空のようにわしの手のひらの中にいる。

 わしを富ませてくれるあれたちに栄光を!
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by lumokurago | 2011-03-24 22:16 | 昔のミニコミ誌より
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