暗川  


写真日記
by lumokurago
S M T W T F S
1 2 3 4
5 6 7 8 9 10 11
12 13 14 15 16 17 18
19 20 21 22 23 24 25
26 27 28 29 30 31
検索
リンク
ご感想をお寄せ下さいmailto:lumokurago@yahoo.co.jp

嫌がらせコメントは削除させていただきます。

必ずしもリンクするHPの意見、すべてに同調するわけではありません。ご自分で情報を選んでください。

原子力資料情報室

小出裕章非公式まとめ

沖縄タイムス

暗川メインページ
私の下手な絵などを載せています。

杉並裁判の会
私たちの裁判の会です

ポケットに教育基本法の会

「つくる会」教科書裁判支援ネットワーク

もぐのにじいろえにっき
もぐちゃんのページ

プロテア
リリコおばさんの杉並区政ウォッチング

鬼蜘蛛おばさんの疑問箱
松田まゆみさんのページ

熊野古道の路沿い
鈴さんのページ

風に吹かれてちゅちゃわんじゃ
小笠原父島で農業をやっているサエちゃんのブログ

三宅勝久さんのブログ
杉並区在住のジャーナリスト

カテゴリ
以前の記事
ライフログ
人気ジャンル
ファン
記事ランキング
ブログジャンル
画像一覧

恋文 2

恋文 2  暗川第17号1987.2.28 より

 久しぶりにOさんに手紙を書こうかな。(中略)

 以前Oさんは「ひとりの表現は未完成であること、その表現をただ批判するのではなく共闘していくことが大切だ」と言いました。「『オニ』のつぶやき」への便りは、まさにそのことを実行してくれていると思いました。(中略)

 表現が未完成であること、ひとつの表現はそれ自体で自己完結するものではなく、また自己完結させてはならないものであること。それは書き手から読み手(受けとめ手)に届けられたとき、受けとめ手のなかでたぶん形を変え、動いていくものであること。ひとつの表現に共闘していくためには、受けとめ手がまたそれを表現し、書き手に投げ返さなければならないこと、そしてキャッチボールのように表現が行き来し、そのたびに深まっていくーーそれが「表現に共闘する」ということだと思うのです。

 <ノート>(Oさんの表現)と、そのあとの<…への便り>がそれらのことをほんとうに切実なところで届けてくれたと思うし、それ以上にこのかんのOさんと私がそのことを実践してきたと思います。そして『シベールの日曜日』(映画)があって、『共犯幻想』(マンガ真崎守作)があったから「関係性」と呼んでいることの中身や「表現に共闘すること」が言葉で表せるほどにわかってきたのだと思います。今年度になってUさんやSさんや、そのほかの人たちとお互いに「響き合える」ような関係をつくることができたのもその二つのことに対して私が意識的になっていたからなのではないかと思っています。

 それからもう一つよかったことは、最近になって暗川が私と読者の一人ひとりとの1対1のつながりが何通りかあるというだけでなく、読者間のつながりが(お互いに会ったことはなくとも)生まれつつあるということです。それもこちらが意図的に何かをしたからではなく、まったくの自然発生的に。読者同士はお互いに顔も名前も知らなかったのに、「読者の会」もないのに思いがけずつながりつつあるのです。

 だからOさんの<…への便り>には本当に感謝しています。この便りが一人への便りでなく、何人もの人に一緒に宛てたものであることが、また便りのもつ可能性をひらいていく試みだと思います。

 <便り>とは常識的には1対1の間でゆきかうものと言えます。それをOさんはまず私がはじめの頃Oさん宛てに書いていた手紙を≪読書会=あうら≫メンバーに拡げ、私への返信の宛名の名まえを< >付けにすることによって、その< >のなかにはだれの名まえが入ってもよいということを示唆しました。とりあえずいまは渡辺宛てにするけれど、だれが読んでもいいんだよ、もし返信をくれたなら< >にはあなたの名まえが入るんだよ、ということだったと思います。

 それがいまは<…>になりました。「とりあえず」の宛名が必要ないところまで拡がったからだと思うし、この<便り>という形式を<共同性>のなかで捉えていこうという意志がOさんのなかで強まり、また機も熟したということだと推測します。これからの展開がどうなっていくのかとても楽しみですし、私もできる限り共闘していきたいと思っています。

 (中略)
 (中略――友人からの手紙の引用:ある人形劇の話)

 これを読んで、「これをみたらOさんが喜ぶだろうなあ」と思いました。<あて名>のない手紙、それはあたり一面が春になるような暖かな手紙で、妖精たちがその受けとり手を探す。そして待っていたのは結婚の返事を待つ青年で、それはまぎれもない恋文だった。なんだかOさんや私のことだと思いました。

 私はどこかにそんな妖精がいることを信じます。Oさんも私も、そしてだれかも、<あて名>のない手紙をずっと長いこと書きつづけ、それを妖精が長い時間をかけて届ける相手を探してくれたのだと思います。そして私たちはお互いに書き手であったと同時に受けとり手でもあったのですね。

 Sさんの次の言葉を思い出します。――みんな、恥ずかしがらずに好きになって、好きになるということは勝つか負けるかということではないのだから、渡辺さんが私にしてくれたように相手が喜ぶようなことができたら、それが一番幸せなのに。それが相手を大事にするということなのに――それから人を好きになることはだれも邪魔できない――と。

 なんで邪魔するような人がいるのでしょうね。その人たちも遠慮しないで「勝つか負けるか」などと考えないで、恥ずかしがらずにどんどん人を好きになればいいのにね。ほんとに「ひたむきな手紙」を書く人が少なすぎると思います。

 私は世界中のみんなが、恥ずかしがらずに人をどんどん好きになって、ひたむきな手紙が飛び交うようになれば、戦争とか差別はなくなるだろうなと夢想しています。そのためには私たちのまわりから「ひたむきな手紙の飛び交い」を起こさなければなりません。でもそれはもう始まりかけています。確実に手ごたえのあるものとして。1987.1.31
[PR]

by lumokurago | 2011-04-08 13:38 | 昔のミニコミ誌より
<< 福島原発事故についての緊急建言 3月28日厚労省交渉での要望書... >>