暗川  


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by lumokurago
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3.11以後のDr.Aとのメール その6

渡辺より  4.21

 こんばんは。「主体」というのは「自分」のこと? 哲学者が存在しないと言っているのかもしれませんが、私は存在すると思います。(?) 

 「死は存在しない」も哲学者が言っています。生きているいま、考える対象であることはたしかだと思います。頭の中に存在していますが、哲学者の言う意味もわかりますね。わけがわからなくなってきました。人間はおもしろいです。

 ところで、昨日慶応病院に行ってきました。(中略)ついでに被ばくのことを質問したら、政府が国民に「このぐらいの線量を被ばくすればたとえばこのぐらいがんになる危険性が増す」と提示し、そこから避難するかどうか、そのなかで作業するかどうか、どう行動するかは自分で判断すべきものだと。おっしゃるとおりだと思いました。このことについて文藝春秋に書くべく調べているそうです。年配者ならがんになってもその土地に住み続けたいという人はいるだろうし、家畜を飼っているから避難したくないという人もいるはずです。自分で決めるのが自由というものです。危険区域に勝手に一時帰宅したら罰金と言っていますがひどい話です。

 それから、地球温暖化CO2説が原発を推進する理由にされているため、懐疑論がでています。このことについて聞いたら「勉強していないのでノーコメント」とのことでしたが、不況になったら大騒ぎして、経済発展をつづけていけというので温暖化をとめられるはずがないとおっしゃっていました。私も同じ意見です。

 私はCO2論自体、多数派で世界的に推進しているので、(多数派というだけで)どうも怪しいという感覚をもっており(被害妄想か?)、懐疑論にも一理あると思っていて、判断できません。先生はどっちが正しいと思いますか? 

 少しまえに寝返りをうつときや起きあがったとき、腰が痛くて、骨転移の痛みかと思ったのですが、湿布を貼っていたらおさまったので、様子をみようと思っていました。近藤先生にはそう伝えたのですが、帰宅したらまたその症状がでて、伝い歩きするにも痛く、ロキソニンを飲んで寝てしまいました。ロキソニンは効くみたいです。

 今日も裁判所にでかけ、帰宅したらまた、昨日ほどではありませんが痛かったので、また寝ていました。いま、起きたところです。やはり骨転移の痛みかもしれませんが、放射線は限界までかけてしまったので、あとは薬でコントロールするしかありません。寝返りをうつなどのときだけなので、薬を飲むほどでもないということと、オキシコンチン(まだ残っています)は吐き気がこわいのでちょっと様子をみてみます。


Dr.Aより 4.21

 こんばんは。本日、札幌へいく予定だったのですが、先方の都合で来週に延びてしまいました。本日も眠くて昼寝を一時間以上、熟睡しました。

 三輪自転車に先週から乗っていますが、安定しています。転びません。これはトライクと言って仙台のメーカーが造っています。電動アシストがついており、楽ですね。インターネットで買い、仙台から送られてきました。

 国は民を管理しようとしているのですね。パノプチコンです。というよりも、癩病やペストに対応したように国民を徹底的に統制しようしているのでしょう。訓練と処罰によってですね。市民の自由が剥奪されつつありますね。

 主体subjectは、objectの反対語で、どこからどこまでが主体なのか、判断が難しいと私は思っています。脳科学では、否定的なようですね。古くは、哲学的な論争があったようです。実存主義の一派は主体に固執していたようですが、構造主義によって否定されてしまったと理解しています。人間はある関係性の中で生きている。すなわち一つの構造に組み込まれているのであって、客体としての構造から無関係に主体として存在することはできないというのですね。

 自我というのも、心理学の用語に過ぎず、脳科学では否定的でしょう。しかし、自己という概念はあるのであって、非自己は自らのリンパ球が攻撃するのも事実です。哲学になると難しいのですが生物学や細胞学でははっきりとした境界がありますね。しかし、いずれ失くなっていくのではないでしょうか。免疫抑制剤などの開発によってですね。

 地球温暖化ですが、地層の研究では、古代より温冷を繰り返してきたようですね。これからは氷河期に向かうのでしたかね。歴史的にみると、温暖化には向かわないのでしょうが、どちらに向かうか難しいというのが結論ではないでしょうか。近々小惑星が地球にぶつかるという話もありますし。人間の考えているようにはいかないでしょう。

 腰痛、大事にしてください。少し動きすぎかもしれませんよ。(後略)


