暗川  


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なぜ私は書きつづけ、送りつづけるのか

 なぜ私は書きつづけ、送りつづけるのか  『暗川』第21号1987.11.8より

「求めて求めて」のつづきです。
 
 『いま、人間として』8号にむけて、編集担当者のAさんから示されたテーマ――ミニコミ、コミュニケーション、人に何かを伝えること、自己表現、何のためにどうして書くのか、話をするのか――に原稿依頼を受けました。私が8年に渡りミニコミを作り続け、送り続けているからでしょう。Aさんは「なぜ『暗川』をだしているのかについて、手紙の形で書いたら」とヒントをくださったので、そのようにしてみます。

みなさまへ

 はじめまして。私は東京都杉並区の「学童クラブ」という子どもを預かる施設に勤めている者で、Aさんとは数年前の径書房の忘年会でお会いして以来、お互いの通信を交換しています。

 「なぜ暗川をだすのか」という問いに一言で答えるなら「出さずにいられないから」ということなのですが、それでは例の「なぜ山に登るのか」「そこに山があるから」に似て、そのひとことがすべてを表現していると共に、ひとことのなかにまた、数知れない要素がふくまれているわけです。

 私がはじめてミニコミ(個人誌)をだしたとき、『Burst』という名まえをつけました。吉野弘に『Burst 花開く』という詩があります。その一節につぎのようなことばがあります。

 ――諸君! 魂のはなしをしよう 魂のはなしを! なんという長い間 ぼくらは魂のはなしをしなかったんだろう――

 (“Burst”を吉野弘はここで「花ひらく」と訳していますが、「破裂する、爆発する、急に開く」などの意味で、私の『Burst』を「叫び」と訳した人もいます)。

 ふだん友だちなどと話はします。それは「魂のはなし」からかけ離れたものばかりではなかったと思います。しかし私はそれだけでは物足りなかったのです。書きたかったのです。いまの自分のまよいや悩みや怒りやかなしみなどを。
  
 さて、「書く」ことについてですが、私は「書く」ことは同じ「ことば」を使った表現である「話す」こととはまた違った意味をもつと思っています。「書く」ことで一番特徴的なのは「記録として後に残り、読み返せる」ということでしょう。もうひとつ、講演など特殊な例を除いて、「話す」ことは普通自分ひとりが何時間も長々と自分のことを話すのではなく、相手とのやりとりのなかで会話としてどんどん動いていくものだと思います。それに対して「書く」ことはあくまでも自分のなかに沈み込み、何時間でも自分と向かい合って自分と対話することです。だから「書く」ことと「話す」ことは、似ている部分はあるにせよ、機能が違うと思います。

 私が「書きたい」と思うのは、第一には自分自身に対する興味からきています。自分がいま、このときをどんなことを感じながらどのように生きているのか、また、明日にどう立ち向かっていくのか・・・そのことをいちいち検証したいのです。私にとってそのことは「書く」ことを通じてしかできないのです。「話す」ことが苦手ということもあるけれど、そんなことは理由ではなく、書きながら考える、この「考える」ことが私にとって大事だから書くのだと思います。書かなければきっと私はよく考えないと思います。考えを進めるためには、少し書いては読み返して考え、また書き進む作業が必要なのです。

 その上で私は書いたものを誰かに読んでほしいという気持ちが強いです。それは「何か言ってほしい」ということです。

 私は書くことが好きで日記や手紙、交換ノートの類をたくさん書いていましたが、複数の人に宛てて自分の思いや考えを表現したのは『Burst』がはじめてでした。私は『Burst』を当時私のまわりにいた身近な友人たちに配りましたが、彼らからは何ら反応がありませんでした。戸惑いながらだしたものについて何も言ってもらえなかったので、彼らがそれをどう捉えたのかわからず、困りました。しかし、縁あって読んでもらうことになった未知の人たちから共感が寄せられたのです。

 その経験によって私は「出会い」というものの意味を知ることができたように思います。「出会い」には偶然が作用するという要素はあります。しかし「出会い」を欲する強い意志は、偶然のなかにかなり大きな必然を生みだすことができるのだとわかりました。求める心が一番大切なのです。どれだけ強く、どれだけ大きな切実さをもって求めるのかが。

 私は「こんなにたくさん読ませて迷惑だろうな」と思いつつ、自分の個人誌を読んでほしいと思う人に一方的に送り続けてきました。それは「あて名のない恋文」とでも言うべき性格のものだと思います。恋文を受けとって「あて名」に名乗りをあげてくれる人を求めているのです。その求める気持ちの大きさと切実さが「こんなにたくさん読ませて迷惑だろうな」という気持ちを越えてしまうのでした。なぜならばどんなに稚拙であっても、自分を表現してぶつけていかない限り伝わることはないからです。どんなに拙くとも、いまの自分のギリギリの思いをできるだけのことばを使って表わさなければ、そういう自分との格闘がなければ、人と出会えたり、気持ちを通じ合わせたりできるはずがないと思うのです。そうやって8年に渡り表現し続けてきて、その間にたくさんの人たちと出会いを重ねてきました。それはほんとうにありがたい、何物にもかえがたい私の宝です。

 現在出している『暗川』という個人誌は1984年9月から始め、いま19号までだしています。これもはじめは私が読んでほしいと思う人に一方的に送っていたのですが、1986年10月に、いままでに手紙をくれたり何らかの反応をしてくれた人にはこれからも送るけれど、それ以外の人で読みたい人は申し込んでほしいという便りをだし、申込制にしました。部数が増えて大変で、それまでずっと送るのみで何らの返事がない人は、読んでいるのか捨てているのかさえわからず、そのへんを確かめて部数を減らしたいと思ったからです。

 結果としては、いままで反応のなかった人たちの大部分があせって便りをくれたり、電話をくれ、部数はほとんど減りませんでした。また、申込制にしたことは、読者の『暗川』に対する意識を転換させる役割を果たしたようです。それは一方的に受けとる立場から参加しようという立場への転換ということができると思います。また、それと前後して、発行者である私対読者の一人ひとりという関係だけでなく、読者間のつながりが生まれつつあります。このことは特別に意図したわけではないのですが、申込制にしたときにいただいた読者の便りで特集を組んだりしたことで、読者同士どんな人がいるのかを知ったということが大きかったのではないかと思います。

 私自身としては読んでほしいと思った人に、その人が応えてくれるかどうかは二の次にしてとにかく送り続けていた「あて名のない恋文」を「応えてくれなければあげないよ」と言っていったことに対して、「あれでよかったのか」という思いがありました。私は「いまは応えてくれなくても応えたくなったときに応えてくれればいいのだ」と思いつづけていたので。しかし結果的には「応えてくれなければあげないよ」とまでつきつけていったときに、たくさんの人たちが応えてくれたのでした。申込制にした意味については、まだ自分のなかできちんと把握できていないのですが、あれ以来、便りをくれる人の数が増えたことは確かです。

 これからも私は書きつづけ、それを人に送り続けると思います。それは自分を確かめ、他者と出会うことによって、明日へ、また明日へと新たな自己を求め続ける作業であると思います。
 
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by lumokurago | 2011-04-26 11:17 | 昔のミニコミ誌より
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