暗川  


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Dr.kとDr.Aの対談 その4

 ■ なぜ家で死んだらまずいのか ■

 本紙 現代医学の無謬性に疑問を持っていて、そうは言ってもお二人とも医者なわけですね。そこに矛盾はないんですか。

 近藤 医療とか医学の中で患者さんに役立つ知識・技術はたくさんある。癌治療の分野でも、苦しみ・痛みを取る技術は必要だし合理的だと思う。問題はだから、非合理・有害な技術が使われていることにあるので、そうした不必要な技術をなくしていく義務が私たちに課せられているのではないかと思うんです。

 そのときに、必要か不必要か判断しにくいグレー・ゾーンというのがありますね。それに対してはそれぞれの根拠であるとかデータを示し、患者さん本人が決めていけばいい。だから医者の立場から現代医学の矛盾を指摘しているけれど、すべてが不必要だと言っているわけでもないし、自分の中では整合しているんです。

 網野 私がやっていることは、レベルが低いから――いや「レベル」という言葉はよくないですね。つまり地域の臨床現場にいて、現代医学が患者さんにどこまで必要なのかと、本当に考えさせられてしまう・・・現代医学がかなり無秩序に拡大しすぎたというのは否めないと思うんです。MRIとかCTとかが全国に広がり、薬も相当バラまかれている。この混乱は、私たちが19世紀から20世紀にかけて、現代医学によってこそ病が取り除かれ健康が維持されるという信念を持ってしまったところにあるのではないかなあ、と。

 自分の経験でも、進歩的とされる医療集団に呼ばれた席で検診批判をしたら、そのリーダー的な方が質問してきて「これまで医学は進歩を果たしてきて、いまもその途上にあるのだから多少の間違いはいいのでは」というんです。私は「それでは薬害エイズ問題への厚生省やメーカーの対応も認めるんでしょうか」と逆にお尋ねしたことがありました。そこに日本の医療や医学の矛盾が象徴的に表れていると思うんです。ですから、医者であってもこの点は追及していくべきだと思っています。

 近藤 進歩に対する手放しの信頼というか――それが信仰だろうね。

 網野 信仰ですよ。私は『みんな、家で死にたいんだにい』を書いているときに、なぜ我々が進歩への信仰心を抱くのか、進歩主義っていうのがなんなのか、なかなか整理できないでいたんです。そのころフランクフルト学派の哲学者の本を読んでいて――これは弁証法への批判なんですが、否定の中にすでに肯定的な要素が入っているといった指摘があるんです。つまり先ほどの医療集団のリーダーの、否定的なものでも将来的に肯定されてポジティブなものになるから、それでいいじゃないかといったオプティミスティックな姿勢、それが進歩主義なんだと気がついた。

 近藤 ものごとは結局は進歩していくんだという、素朴な期待感なんじゃないかな。だけど、本当にそうなのか。人間という有限な個体に――つまり老化していく個体に、そういう進歩が実現されるのか。

 網野 検診や現代医学を肯定する考え方には、それが実現できるんだという思い込みがありますね。

 近藤 そうですねえ、根本のところでね。

 網野 19世紀の思想、それが基礎になっている。

 近藤 医学だけでなく、到るところに見られるよね。自然を改造したりとか、あるいは経済が発展すればみんな幸福になるといった考え方に通底しているように思う。

 網野 発想を根本的に転換する必要があると思うんです。「がんと闘うな」というのも、従来の考え方に「ノー」というわけで、かっこいい言い方をすれば、それによって認識論的な切断がなされるのではないかと。

 近藤 ひとこと加えますと「闘うな」というのは、「むだな闘いをするな」ということであって、闘うことに異議のある癌も一部にあると著書の中で明言しています。それを「すべてのがんと闘うなと言ってる」と曲解して非難している人がいるんで、いやになりますけど。

 本紙 在宅医療への関心は現代医学・医療への疑問の中から生まれたんですか?

 網野 私は、現代医療の弊害が集中して表れているのが病院だと考えていて、医療の転換を図りたいわけです・・・必要がないにも関わらず、入院して死んでいく。人間は病院に行って死ななければならない。まさに実態は死の医療かなわけです。その無意味な、反人間的なところを正確に把握して、それを削っていく必要がある。そのためには大胆な改革というのが欠かせないと思うんですよ。

 本来、人間は在宅でいいし、地域で暮らしていけないようでないと人生の意味が失われてしまうと思うんです。いまの世の中の、老いを否定するような考え方、あるいは病を持ったお年寄りを社会から隔離するようなシステム、死そのものを隔離するようなあり方に対して「ノー」と言い、それに替わるものを追求していきたい。それは、病院医療を救急医療や外科系医療、あるいはマイナーと言われていた放射線科などへ限定していくことだと考えています。ほかは診療所医療、在宅医療でいいんです。

 都会で在宅医療に携わると、患者さんよりも世話をしている家族が、家で死ぬことに不安感を持っているんですね。ですから私は初めに「なぜ、家で死んだらまずいんですか」って聞くんです。そして「家で死ぬことは、そんなに悪いことではありませんよ」という。そこから在宅医療が始まるんです。

 近藤 網野さんは、最初からそういう考え方を持っていたんですか。泰阜村に行く前からそういう考え方だったのか、あるいは何かターニング・ポイントがあったんでしょうか。

 網野 私はばかみたいな延命主義者でしたから、病院で患者さんが危篤になれば駆けつけて心マッサージをしていました。ですから、村でお年寄りのみなさんと生活を共にする、医療を一緒に築き上げていくという中で教えられたと思うんです。それは先ほど話した進歩主義の否定ということです。

 近藤 なぜ村に行ったんですか。

 網野 ・・・それはあまり言いたくないんです。正体がばれるから(笑)。要するに、病院に勤めていると日常診療に追われて研究もできない、それならトコトン末端に行ってみようと。極端なんです。たまたま長野県に電話してみたら3か所の候補地があって、観光地じゃあかっこが悪いから一番過疎の村を選んだということで。

 近藤 すると、何か理想に燃えて、というのではなくて?

 網野 もちろんロマンはありましたよ。僻地医療に対する。しかし、何か特別にやりたいことがあったということではなかった。

 近藤 実際に僻地医療に携わって、一番驚いたことってなんでしょう?

 網野 やっぱり高齢者が多く、さびしく暮らしている・・・。それと医療以前の問題として、栄養失調があったし、お風呂に入るのは好き好きかもしれないけれど、何年も入っていない人もいた。これを私は「医療以前」と表現したんです。

 つづく
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by lumokurago | 2011-07-11 16:12 | Dr.K関連記事
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