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トロントからのお便り

 トロントのTakakoさんからメールをいただきました。許可を得て掲載させていただきます。遅れてごめんなさい。

渡辺容子様

 2年前、脳梗塞で倒れた父の件で感謝のメールをさせて頂いたTakakoです。その後もずっと容子さんのBlogを拝見させてもらってました。今また何の前置きも無くこうしてメールを送りつける失礼をお許しください。今回も、私が(そして多くの人々が)求めていた情報提供と行動開始をして下さってる容子さんに、どうしても感謝を伝えたいのです。

 トロント在住の私は地震発生からカナダ・U.S.のニュースと日本のニュース両方を見て、その違いにとまどい、一人焦り、次第に怒り心頭し、友人達にこちらの情報を流したり、容子さんを始め数少ないが真実を伝えてくれているサイトのリンクを配信したりしてました。得に福島原発の危険は、こちらでは日本のニュースよりはるかに迅速に伝えられ、数々のスペシャリストが知識と経験、歴史を元にその時点での危険度を科学的証拠を裏づけに解説し続けてました。管総理と枝野官房長官の記者会見の内容は、こちら側のニュースを見た後では、同じ事態について話をしているとは思えない程の差がありました。

 16日くらいからようやく遅れ気味だけれどもニュースの内容が一致する感じになってきたので一安心したところでした。でも、各地の放射線量の計測値がリアルタイムで国民に知らされてない様だし、計測器が販売禁止になっているとも聞きました。政府とメディアは「直ちに健康に影響する値ではないから大丈夫」と言っているんですね。政府に都合の良いように捏造された情報に踊らされて、あれよあれよという間に戦争に突入していったのと同じではないか、とこの政府が第二次世界大戦から全く進歩していないのを再確認させられた思いです。

 更に、今回の事がきっかけで、生まれて初めて原子力と放射性物質について少し勉強しました。世界で唯一原爆被害を受け非核3原則を謳う日本が、原子力の驚異と危険を一番知っていなければならないはずのこの日本が、虚偽の安全性に基づかれた原発を建設し続けて来たとは。何十もの爆弾を抱えて生活させられていたとは。そしてこれからも。。。。

 さっき、容子さんのBlogにある「廃炉の署名活動」を友人たちにメール転送したところです。私も勿論すぐに署名して返信するつもりです。

 今後も情報発信、どうぞ宜しくお願い致します。

 3.22  Takako @ Toronto


 ★ Takakoさんからは2009年の暮れにもメールをいただいていました。こちらもどうぞお読みください。


渡辺容子様へ、

 突然、勝手に、赤の他人であるのに、長々と個人的な手紙を送りつけておりますが、どうか何とか最後までお読み頂きたい。容子さんの書かれた事が、一人の人間を確実に救ったということを、ここに深い感謝をもってお伝えしておきたいのです。

 私は日本がホトホト嫌になり、幸い夫がカナダ人なもので、2001年からカナダのトロントに住んでおります。父の病気がきっかけで容子さんのブログに出会い、私が嫌悪感を抱き闘わずして逃げ去った日本社会の様々な不正義に対して果敢に立ち向かっていらっしゃる容子さんの事を知り、『あぁ、こういう人がいなければ日本は本当におしまいだ。私には真似できないだろうけれど、容子さんの精神に賛同したい』と常々思っています。この件についてはいつか改めてお話など出来たら嬉しいですが、以下、本題です。