渡辺より  4.22

 三輪自転車、いいですね。私が自転車に乗っているというと、多くの人が「危ない」といいますが、大丈夫です。歩くより安全です。私はまだ普通の自転車で大丈夫です。

 昨夜、腰全体が痛重かったのでオキシコンチン5mgの半分を飲みました。いま、痛みはまったくなく、吐き気はありませんでした。飲んだり飲まなかったりして様子をみます。

 むずかしい「主体」については私の能力を越えています。「客体としての構造から無関係に主体として存在することはできない」というのはどういう意味か、私たちが現在の日本社会に生きている以上、それに囚われ自由になれない面はあると思いますが、そんな表面的な意味ではないでしょうね。むずかしすぎてとてもついていけません。ごめんなさい。フーコーも放りっぱなしだし。先生が往診に来られるようになったら、少し講義してください。subject, objectという単語から、英文法のs,v,oをついつい思いだしてしまいました(笑)。

 自己免疫疾患は自己と非自己を見分けられないのですよね。自分で自分を攻撃してしまうというのはどこでどう間違ってしまったのでしょうか。心理学者のなかには典型的な心身症だとする人もいますが、どうなのでしょう。遺伝は大きいのですか?
 

Dr.Aより  4.22

 こんばんは。オキシコンチンに慣れていくといいですね。人間は痛みに弱いですから、そのコントロール次第で人生の質が決まるといっても良いのでしょう。

 本日も眠く昼寝をたっぷりとり、三輪車で往診しました。後ろが一輪でそれに電動のアシストがついています。快適です。

 主体の問題は難しく、私にとっても厄介です。興味のあるかたは哲学書をひもとくのがよいのでしょう。構造主義のレビストロースも主体の全面否定はしていませんで、主体と客体のどちらに重きを置くかというような説明をしていたように記憶しています。色々な要素から現代社会は成り立っていますが、確かに個々の部分も無視できませんが、それらの関係性のほうが重要であるように私は思っています。

 性格と同じく病気も遺伝がほとんどを担っているでしょう。私の脳卒中も父方の遺伝です。仕方ないです。人間は群を作っていますが、これも遺伝でしょう。病気の種類が多いのも。ひとつだけでは直せない場合人類が滅んでしまいますからね。私は、母方に似ると癌かアルツハイマーなのですね。母は大腸がんと肺がんを切除し、結局アルツハイマー病になりました。私は手術に反対したのですが、がんもどきだったのでしょう、生き残ってアルツハイマー病という止めを刺されました。これも運命でしょう。脳こうそくの一年再発率は14%、5年再発率は50%です。これも遺伝で避けようがありません。人間は自然にあるいは遺伝に打ち勝つことはできませんね。

 来週は中学時代の同級生と会うことになっています。楽しみです。


渡辺より 4.23

 こんばんは。先生には悪いのですがむずかしいので話題を変え、また池田晶子さんの本から引用します。

 ソクラテス がんでなくても人は死ぬのだ。

 患者 私は、がんでは死にたくない。

 ソクラテス それならばぜひ、がんでなくとも人は死ぬと考えたまえ。そしたら君はがんでは死なない。ほら、この近藤さんて医者も、同じこと言ってるじゃないか。

 <がん治療の将来にも、たいした夢も希望もありません。しかしそのことを悲観する必要はありません。なぜならば、わたしたちの人生にとって、がんやがん治療だけが大切なものではないからです。わたしたちにとって大切なのは、自由に生きる、なにものにもわずらわされずに生きる、ということではないでしょうか。そのためには死ぬまで、やまいからも開放される必要があるはずです>

 <やまいは気からというように、やまいは自然現象につけられた名称であって、わたしたちの頭のなかや観念のうちにしか存在しない、とみることも可能です。したがってもしわたしたちが、がんを自然現象としてうけいれることができるなら、がんによる死はふつう自然で平和ですから、がんにおいてこそ、やまいという観念から死ぬまで解放されるのではないでしょうか>

 僕は医者っていうのはウソつきなもんだと思っていたけど、この人はまーじつに正直な人だね。若干、惻隠の情に欠けるきらいはあるけどね。僕は好きだな、こういう論理的な医者は。話がわかり易くていいや。

 患者 患者を絶望に叩きおとす医者がですか。

 ソクラテス なに言ってんだい、君、これ最高の救済なんだぜ。

 患者 とても理解できない。

 ソクラテス いいかね。人は必ず死ぬということを君は認めるね。

 患者 ええ。

 ソクラテス 必ず死ぬというそのことにおいては、がんであろうがなかろうが同じだね。

 患者 ええーー。

 ソクラテス それなら、がんで死ぬ、ということも、ないわけじゃないか。がんだからといって絶望する理由なんか、何もないじゃないか。よりによって君ひとりが死ぬわけではないのだよ。だから、これは立派な救済なのだ。こんなこと言ってくれる医者はめったにいないよ。普通は、こんなこと言っちゃったら、商売にならないんだから。

