暗川  


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さよなら原発消灯キャンペーン

 「さよなら原発消灯キャンペーン」顛末記  暗川第12号 1986.11.28より

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 1986年10月31日付東京新聞です。この年の4月26日に旧ソ連チェルノブイリで原発事故がありました。今年は25周年です。文字部分は以下です。

 停電の夜、大きく揺らぐロウソクの炎は、妙に人をなごませる。それは子どものころ、家族で身を寄せ合った台風の夜の不安と安堵を思い出させる。もっとさかのぼれば、洞窟の焚火や原始の語ら医につながる祖霊の記憶なのかもしれない。

 そういえば最近、停電がない。東京電力によれば、管内の一般家庭で昨年、、災害と工事を含めて1079回の停電があった。1回平均7分。それでも契約数1400万口を数える巨大な首都圏にあっては、一般家庭に停電が当たる確率は8年に1回あるかないかだそうな。「コンピューターをお使いの需要家には瞬き程度の停電もあってはなりませんので、回線を二重にしていただくなど安全対策には万全を期しておりますが、それでもという向きにはCVCFというバッテリー型の無停電電源装置の使用をお勧めしております(東電広報)。

 現代の給電システムは、事前に天候から日本シリーズなど、イベントの動向まで織り込んで需要予測をはじき出す。都会からはもう瞬き程度の闇さえ放逐されてしまった。

 「生活するのに、そんなに電気が必要かと言いたいんですよね。もう電気は余っているんですから。それなのに危険な廃棄物を出しながら原子力発電を続ける必要はないでしょ。チェルノブイリの事故は他人事じゃないんですから」

 「原子力の日」の26日午後8時、東京では何世帯かの家で電気が消えた。「さよなら原発消灯キャンペーン」を訴えるグループの呼びかけにこたえたものだ。東京都成田西の藤本早苗さん(36)方でも、夕餉の明かりをロウソコウにした。このささやかな自主停電、当然ながら東電の中央給電指令所には何の負荷変動ももたらさなかった。
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 私が写っています。

 10月中旬、宮前学童クラブの保護者であるIさんから次のような電話をいただいた。

 「チェルノブイリの原発事故があってから、原発関係の本を読みあさって、いろいろ勉強したの。子どもにも原発なんていらないんだと言っていたら、Uに『お母さん、口で言ってるだけじゃだめだよ。何かしなくちゃ。手始めに学級通信に投稿してみたらどう?』と言われたの。先生が載せてくれるかどうかわからないけど、書いてみようと思うのよ」

 そして第2報は、

 「先生が学級通信に載せてくれて、すぐにクラスのお母さんから電話があったの。私、引っ越してきてまだ2年目で、学校にも近所にも話せる人がだれもいなかったから、うれしかったわ。今度一緒に飲むのよ。ナベセンも来て」

 そのお母さんとはなんという偶然、暗川第1号に載せた「福島第一第二原発を見学して」の原発ツアーで一緒だったAさんだったのである。Iさんは吉祥寺にある「かっぱの家」という共同保育所にいた人で、宮前学童クラブには「かっぱの家」に子どもを預けていたYさんという人もいて、私は頼まれてかっぱのバザーに紙芝居をやりに行ったことが何度かあるのだ。

 10月×日、Iさん、Aさん、Yさん、私で第1回の会談をもつ。Aさんも引っ越してきたばかりで近くに話せる人もなく、もんもんとしていたなか、Iさんの文の載った学級通信を見て、見出しと最後の昆布の注文取りのところをチラっと見ただけで、とるものもとりあえず電話に飛びついたとのこと。話しははずみにはずみ、「消灯キャンペーンについて手分けして新聞に投稿しよう」ということが決まった。

 4大新聞はどこも取り上げてくれなかったが、朝日、毎日は、26日が「原子力の日」であるということで反原発グループの集会についてと、科学技術庁や推進派の行事とを両方取り上げ、「対立色が強まった」という記事を載せた。東京新聞からは電気を消しているところを取材したいという申し込みがあった。

 そして10月26日を迎え、私たちは日比谷小音楽堂で開かれた「原発とめよう・東京行動」に参加した。Iさんがアピール、「消灯キャンペーンについて知っている人?」と問うたところ、手をあげたのは10人ちょっとか・・・。

 その後のデモでおもしろかったことを書いておく。花咲かじいさんならぬ、防毒マスクをつけた「死の灰じいさん」が街路樹に登り、手にしたザルから「死の灰」(小麦粉)をまいたのである。彼はデモ隊のほうにばかり「死の灰」をまくので、Iさんが「歩道にいる人たちのほうにもまけば?」と行ったが、その人たちはデモ隊とは似ても似つかぬきれいな服を着ていたので「死の灰じいさん」もまきにくかったようだ。

 デモを終え、Iさん親子と私は東京新聞の記者が来ることになっているFさん宅へ向かった。

 取材に来た記者は、この問題に関して思い入れが深い様子で、1時間半にわたり話しこんでいった。そしてカメラマンは100枚以上に及ぶと思われる写真を撮っていった。(ちなみに私は野次馬的についていったので、ぼーっとしてインタビューの様子を見ていたところ、カメラマンから「そこを食器を持ってゆっくり歩いてください」とか「子どもの世話をしているようにしてください」とか言われて、お母さん役をやらされた。それで写真に私が写っている)。

 Iさんたちは記事を見て、「あんなにしゃべったのに最初の一言しか載っていない。これじゃあ東京電力の宣伝みたい」と批判したが、後に記者より「あれだけ載せるのが精いっぱいだった。申し訳ない」という内容のていねいな手紙が届いたそうだ。

 26日も過ぎてから、朝日新聞「ひととき」欄に投稿したAさんに新聞社より電話があった。Aさんの原稿は11月1日、「10月26日原子力の日に」(電気を消しましょう)というところが削られて掲載された。これについても「26日に」ということが削られたのではなんのことかわからないとみんなで批判した。

 その後、Aさんは学級通信に電気を消した日のことを投稿し、先生はまた載せてくれた。その上IさんとAさんにラブレターをくれ、今度一緒に飲む話がまとまったそうである。

 私たちは新しくできたネットワークで何かおもしろいことができないかと話している。消灯キャンペーンは原発をとめようという意志表示として始まったが、これからはその意味を考えていく必要があるだろう。このことで原発をとめるのは無理な話としても、一人の人が声をあげることが、こんなふうに次から次へと人びとを結びつけるなんて、やっぱりすばらしいことだったのだと思う。
 
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by lumokurago | 2011-03-28 18:45 | 昔のミニコミ誌より
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