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”よそ行き”で接する家族

 すれちがう親と子<6> 読売新聞 2000年日付不明

 ”よそ行き”で接する家族  互いに疲れ、外で“発散”増える

 「どうして先生はウチの子の悪口ばかり言うんですか! そんなことしてない、って言ってましたよ」

 小学2年生の直人君(仮名)の行動について、担任教師が電話で相談すると、母親は怒りだしたという。

 中部地方の港町にある公立小学校。サッカー少年の直人君はスポーツ少年団で活躍、学業面も優秀で、クラスの人気者だった。しかし、振る舞いがだんだんとわがままになり、遊んでいても自分に有利なようにルールを変えたり、気に入らないと手も出すようになった。

 授業中も「つまんな~い」と、他の子と一緒に教室を飛び出してしまう。それでもクラスメートから慕われてはいたが、「けとばされた」「小突かれた」などの“被害”が担任の耳にも届いたため、注意を促そうと家に連絡を取った矢先の母親の反応だった。

 直人君への対応は学年会議でも議題になった。別のクラスの担任の由美子教諭(29)(仮名)にも似たような経験があり、「家ではいい子でいる分、学校で発散する子が増えてきた。学校での出来事を保護者に伝えると、家での様子や子どもの言い分を信じて冷静に聞いてもらえないことが多い」とため息をつく。

  □  □  □

 「親子がよそ行きでしか向き合っていない。親は本当のわが子を知らない」と、元幼稚園長で武蔵野短大客員教授の清水エミ子さん(70)(幼児教育)も指摘する。そんな親子が増えているような気がするという。

 「いい子でいることを子どもに求めるには、自分もいい母親を演じ続けなければならない。これではお互いに疲れて、いつか発散せざるをえなくなってしまいます」

 親ばかりか、大人の社会の方も子どもの騒がしさや行儀の悪さなどに対して寛容でなくなって、周囲が子どもたちを追いこんでいる。

 清水さんは先日、塾帰りの小学3年生ぐらいの男の子3人が他人の家の飼い犬に石をぶつけて遊んでいたのを見かけた。「おもしろい遊び、してるわね。今度は3人で石をぶつけっこしてごらん」と声をかけたら、真っ赤な顔をして逃げて行ったという。「塾の成績でも悪くて、うつうつとした気分だったのか」と清水さんは思った。

 このような時は、「子どもには、そうせざるを得ない事情があったのだろう」と相手をいったん認めて受け入れることが大切、とは清水さんのアドバイスだ。

 □  □  □

 投稿誌「わいふ」が5月に開いた「公園育児ってこんなもの」と題した座談会。出席した30~40歳代の母親3人からは「(子どもの遊び相手の)親の方にすごく気を使う」「子どもを無視しても親同士の付き合いを優先させちゃって」「子どもが悪いことをしたからしかるよりも、体裁で怒ったことが多かった」などの本音が飛び出した。

 はれ物に触るようにするのでもなく、ひたすら命令に従わせるのでもなく、家族の一員として、当たり前に子どもに接することが難しくなっている。

*****

 とてもとてもよくわかる。そうなのだ。子どもは家庭で「いい子」にしなければならないから、外で発散しているのだ。昔は家ではわがままにし、外でいい子にしていたものだが、今は子どもの態度が昔と正反対なのである。なんでこうなってしまったのだろう。親の期待が大きすぎるのか? 子どもは親に見捨てられたら食っていけないから「いい子」にせざるをえないのである。なんとけなげなことか。ストレスたまっちゃう。どこかで発散させなければ生きていけないから、学校や学童クラブや児童館でわがままのし放題。困った職員が親に相談を持ちかけると、決まって「うちではいい子です。学校(学童)でそんなことするはずない。うちの子はいい子です。先生の指導が悪いのです」となる。

 昔は子どもに困ったことがあって親に相談すると、よくわかってくれ、一緒に解決策を考えることができた。昔の子どもの「問題」は家庭環境から来るものが多かったので、親が真剣に考えてくれるとたいていはよくなった。

 しかし、今の子どもの「問題」は複雑で、家庭環境から来るというよりも社会全体から来る。「問題」がわかりにくいうえ、親は協力的でない。親は「問題」を見ようとしない。気づかない。言ってもわからないからどうしようもない。子どもは必死で「問題行動」というサインをだしているのに。

 親子が「よそ行き」でしかつきあっていない。だから人間関係が作れない。家庭とは暖かいだけのものではない。人間と人間が一緒に暮らしていれば、きれいごとではすまない。エゴがぶつかりあうこともあるだろう。「家庭はどんな家庭でも矛盾と葛藤のかたまりだ」とある人が言った。その通りだと思う。「矛盾と葛藤」をだすことができないのでは家庭ではないのである。

 子どものうちにそれができないと、成長してからたまりにたまった矛盾と葛藤がいっぺんにでてくる。必ずでてくる。小さなうちにでてくれば解決も簡単だが、でるのが遅くなればなるほど、解決に時間がかかる。

 だから家族で「よそ行き」のつきあいをするのはやめたほうがいい。多少感情的になろうが、子どもと生身の人間としてぶつかりあった方がいい。「いい母親」じゃなくていいし、「いい子」でなくていいのだ。

 そうすれば外でちゃんとした子どもになることができる。家庭でくつろげなくて、発散できなくて、なんの家庭だろう。
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by lumokurago | 2011-08-24 13:31 | 子ども・教育
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