 患者 だって、医者が治療を放棄したら、他に仕事なんかないじゃないですか。

 ソクラテス そうだ、ないのだ、医者に仕事なんか、ほんとはないのだ。医者なんてものは、いてもいなくてもほんとはいいのだ。なんでみんな医者なんてものを、あんなに信じてるのか、僕は以前から不思議なんだがね。あんな詐欺まがいの商売で、しかも尊敬されてるなんて、妙なことだと思わんかね。

 患者 わかりません。

 ソクラテス 人が死ぬのを恐がるところにつけ込んで、人が死ぬことなんか金輪際ないかのように言って金を取るなんぞ、詐欺以外の何ものでもないと僕は思う。
 (中略)

 ソクラテス 哲学では病気も治せなきゃ、人を死からも救えもしない。そのかわり、哲学は、人は必ず死ぬということを明らかに認識する。そして死とは何かを認識する。科学なんてものに、死とは何かが認識できると思うかね。
 (中略)

 ソクラテス 死とはなんなのだ。

 患者 私がいなくなること。

 ソクラテス 私とは誰だ。

 患者 私です。

 ソクラテス 死ぬといなくなるんだね。

 患者 そうです。

 ソクラテス それならばなぜ死が恐いのだ。

 患者 私がいなくなるからです。

 ソクラテス いない私がなぜ恐がるのだ。

 患者 いなくなることが、いま恐いのです。

 ソクラテス 無になることが、恐いのだね。

 患者 そうです。

 ソクラテス 無が恐いのだね。

 患者 そうです。

 ソクラテス 無は、無いじゃないか。ありもしないものが、なぜ恐いのだ。

 患者 しかしーー。

 ソクラテス 人類始まって以来の大錯覚だ。かくなる大錯覚、大錯誤のうえに平然とのさばり、人びとの恐怖心をいよいよ煽ることで、金もうけしてきたような医学なんて科学は、そろそろ自ら滅びるときだ。化けの皮の剥がれるときだ。医学が科学なら、なぜ、ありもしないものを恐れるのだ、ありもしないものと闘おうとするのだ。そんな医者は科学者じゃない、あれらはみんなまじない師なのだ。ありもしないお化けに怯えるまじない師なのだ。治らないものを治ると言い、死ぬものを死なないと言う、まじないの護符には「科学」と書いてある。しかし、死とは何かを知らない科学に、人を救うことなど実はできはしないのだ。科学にできるのは、わけもわからず生き延ばすことだけなのだ。無理矢理でもなんでもかまわないのだ。さてさて、患者は救われたというべきか、否か。人間にとって幸福とは何か。

  ふむ、どうやっても、やっぱり最後は哲学の議論だね。どうかね、君は、いかなる手段によっても、いかなる状態になっても、ただ長く生きることを幸福と、やはり考えるのかね。
 (後略)

*****

 ソクラテスの言っていることを「その通り」と思い、また、がんは自然現象だと思ってあるがままに生きて死ぬのは、DNAに逆らっているのでしょうか。人間は生物なのに自然現象に逆らうDNAをもっているのは不思議ですね。動物のDNAは死を自然現象と認めているのでしょう?
 

Dr.A より 4.23

 こんばんは。すいません。難しくしちゃって。

 ソクラテスの意見すなわち池田さんに賛成です。誰でも納得するように思いますが、一般に人間は死を受け入れないのですね。数日マスコミを賑わせている俳優の死にもソクラテスとは反対の評価のようです。弟子のプラトンの国家論も、いたずらに生に執着することを否定していたように記憶しています。

 DNAは染色体を創り、細胞を創って生物を進化させてきましたから、やすやすとは死なせないでしょう。そこで、DNAの支配を拒むsubjectの重要性が増すのですね。主体とは自己や死を意識する理性のことかな。あまり難しく考えないでくださいね。ただ、DNAは化石からも採取されるように、とにかく長持ちというか、タフで生き続けるのですね。意思はないと思うけど、そういうメカニズムで生命体を操作しているでしょう。

 生き続けたい人は、DNAのロボットスーツみたいなものですね。一方、癌には癌のDNAがあり、テロメアを変化させて細胞を不死化しているのです。個体に乗って生き続けさせようとするDNAは癌のDNAと戦っているでしょうが、いつまでも同じ個体に住み続けるよりも乗り換えようとするのですね。子孫をつくらせたり、ヴィールスを利用して他人に移動したりしています。結局、個体は不死化した癌に負けてしまうのですが、普通の細胞が残って生きている間はDNAは個体に鞭打つのでしょう。死を認められない人々はほとんどがこういうケースでしょう。

 池田さんの医者も病院もいらないという意見、医療は詐欺だという意見に私は大賛成です。死を認めない世の中には通らない考えではありますが。
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by lumokurago | 2011-04-25 10:44 | Dr.Aとの往復メール
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