 2008年7月11日に父が倒れました。翌日、脳梗塞だと診断された時には梗塞が既に広範囲に広がっており、水頭症を併発し、そのまま昏睡状態となりました。脳の圧迫をなくす為、頭に管を通す処置がなされました。私は色々な事情ですぐには帰国できず、郷里の横手駅に到着し父の病室へ面会に行けたのは8月19日の夜でした。変わり果てた父との面会は、恐怖と後悔と怒りとが入り混じったやるせない気持ちでした。仕事は6週間の休みをもらえていたので、その間可能な限りの時間を父のベッドの横で過ごしました。私が到着した頃から徐々に昏睡がとけ、6週間後に私が去る頃にはリハビリの先生の指示を聞いて手足を動かしたり、座る姿勢に少しだけ耐えられるくらいにまで回復してきました。6週間の看病期間、父や他の重症の患者さんを観察して、脳の機能を失った人間がどうなってしまうのか、脳があらゆる肉体機能とそして心の機能までをも司っている事を今更ながら思い知らされ、そして覚醒していく人間がどの様な経過を辿っていくのかなどをこの目でしっかりと学びました。父が命を取り留めた事は奇跡であり喜ばしい事なのに、私の心は張り裂けんばかりに複雑でした。スポーツ万能で夏は登山にテニスに釣り、冬はスキー、ガーデニング、カラオケなど何でもこなす父は、私にとってのスーパーヒーローであったのです。そしてそれが崩れ去り別人と化した父をどう受け止めていいのか分からずに苦しかったのです。なぜ、父が?彼が何をしたというのか?何の罰なのか?なぜ、なぜ、なぜ。。。。。と、胸が張り裂け頭が爆発しそうになりながら、責める相手の無い怒りと答えの見つからない問いに押しつぶされそうでした。トロントに戻ってから、脳梗塞についてのあらゆる情報、患者がどうやって回復しどの様なリハビリをしたのか、心のケアはどうか、看病する家族はどうかなど、インターネットで必死で探しました。当り障りのない一般的な情報ばかりで、回復されたご本人によるブログなども父の症状よりも大分軽い様なのであまり参考にならず、悶々とした日々が続きました。そんな暗黒の中、私に一筋の希望の光を与えてくれたのが、容子さんの随想録「父の認知症と私」でした。私が容子さんの以下の言葉にどんなに救われたかは言うまでもありません。本当に目から鱗でした。こういう受けとめ方もあったのか、と。

<以下、抜粋>

 『認知症も人間の自然の姿なのだと思うようになった。確かにとてもつらいけれど、年をとるとはそういうことである。』

 『父が認知症になった時は、「今まで一生懸命に生きてきて、何も悪いことをしていないのに、最後になんでこんなひどい目にあわせるの!」と憤りさえ覚えたが、人間とはそれほどに孤独なものであり、生きるということは大変なことなのだと思うようになった。ぼけないですめば、それはそれでいいけど、ぼけてもそれは自然なことなのである。』

<抜粋終わり>

 私にとって父はまるでSoul friendの様な存在で もあり、無口でシャイな父は決して言葉にはしないけれどいつも心が繋がっているのを感じていました。私は自分の人生で一杯一杯なのと、両親共に健康だったのをいい事に、2000年頃からは実家にも帰省せず、親孝行らしい事は全くしていませんでした。いつまでも元気であるはずの無い親に対し思いやる事に欠けていた自分のエゴに腹が立ち情けなく、取り返しの付かない過ちを犯した事に気づいたのでした。この後悔が拭われる事は決してありませんが、少なくとも今の父の姿を彼の人生の一部として受け入れられるようになったのは、容子さんの記事のお陰なのです。

 お陰で私の心はかなり鎮まり、2度目の訪問をした2009年の8月は、大分心穏やかに、まだまだ回復途上の父を温かく見守る気持ちで、かつ前向きに接する事ができました。もともと運動神経の良い父は、ベッドで上体を起こし自分で車椅子に移動することが出来るようになっていました。父のお世話になっている特別養護老人ホームの方針が父の性格に合っており、自由にのびのびと過ごせているのが回復に繋がっているのでしょう。嚥下機能もまだ駄目だし、歩行もまだ出来ないし、認知症も進みつつある様ですが、焦らず諦めず暖かく応援していこうと思っています。

 前回の帰国の際、容子さんに是非お会いしたかったのですが果たせずにしまいました。次回は必ず、押しかけたいと思います。嫌と言われても必ず会いに行きますよ。私の心の恩人ですから。

 容子さんの最近のブログを読み、私など想像もつかない痛みの中にあるのだと察しますが、どうぞ無理をなさらずゆっくりと新年をお迎えください。

 最後まで読んで下さりありがとうございます。お会いできるのを楽しみにしております。

 2009.12.26   Takako
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by lumokurago | 2011-03-25 14:32 | 原発
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