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暗川  


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残された「時」に

残された「時」に ―フィリピンにて―  
                暗川第11号 1986.10.12 より

 私は1985年の夏、フィリピンの小さな島カバジャガンへ行った。カバジャガンはフィリピンで二番目に大きな島、サマール島の北東の肩に当たる所にある戸数約350戸の小島で、人々はほとんど自給自足の暮らしをしている。

 なぜこんな観光地でもない小さな島に行くことができたのかというと、学童クラブで預かっていた子どものお母さんにフィリピン人の人がいて、彼女の夫(子どものお父さんー日本人)が亡くなり、、日本語があまりできずに困っていた彼女に私が日本語を教えに行っていた関係で、彼女が帰省する時、連れていってもらったのである。

 「日本人を見たのは戦争以来」というその島で、私たちは国賓級の待遇でもてなされ、彼らの質素でしかも本当の意味で豊かな生活からたくさんのことを学び、何ものにもかえがたい貴重な体験をした。

 フィリピンの子どもたちは、文句なくかわいかった。私たちにまとわりついて、自分の名前やビサイヤ語の単語を教えようと、口々に騒ぎたてている時の生き生きとした目、それを私が発音してみせた時の底抜けに明るい笑い顔、海辺で貝を拾ってくれた時の恥ずかしがりのしぐさ、ココナツの葉でほうきを作った時に、得意になって私たちに教えてくれたはずんだ目・・・それらの表情の豊かさは、日本の子どもとは比べものにならないほどすばらしかった。

 大勢の子どもたちが私たちに群がって、騒ぎたてている時、フィリピンの子どもも日本の子どもも、表面的には変わりないように見える。騒がしいのは確かに同じ・・・でも、何かが違うのだ。フィリピンの子どもの騒がしさは、楽しくてたまらない騒がしさ、だから、ちっともうるさいと感じない。私も一緒に騒ぎたくなる。それに対して、日本の子どもの騒がしさは、何かにおびえてパニックを起こした人々の発する、もはや正気とは言えない断末魔の叫びに似ている。「助けてくれ!助けてくれ!」と。その必死の叫びが聞こえても、どうにもできない私は、もう、両手で耳をおおいたくなる。

 なぜこんなに違うのだろう。カバジャガンには、ファミコンはもとより、文房具も本もおもちゃも何もなく、着る物にさえ不自由し、足ははだしだというのに、子どもたちは満ち足りた心で、毎日を生き生きと暮らしているように見える。日本には、ありとあらゆる物があふれ、何不自由ないはずなのに、子どもたちは「もっと、もっと」と際限なく物を欲しがり、「欲しい」と言った物を手に入れたとしても何も満足しない。手に入れた瞬間には、もう次に欲しい物のことを考えているのだ。

 子どもたちが本当に欲しいものは“物”ではない。“物”では決して心が満たされることなどないことを知っているのである。しかし日本には“物”しかないのだ。子どもたちの心を本当に満たしてくれるものは何なのだろうか。

 カバジャガンでは、人々の毎日の労働は、そのまま毎日食べて生きていくことにつながっている。そして子どもといえども、そういう生活を支える立派な一員なのである。

 私たちがお世話になった家の子どもを例にあげてみる。14歳のポールの一日の生活というのは、およそ次のようなものである。

 朝は4時頃起きて、部屋のそうじ、ココナツの葉のしんで作ったほうきで床をはき、ココナツのからに足をのせ、踊りを踊るように左右に動かして床を磨く。次に井戸から水を汲んで運ぶ。朝食を食べ、学校に行く。昼食には戻って、少し勉強して、また学校に行く。帰ってくるとおじいちゃんと一緒に畑に行き、作物をとり、かごに入れて運ぶ。そしてまた水汲み。水汲みはポールの仕事で、時々呼ばれて、近くの井戸に汲みに行く。容器は灯油を入れるポリタンク位の大きさで、ポリエチレンでできていて、木のとってがついている。それを、日に何回も何回も運ぶ。ポールは舟もあやつり、釣りのしかけを作って、釣りにも行く。

 8歳の女の子、パーラは、飲み水用の小さいポリタンクを運ぶのが仕事である。近所のおばさんが台所仕事を手伝っている時、パーラは、そのおばさんの赤ちゃんの面倒をみる。子どもたちは、6,7歳ともなれば、みんな、小さい弟や妹を抱いたりおぶったりして、子守りをしている。

 高校生のフレディは、漁に行き、畑仕事をし、大人と同じに働く。暗くなると石油ランプに火をともすのが、彼の役目。フレディは食事の後片付けもしていた。

 私が驚いたのは、夜、大人たちが集まって語り合ったり、歌を歌ったりしている時、子どもは、ただ黙ってそれを聞いていて、いるかいないかもわからない位静かにしていることだった。大人のそばに寄ってきたり甘えたりなど、8歳のパーラですらしなかった。それほどに満ち足りているのだ。大人の世界は、子どもの自分たちとは違うところにあり、自分はまだ子どもだから邪魔をしてはいけない、そう思って、ただ静かにして、よく見ているようだった。眠くなれば、隅の方へ行って、床に横になって眠ってしまう。

