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暗川  


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消灯キャンペーン顛末記 その2

 暗川第12号 1986.11.28 より

 原発・科学を考え直す  朝日新聞「ひととき」 1986.11.1

 今は背丈も伸び、わたしを見下ろさんばかりになった息子だが、この子を妊娠したときは随分悩んだものだった。

 「環境汚染」がクロ-ズアップされ、人間の科学万能、経済優先の思想が問い直されていた。人間のごう慢さが地球規模で生態系を破壊している。そんな中で、どう新たな生命を育めるだろうか、という不安であった。

 食べ物に関心をもったり、科学的ということばに振り回されない子育てを、などと模索しながらも、いつのまにか一段落したような気分にさえなっていた。

 そんなとき、ソ連のチェルノブイリ原発事故の砲が入った。放射性物質を含んだ大気が移動するようすが、テレビの画面に映し出される。におわず、痛まず目にみえないものから避難する人びと。

 ヨーロッパの、とりわけ子どもを抱えた親たちの恐怖と絶望的な不安がわたしの胸をしめつける。14年前のことが一気によみがえった。

 原子力発電は、「安全クリーン」と宣伝されているが、いまだに事故の危険性も性格に予測できないばかりか、その対処の仕方がわかっていないという。一度ばらまかれた放射能は、孫子の代になっても消えないことはだれも知っているのに。日本でも、今日も水蒸気を噴き出している原発がある。その恩恵によくしているわたしたち。

 友人から、1日に5分でも電気を消してみないか、と呼びかけられた。

 そうだ。不安ばかり増大させても何もならない。夜8時になったらあかりを消して、原発のこと、科学のこと、地球のこと、息子とロウソクでもともしてゆっくり語りあってみよう。

 そして14年前にわたしが母親になるときの不安も告白し、一緒に考えてみようと思った。

    東京都杉並区  井上朱美  主婦36

 電気を消して

 暗闇に山用のろうそく1本を灯す。山小屋みたい。ろうそくの明かりってなんて心細いんだろう。暗闇がヒタヒタと押し寄せてきたら消えてしまいそう。でもなんてあたたかいんだろう。小さなほのおに目がすいよせられていく。部屋の中で風もないのに、炎がゆらめく。まるで生きているみたい。

 思えば都会で暗い部屋にこうしているなんてこと、初めてだ。いつもは暗くなれば電気をつけ、消せば寝てしまう。眠れない夜は別として、暗い所で起きてるってこと、ないもんな。

 ろうそくの明かりはとてもすみまで届かない。こうして書いている手元をかすかに照らし、一番近い本棚の本の背表紙を照らす。本の影ができている。壁に大きな影がうつっている。ふりかえると、私の影もまるで大入道みたい。

 部屋のすみは闇。ほんとに真っ暗闇だよ。底なしの穴があいていて、闇の国につながっていそう。闇のなかにいると、ヌーッと手が伸びてつかまえてつれていかれるんじゃないか・・・そんなこと、子どものころ考えたことあるでしょう。

 暗いもの。みえないもの、得体の知れないもの・・・そういうものが想像力をかきたて、また、自然への畏怖の念を起こさせるのかもしれない。明るい所、なんでも見える所では、物はひとつの定義しか与えられないのかもしれない。暗い所では想像力しだいで物は何にでも変化する。

 闇が部屋を覆うと、闇が音を吸い取るのか、静けさを肌で感じる。「音」という点では電気をつけてるときと何ら変わらないはずなのに・・・鉛筆を走らせる音も外の車の音もさっきより大きく聞こえる。なぜだろう。ろうそくの明かりに体中の感覚が吸い寄せられて集中しているからかな。どうもそんな気がする。

 山ではね、テントの中でラジウス(石油コンロの一種)をたくでしょ。そのときのラジウスの炎に吸い寄せられる。目は「明かり」に、身体は「あたたかさ」に、耳は「音」に。ラジウスは音がするのです。とってもなつかしい気持ちにさせられる音が。いく度、テントの中であの音を聞いたことだろう。

 ラジウスは力強い。テントの外なんてそれこそ真っ暗闇なのに、たった1個のラジウスが闇の中の得体の知らないものたちを遠くにはねのけてくれる。それたちがいくら手を伸ばしても届かないところまで。

 今ね、ろうそくって音がするかなって耳をちかづけたら、髪の毛を焼いちゃった。そうなんだ。ろうそくの炎は「火」だったんだ。あたりまえだけど。「火」がこんなに近くにあることもいまは珍しいよね。電気はもちろん、ストーブだって火がみえるのは時代遅れみたいだし、ガスコンロはあるけどあれはあまりに人工的で・・・。

 子どものころ、風呂の火を焚くのが私の役で、そのころは薪だったから、新聞紙などで焚きつけて薪に燃え移るまでじっと火をみつめていた。火にはみつめずにはいられないような魔力があるよね。ガスコンロの火じゃだめだけど。

 ね、電気って火じゃないからつまらないのだと思わない? 電気なんかまるでみつめる気にならない。明るすぎてまぶしいし。なんか、心がないっていうか、明るいくせに冷たいっていうか・・・いや、冷たくもないんだな。要するにあたたかくも冷たくもなく、感じ取るものがないのだ。火は生きていると思えるけれど電気なんかとんでもないよね。そうそう、むかしの日本じゃあらゆるものに神があったんでしょ。「ベンジョの神様」まで。「火の神様」はもちろんあるけど「電気の神様」があると思う? まさかあ。

 なんか、こんなこと書いてるといくらでも書けるけど、つきあわせれるほう、大変だよね。もう電気つけようか? ろうそくだといくらでも書き続けそう。でも電気つけたくないよ、明るすぎるから。
 
 (電気、つける。闇、一瞬にして消滅。闇の国との境、閉ざされる。さっきまで続いていたなんて信じられない)。

 結局、こんなこと書いて1時間以上電気を消していました。目が悪くなるかもしれないけど、書いている分にはそれほど支障ないことがわかった。本は読めないと思うけど。

 来月も26日には電気を消しましょう。火の神様と再会し、暗闇からあの得体の知れないものたちを呼びだして交感するために。

by lumokurago | 2011-03-29 10:26 | 昔のミニコミ誌より
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