暗川  


写真日記
by lumokurago
S M T W T F S
1 2 3 4
5 6 7 8 9 10 11
12 13 14 15 16 17 18
19 20 21 22 23 24 25
26 27 28 29 30
検索
リンク
ご感想をお寄せ下さいmailto:lumokurago@yahoo.co.jp

嫌がらせコメントは削除させていただきます。

必ずしもリンクするHPの意見、すべてに同調するわけではありません。ご自分で情報を選んでください。

原子力資料情報室

小出裕章非公式まとめ

沖縄タイムス

暗川メインページ
私の下手な絵などを載せています。

杉並裁判の会
私たちの裁判の会です

ポケットに教育基本法の会

「つくる会」教科書裁判支援ネットワーク

もぐのにじいろえにっき
もぐちゃんのページ

プロテア
リリコおばさんの杉並区政ウォッチング

鬼蜘蛛おばさんの疑問箱
松田まゆみさんのページ

熊野古道の路沿い
鈴さんのページ

風に吹かれてちゅちゃわんじゃ
小笠原父島で農業をやっているサエちゃんのブログ

三宅勝久さんのブログ
杉並区在住のジャーナリスト

カテゴリ
以前の記事
ライフログ
その他のジャンル
ファン
記事ランキング
ブログジャンル
画像一覧

Dr.Kと山田真さんとの対談より

 「『がんと闘うな』論争集」(メディカルトリビューンブックス)山田真さんとの対談より引用します。途中からです。

 ■ “超早期癌”でも病院から帰れない ■

 山田 検診問題について、ぼくには苦い経験があるんです。親しい人――その人は医療市民運動をやっていた人でしたが、「肺癌の早期発見には定期的な喀痰検査がよいと思うので、してほしい」と申し出られました。ぼくは定期的な検査をあまり好きじゃないけれど、ご本人の希望なので検査を続けていたら本当に癌細胞が見つかったんです。

 日赤に紹介したら「どうしてこれば見つかったのか」と驚くほどの超早期発見でした。手術すれば確実によくなるだろうから、帰ってきたらお祝に一杯やろうねと言っていたのが、結局帰ってこられなかった。

 近藤 病院で亡くなったの?

 山田 そう。手術のあと、見舞いに行くのが辛いほどに衰弱しちゃって――まさか彼が帰ってこられないとは。

 近藤 それはいつごろのことですか。

 山田 10ねんぐらい前だったかな。

 近藤 アメリカのメイヨークリニックの肺癌検診のデータが出たのはそのころでしたね。あれはレントゲン検診と喀痰検診ですけど、死亡数は減らなかった。

 山田 あんなに元気だった人が、どうしてという感じで、手術を受けなければ2、3ねんぐらいは元気だったかもと情けない思いをしましたね。

 (中略)

 ■ 改革運動が体制側を補完した? ■

 本紙 先ほどの、体制を批判する側が同じ穴のムジナみたいな話(渡辺注:「大衆のために」と地域医療を進めている病院も検査漬けになって体制側とあまり変わらない)に戻りますが、近藤さんの一連の活動は医療を変える上で大きなインパクトになっていると思います。その一方で従来の運動・方法がなぜ力にならなかったんでしょうか。

 山田 広く言えば、近代を問うていないんです。社会学者の側から近代を問う作業はかなり行われているけれど、自然科学者の側が近代を問うていない。また、患者さんへの過剰な働きかけがパターナリズムではないかという認識がない。

 本紙 どういう意味ですか。

 山田 パターナリズムを、よくないことではないかと考えない。患者さんのために一所懸命やってることがかえって迷惑になっているのではないか、過剰な介入になるのではないかという問い返しをしなかったし、いまもしてないし。

 近藤 進歩はよいことだという発想が近代化の中身でした。経済発展は環境・資源問題での行き詰まりが明らかだけど、同じようにあるはずの医療の近代化の限界が問われてこなかったということでしょう。

 山田 例えば、体の中の異常は見つからないより見つかったほうがいいという考えがあります。でも知らないでいたほうがいいことってたくさんあるし、人間が自分の体の中をどんどん知るってことは恐ろしいことでもあるし、いま生きてるのと江戸時代に生きてるのとどっちが幸せか実際は分からないんじゃないといった問い返しが、医者の中にはほとんど――いろんな運動をしてきた部分にも、なかった。

 近藤 そういう運動をしてきた人が、体制と同じ矛盾・限界に突き当たってしまった。

 山田 だから、いままで批判してきた体制側の不十分な部分を補完してしまったような形がある。でも、それは過剰になるだけという危険性がある。

 本紙 医学は特殊なんですかね。

 近藤 いや、特殊ではないでしょう。

 山田 同じでしょうね。

 近藤 さっきの環境問題にしても、人間の体は小さいながら独立した環境なんだから、そこに進歩主義を持ち込むとおかしくなることがある。ただ違いは、自分の体はその人にとって一番の関心事になる、あるいは重大に感じる。環境問題になると、人によっては自分の関心にストレートに結びつかないかもしれない。

 山田 過剰なものって見えにくい。不足した医療はすぐ訴えられるけど、過剰だったんではないかとは気づきにくいし、気づいても証明しにくい。検査も薬も多かったようだ、過剰だとは患者さんの側はなかなか分からない。不足なら、もっと丁寧にやれとか、もっと話を聞けとか具体的に言えるんだけど。いまの医療が過剰ではないかという思いを持っている人はいるんでしょうが。

 近藤 例えば癌治療では、ぼくがそれを言ったら、ああそうかと思う人がいっぱい出てきた。

 山田 そうでしょうね。全体的には、時代の変化があるから、薬もたくさんもらうことがよいことではないんだという状況がでてきた。お年寄りでも、自分の薬調べて、これで調子悪くなっているんじゃないかという人がでてきましたよ。そうした状況で近藤さんがでてきたから。

 本紙 医学が裸の王様というか、かなり不完全で曖昧なものだと聞かされたのがインパクトになっているように感じますが。

 近藤 なんでもまず疑ってかかれというのは患者さんへのメッセージだけど、医者の側にも同じメッセージを発していたつもりなんです。あなた方がやってる治療をもう一度疑ってみようと。

 山田 二人の医者にかかれというのも、患者さんの中で二人の医者の意見、つまりセカンド・オピニオンを聞いてみたいと思っていた人は多かったでしょうね。ほかの医者にも聞いてみたい、本当にこれでいいのかなって。でもなんとなく後ろめたかったから“いや二人の医者に聞くのが正しい、ちゃんと聞きに行け”と医者から言ってもらう必要があった。そんなの患者の権利なんだから、コッソリ聞きに行けばいいんだけど、日本の患者さんというのはそのへんは呪縛があって――自分よりも医者を大事にしたのかもしれない。
[PR]

by lumokurago | 2011-07-07 17:51 | Dr.K関連記事
<< テレビがもったいない 福島の子どもたち 放射線の影響... >>