 また、お客さんに出された食べ物は、いくら一緒に食べるように誘っても、手をつけない。日本の子どもたちがなんにでも「ちょうだい。ちょうだい」と言うのと対照的。

 フィリピンの子どもたちは、なにしろ、心が落ち着いて安定していると感じる。それは、自分が家族の中で必要とされていることを、毎日の暮らしの中で具体的に実感しているからなのだと思う。それに比べ、日本の子どもたちには、あまりにそういう具体的な場面が少ない。労働はおろか、家事の分担さえそれほど必要性はないし、自分が親に認められるのは、何かを買ってもらう時、ぐらいに思っていないだろうか。子どもが「あれが欲しい」「これが欲しい」と言うのは、「私がここにいる!私を見て!私を認めて!」と言っているのではないかと考えるのは、考えすぎだろうか。

 フィリピンから日本に帰ってきて、私はとても驚いた。何に驚いたかって、物がたくさんあることにだ。それはまさに“カルチャーショック”そのものだった。まちがえないでほしい。フィリピンに行って“カルチャーショック”を受けたのではなく、日本に帰ってきて“カルチャーショック”を受けたのである。つまり、私にとっては、生まれて初めて行った、たった2週間の異国の暮らしの方がなじみ深いものであり、生まれ育った国である日本が、見慣れない物に満ちあふれた“異国”として映ったのである。たった2週間離れていただけなのに、ありとあらゆる“物”たちがワーッと私の方に押し寄せてきて、私を飲み込んでしまうような気がした。

 今でもたまに街を歩くと、色とりどりの洋服や靴やかばんや、スリッパやかさや何やかや、ありとあらゆる物でいっぱいの店がどこまでもどこまでも続いていて、「よくまあこんなに物があるなあ。こんなに物を買う人がいるのかしら」と思っていたが、今度はそうやって売っている物だけではなく、机の上に何本もころがっている鉛筆や紙、本、それに、びんや缶、はては紙袋とかビニール袋、新聞の折り込み広告にまで、「なんてたくさんあるのだろう」と思うのだった。

 カバジャガンには、物は何もない。「何もない」というのは、もちろん正確ではないが、生活必需品のごく基本的な物が少しあるだけである。たらいすら、今まで料理用に使っていたのを、今度は洗濯用に使い、次には水浴び用のおけに使っている。日本に比べれば、「何もない」も同然なのである。

 生活は自給自足、なんでも手作りである。たとえば水中めがねも、木の枠にガラスをはめこんで、ひもで頭にしばりつけるだけの質素なものだった。そして、人々の楽しみも、受身のものは何もなく、自分たちで作り出すのだった。

 人々は夜になると集まってきて、村に1本しかない古びたギターをまわして歌う。ラジオもレコードもないから、自分たちで歌うほかないのだ。村一番の歌い手とおぼしき青年には、みんなからリクエストがある。ギターが村に1本しかないから、集まるしかないのだ。そして、「集まる」ということは、時を、ギターを、歌を、楽しさを「分かち合う」=共有することである。日本では、テレビが各部屋にあって、家族すらがバラバラに違う番組を見ているという状況もあるようだが・・・。

 それにしても、カバジャガンの人たちの笑顔は豊かで美しかった。大人も子どもも、美しい海と空とゆったりと流れる時間の中で、「食べて住んで、そして楽しむ」という、人間の最も基本的で人間らしい生活を、日々自分自身の手で紡いでいた。美しい豊かな笑顔は、その喜びに裏打ちされているのだった。

 ふりかって、今の日本に住む私たちはどうだろう。そんな自然な暮らしとはほど遠いところへ来てしまった。今となっては、戻ることなどできはしない。それはわかっているけれど・・・。カバジャガンにはまだあるような、真の意味での豊かさが失われ、物ばかりあふれ、時間に追われ、効率だけが求められ、友だちと1本のギターを共有するのではなく、友だちをけおとし、自分が出世しなければならない日本の生活、そういう日常生活それ自体が、今、子どもたちに襲いかかって、押しつぶそうとしているのではないだろうか。それはもちろん、子どもばかりでなく、大人も同じである。

 今の時代の<不安>の中で、大人もまた自分の心を偽っている。こんなふうに物があふれ、次から次へとコマーシャルなどの刺激によって欲望を生み出さされ、物(文化も含め)を消費することだけを押しつけられているような、すべてが管理、操作されている世の中。そこでは、自分のやっていることをちょっと立ち止まって考えてみることすら、相当意識的にやらないと、できないで流されていく一方だと思う。流されているうちに、自分が本当に大切にしたいものなど、ひとつ残らず忘れてしまった。

 最後に残された人間らしさが、<不安>だけを感じている。その<不安>が見えてしまったらこわいから、自己防衛本能でみんなそっちを見ないようにしている。だから、むしろ望んで管理、操作されているのではないか。こうなると悪循環だ。管理、操作され、自分を見失う。すると<不安>になるから、自分を見たくなくて、管理、操作されたがる。

 でも、そうやって逃げてばかりいると、いまにきっととりかえしのつかないことになる。それに、<不安>は確実にあるのだから、永遠に逃げ回っているわけにはいかない。。勇気をもって立ち止まるしかない。そして、ふりかえって、<不安>をしっかりと見据え、対決するのだ。

カバジャガンの写真や絵もどうぞご覧下さい

by lumokurago | 2011-03-25 18:02 | 昔のミニコミ誌より
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