暗川  


写真日記
by lumokurago
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人間らしい生活を取り戻そう

 印刷版『暗川』はまったく下書きをせず、直接ロットリングペンを使って版下を作っていました。郵便料金ぎりぎりの枚数(重さ)にするため、内容が少ないと思いつくことを書いて紙面を埋めていました。次の文章もそうやって埋めるために書いたので、非常にまとまりがありませんが、原発事故の起こったいま、もういちど私たちがほんとうにほしいものは何なのかを考えてほしくて、ここに載せることにしました。(私は物ごころついたときからいつも同じことを言っています。高校生のころに使い捨て文化なるものがでてきて、すでに反対していました。笑っちゃいますね)。


思うこと  『暗川』第18号 1987.5.17 より

 私には長い間、沖縄の海と空に対する憧れがありました。人間ならだれでもそうであるように、写真で見るその美しい自然に憧れていたのです。外国旅行など思いも及ばなかった私にとって、“南の海”といえば沖縄のあのサンゴ礁の透き通った海のイメージが浮かんでくるのでした。

 でも私はなかなか沖縄に行くことができませんでした。ある時期、沖縄に関する本を読み漁ったことがあって、沖縄は本土の人間が本土のために犠牲にし、切り捨て、踏みにじった場所であることを知ってしまったからです。私はその時生まれていなかった、だから関係ない、とは思えませんでした。それに沖縄返還の年には私は大学生になっていたし、「本土復帰」の実態が結局は戦争中と同じ「本土のための犠牲」であることを知っていたのです。だから沖縄は本土の人間が二重に罪を負っている場所なのです。そんな場所に、単に海が美しいからと言って気軽にでかけていくことができるでしょうか。沖縄の悲惨な歴史とそれに対する本土の罪を思うと、私にとって沖縄の海は美しいだけにとても近寄りがたい存在だったのです。

 4年前の正月、たまたま奄美~沖縄に行く友人がいて、私はついてきました。こんな機会でもなければ一生行くこともないかもしれない(とそのときは思った)、そしてその旅は単なる観光旅行ではなく、奄美にいる友人の仲間たちに芝居を見せ、交流する旅でもあったのです。私は自分にそう言い聞かせ後ろめたく思う自分を正当化しました。そして奄美から南下して沖縄本島に渡り、南部の戦跡や金武(きん)湾のCTS(石油備蓄基地)などを見たのです。

 自分の目で見るということはすばらしいことでした。いままで「悲惨な歴史」「罪」とか言って自分の内に閉じこもり、「簡単には行けない」などと思っていたのは、一種の逃避だったと気づきました。

 フィリピンもまた、むかし日本が侵略し、いまも経済的に侵略しつづけている国のひとつです。私はフィリピンに行くとき、沖縄に対して抱きつづけていたような感覚はもうありませんでした。内に閉じこもるのではなく、でかけていって積極的に日本がやっていることを確かめたいと思うようになっていました。その中身は「フィリピン旅行の報告」に書きましたが、一番大切なことは、フィリピンの人びとが私たちを「友だち」だと言ってくれた、そのことにどうこたえていくのかということだと思います。

 (ここでちょっとひとことつけ加えさせていただくならば、現在、海の美しさのみが宣伝され、南の島々に行く人が多いようですが、その人たちのほとんどはその島々や国々に対する「日本人」の立場を忘れ、罪を重ねているようにみえ、つらいです。日本が過去に何をし、現在何をしているのかを知り、それを否定的に捉えない限り、私たちにはそれらの国々に行く資格はありません)。

 さて、フィリピンの人びとにたいして、私たちはどのようにこたえていったらよいのでしょうか。次に書くことはこの問題を考えるにはあまりに皮相なことと思われるかもしれませんが、実際にフィリピンに行き、そこの人びとと友だちになった者としては、いろいろ考えてしまうことなので少し書いてみます。

 私たちはフィリピンでお世話になった人たちに、お礼として彼らの役に立ちそうなものを少しだけ送りました。カタルマンのソニアからは「古着を送ってほしい」という手紙が来たので、古着とその他、ゴムゾウリ、台所用品、学用品などをほんの少し送りました。カバジャガンにも古着などを送り、ニータさんのお母さんはそれを教会に持って行って必要な人に分けたそうです。カバジャガンの学校にもボールなどを送りました。校長先生のTyさんは「日本に帰ったらチャリティをしてほしい」と言っていました。私たちの送った物は、ほんとうに「焼け石に水」「すずめの涙」程度のものですが、それでも彼らには喜ばれただろうと思います。

