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Dr.kとDr.Aの対談 その5

 ■ 「健やかに」「老いる」は形容矛盾

 近藤 医療行為をする中で、都会との違いといったものがあったりするんですか?

 網野 うーん、田舎では医療への信仰が強いかもしれませんね。

 近藤 医者のいうことに従順になりやすい?

 網野 ある面では医者は権威主義に陥りやすい。逆に言えば、患者さんに依存心が強い。泰阜村にそういう傾向はあったと思います。

 近藤 ぼくの理解が不十分なのかもしれませんが、泰阜村は日本の中で遅れているようでありながら、医療や福祉の面で先頭を走っていたんではないのか。集検を始めたことも。網野さんが集検をやめたことには、背後に高齢化の問題があったと思うんです。在宅医療サービスといった、福祉と医療をミックスさせたような形を網野さんが作り出し、その過程で集検をやめた。村の高齢者福祉の問題は、20年後30年後の都会の姿じゃないかと思う。そう言う意味でも先頭を走っていたというか、モデルになる。

 網野 確かに村には専門家が持っているような固定観念がないから、私の考えが受け入れられやすかったと思います。96年の2月に診療所を辞めて東京で開業して現在やっていることは、村でやっていたことと同じです。例えば、医療より福祉のほうがあなたの場合は必要ではないかとか。そういうやり方、考え方は変わらずに医者としての活動ができている。

 近藤 その場合、患者さんや家族の対応は村と違いがあるものなんでしょうか。

 網野 都会は人口が多いだけ理解ある人も多いと言えるかもしれません。しかし特に違いがあるように思ってませんね。

 近藤 でも、東京ならば近くに病院がいくらでもありますよね。

 網野 村では、距離はあっても時間からすれば1時間ぐらいで、その1時間というのは村ではたいしたことはないわけで――ただ、そういう問題ではなくて、根本的に人間というのは家で生活を続けたいという願望があるんだと思います。田舎でも都会でも。少なくとも私が現在在宅医療に携わっている地域は、変わらないというのが私の実感です。私がやってきたことを仮に「泰阜村モデル」と呼ばせていただければ、それは都会にも当てはまる。

 近藤 むしろ都会のほうがやりやすいという面もあるでしょうね。

 網野 距離的には医療機関に近いわけですから、村よりも在宅医療に向いているのかもしれませんね。

 近藤 ただ、住宅事情は都会のほうがより悪くてそれが在宅医療サービスにとって不利にならないのか。あるいは死を看取る場合の障害にならないのか、その点はどうなんでしょうか。

 網野 実はその点では確かに懸念を持っていました。狭いマンションで看取らせてくれるのか――例えば隣近所から「病院に入れろ」なんて圧力が加わったりしないのかと。ところがですね。広い狭いの問題ではないんだと体験的に分かりました。本人がどうしたいのか、家族がそれに応じられるのか。在宅医療の可能性はここにあります。

 近藤 なるほどねえ、それは大切なポイントですね。在宅医療というとつい、広い家で庭もあってなんてイメージしてしまいますから。

 網野 豪華なシャンデリアの部屋なんか要らないんですよ(笑)。6畳と3畳ほどのアパートでおばあちゃんを看取ったこともあります。要するに、いままでの生活空間の中で死んでいきたいと思っている人が多いということなんです。医療側からすると、収入は減りますけれど、それでいいんです。

 近藤 「減る」っていうのは、病院で看取る場合に比べてですね。

 網野 ええ。先ほど病院医療を否定しましたけれど、こうしたプロセスの中で医療費も節約される。

 近藤 でもどうなんでしょう、病院収入はカサは大きくても器械や設備や薬に取られる分も大きいから、ネットとして医療側に残る分は在宅医療でもそんなに少なくはならないのじゃないでしょうか。

 網野 そうですね。重症になったときの患者さんの側の求め方でかなり変わってくるのが現実です。病院並みの医療でないと満足できないようだと――例えばIVH(中心静脈栄養)だとか、ドーパミンやって延命をとか。そうなってくると、医療側の持ち出しが増えてしまいます。

 近藤 そうした治療は持ち出しになってしまうの?

 網野 なぜかというと――これは私の考え方なんですが、厚生省の定額制に賛成で、それを取り入れているんです。少し細かいことを言いますと、1人の患者さんを週1回くらい在宅で診ていると、医療側の利益はひと月6万円ほどですから、利潤としては決して少なくないと思いますね。ですから、ケースによっては多少の持ち出しはしょうがないんです。

 ・・・さっき言い忘れたんですが、泰阜村で検診を否定し福祉を充実させる過程の中で、理論化が行われ在宅医療が追求されたんだということ――要するに医療を含めた福祉を充実させていくためには現代の保健に対する考え方を否定する必要があったんだということなんですね。

 近藤 つまり検診などなんらかの働きかけをすれば健康が保たれるということへの疑問ですか?

 網野 ええ、私たちは老いに伴ってなんらかの障害を持たざるをえない。それを否定する保険や検診への疑問ですね。「健やかに老いる」なんていうのも形容矛盾だし、その次には「ピンピン、コロリ」が出てくる。そんなの、無理ですよ。

 近藤 それは結局、老化とは何かという問題ですね。老健法が作られたのは、老人が増えてきているからでしょうが、そのとき医療に頼ろうとする、人間改善主義みたいになってくる。

 網野 日本の保健運動には、そうした考え方が根強い。医学部の公衆衛生を専門とする人たちや保健所、保健婦たちに。

 近藤 癌検診が老健法の中核になっているわけだし、一部の悪いところを見つけてそれを是正していけばよくなるだろうといった――。

 網野 そうなると、全員110歳以上まで生きなければならなくなる。

 近藤 福祉の考え方は、障害をあるがままに認めようということで、是正とか健康増進の2文字は入ってこない。ですから、老健法と福祉の考え方は矛盾していて、両者を並立させようとするところに無理があるんですよ。

 網野 そうですね。医療も老いや障害をあるがままに認めるべきでしょうね。その視点から、算術にとらわれずに、日本の現代医療の実践的批判としての在宅医療を作り上げていきたいと思っています。

 (了)
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by lumokurago | 2011-07-13 17:10 | Dr.K関連記事
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