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教育再生へ「信の国」をつくろう

 古い手紙を整理していたら、新聞の切り抜きがいくつかでてきました。10年以上まえのものですが、問題は古くなっていないどころか、同じ状態orもっと悪い状態で継続されたままです。ぜひお読みください。 


教育再生へ「信の国」をつくろう  村上慎一 (愛知県立岡崎高校教諭) 朝日新聞 論壇 2000.10.21

 人生と生活は違う。学校はよき生活より、よき人生とは何かを教えるところである。しかし、この逆ばかりを教えてきたように思う。減らない不登校生徒、学級崩壊、凶悪な少年犯罪・・・教育が対応を迫られている深刻な危機は、このことと無縁ではない。

 自分たちの生き方を絶対視し「今の若い者は・・・」と言う大人も、若者におだてるようなことを言う大人も、若者に伝えるべき何物ももたない点では同じである。このことのデメリットは、大人たちの想像以上に大きかったのではないか。「よく生きる」とはどういうことなのか、国民がこの問いにはっきりと答えられない状況が継続している。

 戦前の「忠孝」を第一とする考え方が、敗戦という事実を超えられなかったのは必然としても、これに代わる新たな伝統を作りあげられないままである。伝えるべき貴き生き方をみつけられず、人びとは迷走した。民主主義が旧来の伝統に代わることを期待し努力した人もいたが、全体としては思ったようにいっていない。「忠孝」に代わる倫理規範を持たぬまま、多くの人はそれぞれの欲望の充足を最優先させてきたように思う。

 言うまでもなく、人びとの欲望を最もよく充足するのはお金である。無意識的に学校は、貴い職業としてお金を多く手にすることができる社会的地位の高い職業を紹介した。学校の教師の言うことに忠実な、成績のよい生徒がこぞってそうした職業を志望することがそれを証拠立てている。誠実になすべきことをなし努力しても好成績を得られない生徒より、人間的欠陥があっても成績のよい生徒の方が評価されてきた。結果だけを重んじる学校のあり方が、社会のありかたと相似形であることは言うまでもない。やがて社会は、努力を嫌がり結果ばかりを欲しがる子、そうじてどうしようもなくストレスをため込む子、職業に貴賤をつけ、嫌われる職業に就かない若者などを抱えることになってしまった。

 直接手を下したのは親や教師であったが、社会全体が欲望充足優先のあり方を教育に浸透させたのだと思う。その退廃は、のっぴきならないところまできている。社会全体が、素晴らしく生きるとはどういうことかについて明確な知見を持たぬ限り、教育にあいた大きな穴を埋めることはできないと思う。

 教育基本法を見直そうという動きがあるという。貴い生き方とはどういうものかが分かるようにして欲しい。個人の尊重、世界平和といった教育基本法の理念は、現代にも有効である。それを実現していく個人のあり方が示されなかったために、教育基本法は徐々に空文化してきたのだろう。理念に力を吹きこむ倫理を考えなければならない。「忠孝」に近づかないことを前提として。

 思いやり、正義、博愛、礼儀、友情、誠実、自由、清廉――人が生きるのに大切な倫理はたくさんある。これらを包括し行動化を促すものとして、「信」を中心とした倫理規範を創造してはどうかと思う。人間が人間としてよく生きるとは、他者との関係をよく生きることである。いかに多くいかに深く他者に信頼されるか、他者を信頼できるかをよく生きているかどうかの尺度としたい。その達成を個人の自信の根拠ともしたい。学校なら勉強で信頼を得る子がいてもよいが、スポーツへの取り組みや趣味の豊かさが信頼の源になる子がいてもよいし、地道な努力や誠実さで信頼できる子がいてもよいことになる。貴い生き方について社会全体が合意した時、教育の再生は緒に就くと考える。

 皆が同じであることに「信」の根拠を置いてきた教育を、違いに「信」を置くように変える必要がある。教育基本法のいう個人の尊重も、自他の違いに「信」を置くものであるべきだろう。異質共存は責任ある自由を招くことにもなる。世界平和にも異質共存の原理を貫いてほしい。良い機会だと思う。教育基本法の見直しを通して、次世代に伝えるべき人間のありかた、社会のありかたを真剣に考えてはどうかと思う。(投稿)
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by lumokurago | 2011-08-22 19:50 | 子ども・教育
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