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『放射能汚染の現実を超えて』

 『放射能汚染の現実を超えて』のなかで小出さんはおもにチェルノブイリ原発事故による世界規模の汚染について解説している。セシウムについて計算しただけで旧ソ連国内600km圏内に居住する7500万人中60万人近くが、ヨーロッパ26カ国では5億人中30万人近くがいずれがんで死ぬと予想している。データがないため計算に入れなかった地区ともっと多くの放射性物質で汚染されていることを考慮すれば、実際にはがんで死ぬ人は100万人どころではなく200万人にものぼるだろうと言っている。そして、子どもの放射線感受性は大人に比べて高いため(30歳が平均値で0歳ならその4倍、10歳で3倍、逆に50歳を超すと危険はほぼなくなる)、それらの予想される死亡者の多くは子どもである。

 小出さんは日本国がヨーロッパなどからの汚染食品の輸入を規制したことについてこう述べている。政府が基準を設け、輸入を規制した意味は、輸入した食品は安全であると錯覚させたいがためである。なぜならば、国民が放射能汚染について敏感になり、それが原発事故によってもたらされたものであることを知れば、国が強引に進めている原子力開発が成り立たなくなるからである。しかし自分が仲間と測定した輸入食品には数10ベクレルで汚染されている食品が多くあり、それらは日本中にでまわっている。真に大切なのは、原発を全廃させることであるが、現在大切なのは輸入食糧の汚染の測定値を公表させ、日本人の食卓も例外なく原発事故の放射能で汚染されていることを知らせることである。

 日本は輸入規制の基準を370ベクレル/kgとしたが、この値はとてつもなく高い。これまで反原発運動を進めてきた諸団体はこの値をもっと厳しくするよう国に求めているが、自分はその運動には承服できない。なぜならば値を厳しくし、日本で輸入しないことになれば、その汚染された食糧は貧しい国に回されるからだ。それらの国には放射能を測る技術もない。飢えている人びとは汚染された食糧を食べざるを得ない。しかし彼らは電気も使っていないし、原子力など推進したこともなく、汚染に責任はまったくないのである。

 小出さんに子どもから手紙がきたそうだ。

 「日本という国のふつうの家に生まれたぼくはふとっています。だけどエチオピアなどのまずしい国に生まれた子は、えいよう失調で死んでいく子もたくさんいます。別に生まれてくるまえに、えらばさしてもらったわけではなく、テストやジャンケンをしたわけでもありません。かってにそうなったのです。ぼくは、運よく日本にこれて幸せだと思う。だけど弱い国をふみだいにしてできたこの国にきて本当に幸せなのでしょうか」

 学級通信にはこう書いてあった。

 「ぼくたちは、今いろいろなことを考えようとしているけれど、おとなになったら、今のおとなみたいに考えなくなるんじゃないかなあと思いました」

 いつの日も子どもたちのほうが大人より真実を見る目を持っている。

 では最後に小出さんの文章を引用します。

―― 飢餓で苦しむ人々に、自分では決して食べない食糧を与えるという考え方に、私は与しない。しかし、日本が放射能で汚染した食糧を拒否するということは、実質的にそれと同じことを行なうことになる。繰り返しになるが、放射能で汚れた食べ物を私は食べたくない。日本の子供たちにも食べさせたくない。しかし、日本という国が少なくとも現在原子力を選択している限り、日本人は自らの目の前に汚染した食糧を上らせて、原子力を選択することの意味を十分に考えてみるべきだと思う。誤解を恐れずに敢えて言うならば、日本の子供であるか否かにかかわらず、子供たちに真実を知らせないまま放射能汚染食糧を与えるよりは、私は真実を噛みしめながらそれを食べたいと思う。

 反原発運動は、今や非常に大切な試練に立たされている。これまで、その運動を担ってきた住民運動や消費者運動の本質は、端的に言ってしまえば、「いわれない被害を拒否する」ということであり、被害者としての運動であった。しかし、そうすることが、他の人びとに「いわれない被害」を強制する、つまり、加害者として存在してしまうことになるとき、真に原発を廃絶させる道がどのようなものなのか、もう一度立ち止まって考えてみるべきだと私は思う。私が国に対して求めることは、規制値を高くすることでも低くすることでもない。そのような規制値にはかかわりなく、正しく汚染の状況を測定し、それを正しく人々に伝えることである。

―― 世界全体では、わずか4分の1の人口がエネルギーの80%をも使っている。これを差別といわずになんと呼べばよいのか私にはわからない。4人の人間がいるとすれば、その内の1人が80%ものエネルギーを使ってしまい、あとの3人で残りの20%を使っているのであるが、一番取り分の少ない1人はわずか1%以下のエネルギー消費しか許されていないのである。私たちはまさにむちゃくちゃな差別社会に生きているのであり、日本あるいは日本人は差別する側にいるのである。それにもかかわらず、生活を向上させるためにはもっとエネルギーが要るから、原発は必要だというのが大多数の日本人の意識である。その上、原発がダメだというなら、別のエネルギー源を示すべきだなどという論理が、良識として通用しているような国がこの日本という国である。

 一言いっておくならば、平和な日本で法に触れることなく生きているからといって、ただそのことで一人ひとりの日本人が「無罪」であるとはいえないし、日本国内で反原発を闘っているとしても、私自身を含めて、それで「無罪」であるとは私には思えない。

―― 私が大切にしたいのは、日本や日本人ではなく、世界中で、困難を乗り越えて原子力に反対しつづけている人たちである。私の仲間は世界中どこにでもいるし、国境を越えて彼等と連帯したい。そして、いついかなる時でも、たとえ国と国とが戦争するというときでも、決して「国」とか「国民」という誤った観念に惑わされないで生きなければならないと痛切に思う。同じ国民だから仲間なのでもなく、同じ民族だから仲間なのでもない。連帯すべき仲間はまさに国境を越えて世界に広がっている。
 
 世界規模の差別のみならず、日本国内においても原発は差別の巣であるが、ここでは省略します。
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by lumokurago | 2011-05-21 16:52 | 原発
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