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井の頭公園のおじさんが亡くなりました 【追記】あり

井の頭公園のおじさんが亡くなりました 【追記】あり_c0006568_10342676.jpg
 おじさんがかわいがっていたシロ子ちゃん(オッドアイです)。

皆様へ

 びよんどネットの湯川です。

 残念なお知らせです。

 井の頭公園の池のほとりにいた「ちょんまげさん」が亡くなりました。

 5月20日(金)夕方、公園のベンチに座ったまま死亡しているのを、通りかかった人が発見したそうです。

 亡くなる数日前にもびよんどネットの何人かが会っているのですが、そのときには持病ののどの調子が悪くて声がでないということだったのですが、それほど身体の調子が悪いようには思わなかったのですが。

 三鷹市と武蔵野市の方に問い合わせてみましたが、その件についての連絡は入っていませんでした。おそらくご本人が何か連絡先を示すものを持っておられて、そのもとに引き取られたものと思われます。

 「ちょんまげさん」は、私たちが支援の活動を始めた時にすでに井の頭公園で生活していたので、公園では今や最古参の野宿者になっていて、井の頭公園の主のような存在でした。井の頭公園に「公園デビュー」した新しい野宿者には、いつも井の頭公園での生活のノウハウを親切に教えてくれていました。井の頭公園で野宿したことのある人や現在、公園で生活している人々の多くは「ちょんまげさん」のお世話になっているはずです。われわれにもいろいろなことを教えてくれました。

 びよんどネットのスタッフ数人で、「ちょんまげさん」が生活していた場所に花束を置いてきました。私たちが行ったときには、すでにいくつかの花束が置かれていましたし、その時、たまたま犬の散歩で通りかかった女の人も、顔見知りらしくその死をとても残念がっていました。かわいがっていた黒猫(面倒見ていた三匹のうちの一匹)が彼の死を知らないのか、その近くにまだいるようでした。

 ご冥福をお祈りします。

*****

 信じられません。このあいだも買い物の帰り行こうかなと思ったけど、猫のエサをもってでなおそうと思い、行きませんでした。そのときはもう亡くなっていたことになります。病気のようにはみえなかったのに、やはり長年の野宿がたたったのでしょうか。すわったまま亡くなっていたということなので、完全な突然死でしょう。苦しむことがなかっただけよかったと思います。

 去年の秋、ホシイモをもっていったときには「これ、おふくろが好きだったんだよ。火であぶって食べるとおいしいんだけどね。ここでは火は使えないからね」とおっしゃっていました。でも、冬にはあたたかいお茶を飲んでいたので、「どうやってお湯をわかしたんですか?」と聞いたら、「秘密、秘密」と。

 いつだったか玉川上水を散歩していたときにばったり会って、富士見ヶ丘の手前までご一緒しました。植物に詳しくて、たくさん説明してくださいました。

 井の頭公園に捨てられた猫をかわいがり、野良猫は5,6年しか生きないからおいしいものを食べさせたいとおっしゃって、かりかりも缶詰も全種類を買ってどれが好きかを試していました。猫によって好みがあったようで、ちゃんとその猫の好きなエサをあげていました。だから私の持っていったのはあまり食べなかったみたいです。春になったらまた子猫がたくさん捨てられると嘆いていました。シロコ、五右衛門、六助、、、どうしているかなあ。

 おじさんは野良猫に自分を重ねていたように思います。このような死も予感していたに違いありません。博学なおじさんでした。もっといろいろ話したかったなあ。

【追記】今日は原発関係ではなく、おじさんにもう会えないなあと思ってまだ泣いています。親しい人が亡くなるってこんなに悲しいんだっけ? いまもすぐにおじさんの顔が思い浮かぶのです。

 両親の死にはまったく泣かなかった私なのですが、それは二人とも長生きしすぎてぼけてしまい人間の尊厳をなくしたからでしょう。もっと早く死ぬことができれば楽だったのにと思わずにはいられません。

 私が死んでも泣いてくれる人がいるんだろうなと思う。けど、がんで早死にすることも長生きして痴呆症になることも、すべて運命だから仕方ない。

【追記2 Dr .Aのコメント】 良い死に方じゃありませんか。羨ましい。自然に抱かれて死ねる、まさに動物本来の理想的な死と言ってよいと思います。本人の希望でもあったのではないでしょうか。



 はじめておじさんに会った日 2007.9.5

 2010.11.18

 2010.11.28

 2010.12.12

 2011.1.3

 

by lumokurago | 2011-06-02 10:43 | 未分類
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