 でも私はいろんなことを考えてしまいます。フィリピンには(カバジャガンには)ほんとうに物がありません。それを目の当たりにして、日本にいて物に囲まれて暮らしていて、なんでも無駄遣いしている私は「これをフィリピンに送ってあげたらどんなに喜ぶだろう」と思います。「焼け石に水」であっても、何も送らないよりはましかもしれません。でも一方でこのようにも思うのです。フィリピンの人びとは日本とかトウキョーにすごく憧れています。便利な物が欲しい、きれいな物が欲しいと思っています。日本から物を送ったりしたらますます物が欲しくなるに決まっています。それに、突然いままでなかった物が入り込んできて、彼らの昔ながらの手作りの暮らしや人々のつながりを破壊するような要因にならないでしょうか。送ったってどうせ「焼け石に水」、むしろそこから害になるようなことがでてきたら困るから下手に送らないほうがいいのではないか・・・でも日本にこんなに物があふれているのにカバジャガンに何もないのはどう考えてもおかしい・・・でも物のあふれる日本の暮らしよりも彼らの物のない暮らしのほうがずっと人間的だ・・・でもこれは持てるものの傲慢だろうか。

 このように「送ってあげたい。どんなに喜ぶだろうか」という気持ちと「いや下手に送らないほうがいい」という気持ちとの間でいつも揺れているのです。

 以前、新聞で南太平洋のどこかに、国の施策として文明を拒否し、昔ながらの手作りの生活を選び取って、便利な物などすべて持ち込み禁止にしている国があることを読みました。それは尊敬すべき珍しい国だと思います。賢い人々なんだなあと思います。

 また、しばらく前の朝日新聞に、熱帯雨林の破壊のすさまじさについて松井やよりさんが連載していましたが、そこには日本人が勝手に道路や橋を作り、木々を根こそぎ切りだして、そこに住む人びとの暮らしをメチャメチャにし、成り立たなくさせていること、そしてそれに抵抗する現地の人びとのことが載っていました。

 私はカバジャガンの人たちにいまの日本のような物のありすぎる暮らしがいかに非人間的なものであるかを訴え、彼ら自身の手でいまの昔ながらの手作りの生活を選び取ってほしいものだとひそかに思っています。

 実際にはこんなことは不可能で、フィリピンもカバジャガンもこれからどんどん自然が破壊され、物がいっぱいになり、人間らしい美しい笑顔は失われていくでしょう(世界がいまのまま進むならば)。私たちがカバジャガンの人たちやTyさんに書いたような「豊かな自然を大切にして、いまの人間らしい暮らしを守ってください」というような思いは、おそらく理解されず、「持てる者」の郷愁程度にしか受けとられないことでしょう。

 でも、私自身について言えばできる限り質素な暮らしをしたいと思っています。そして私たちは、いま日本で少しずつでも質素な暮らしをして、人間の生活の実感というものをできるだけ感じ取れるように、自分たち自身の手にとり戻していく努力をしなければならないと思うのです。そうすれば人間に“心”というものが戻ってくると思います。

 そうしなければ私たちは、子どもたちは“心”を失っていくことになると思います。みんな、物を欲しがっているけれど、それは間違いなのだということにできるだけ早く多くの人が気づかなければいけないと思います。人間にとってほんとうに大切なものは何なのか、それを考えてほしいです。

 フィリピンの人びとに対してこたえていくことのなかで一番大切なのはこのことに違いないと思います。世界中のみんながそれぞれの場所でこのことを考え始めてほしいです。私たち日本人は、人間にとって大切なものを忘れ、物ばかり欲しがって、自分が直接に金銭面で損をする売上税のみに猛反対し、もっともっと大切な国鉄の分割民営化とか軍事費のGNP1%枠突破とか、天皇訪沖とか、その他たくさんの問題には反対せず、軍事大国への道を歩んでいます。(これらにも売上税のときのように反対すれば止めることができるのに)。

 いま日本はほんとうに危機的なところにいるのです。だから自分の場所で出来る限りのことをしたいのです。こうして書いていることもその一部です。このことが私を「友だち」と言ってくれたフィリピンの人びとに対してこたえていくことなのです。

*****
 
 これは24年前の文章ですが、その後、日本は軍事大国への道を進みつづけ、アメリカの戦争に加担しつづけてきました。アメリカを「同盟国」と呼び、「日米安保条約」は「日米軍事同盟」と解釈されるようになりました。「アメリカの核に守られている」と言われてきたけれど、しかしいま、自分の「核」が自分を攻撃した状態になっています。私はつねづね、日本を(軍事的に)守るなんてできるわけない。日本と戦争したいなら原発を一つ攻撃すれば、それでその国が勝ってしまう、と思ってきましたが、それを自分でやってしまうとはね。

 愚かなことです。愚かすぎる。

 これで目がさめたなら、国中にある原発を止めるはずなのに、それもしようとしない。これ以上愚かなことはそうそうない。
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by lumokurago | 2011-04-19 11:58 | 昔のミニコミ誌より
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