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『わが三里塚 風と炎の記録』戸村一作

 『わが三里塚 風と炎の記録』 戸村一作 (田畑書店1980)

 この本も比較的古い部類にはいる。26歳頃に読んだと思われる。

 私は三里塚には3回行ったことがある。一番はじめはいつだったか忘れたが、教育社という出版社で就職してすぐに組合をつくって解雇され(1970年前半のことだと思う)、定年退職になったいまも裁判闘争をつづけている(つまり40年以上)T学童クラブの父母Mさん夫妻と集会に行った。子どもがまだ小学生だったから、おそらく30年以上まえのことだと思う。Mさんの車で行ったのだが、このような集会に参加したことのない私は検問で車が列になって止まり、警官がトランクまで開けさせるのに驚いた。Mさんの車は子どもと女二人が乗っていたので、何も調べず素通りだったが(ほんとうは怪しいのに! というのは冗談。Mさん夫妻はこんなに優しい人がほかにいるだろうかというほど優しいが、当局には「極左暴力集団」と言われて恐れられていた(笑))。どんな集会だったのか、すべては忘却のかなたで、このことしか思い出せない。

 2回目、3回目は三里塚空港の暫定B滑走路の南伸を止めている7軒の農家に遊びに行ったのだ。これは彼らから有機農法野菜を宅配してもらっている杉並のKさんに連れて行ってもらった(私もKさんに紹介されてから野菜を取っている。とてもとてもおいしく、そのうえ日持ちがするのでびっくり)。
 そのときの記事はこちら。三里塚の原風景が残されています。

 私は三里塚闘争のことを何も知らない。高校時代、大学生の先輩がワンゲルのテントに「三里塚空港粉砕」などと書いてしまい、それをもって山に行っていたくらい。

 戸村一作さんは空港反対同盟委員長でキリスト者だ。そのくらいのことしか知らずにこの本を読んで、驚くの驚かないのって! 機動隊っていうのがこんなにひどいものだということをはじめて知った(東大安田講堂事件をテレビで見たがまだ中学生だったし、機動隊が安田講堂に放水しているところを覚えているだけで、実態は知らなかった)。

 三里塚闘争では学生の側にも機動隊の側にも死者をだしている。

 東山薫は21歳の学業半ばで三里塚に来た。赤十字のゼッケンを胸につけ、救護所を機動隊から守るためにスクラムを組んでいて、5mという至近距離からガス銃で撃たれた。頭にはヘルメットもなかった。完全に殺意による銃殺だ。東山27歳。犯人は同盟の撮影した写真により2人の機動隊員のうちのどちらかに絞られたが、結局うやむやにされた。これが学生であれば、理由もなく逮捕し、不当な理由をつけて起訴するのに。

 新山幸男はトラックでドラム缶を運搬中、ドラム缶をピストルで撃たれ、燃料に引火、新山の服にも燃え移った。機動隊は燃えている新山に大盾を撃ちおろし、手錠をかけ、空港の倉庫に4時間も放置した。新山は全身やけどで死亡。

 九州から移ってきた前田俊彦(どぶろくで有名な思想家)は「これはもう戦争だ」と言ったそうだ。ベトナム戦争と比べ、30年つづければ勝てると言ったらしい(当時すでに13年つづいていた)。

 知っている人は少ないだろうが、1966年に成田空港を政府が閣議決定、1昨年が成田空港開港30周年だったので、B滑走路の南伸を止めている農家は40年以上闘っていることになる。石井恒司さんもお父さんから2代目だ。

 この本を読むと、政府、空港公団、機動隊など権力側のあまりのひどさ、農民は虫けらという扱いに愕然とするし、農民側も次々に脱落して土地を売ってしまうので絶望的になる。石垣新空港が建設されつつある石垣島白保も同じような目にあったのだろう。全国の空港やダムや道路や・・・がこうして権力が人民を踏みつぶし、蹴散らしてできあがった。

 しかし恒さんたちが残っている。

 私ははじめて恒さんに会ったとき、どうやってこの土地を奪われずにすんだのかと聞いたが、笑っていた。もちろん簡単に答えられることではないだろう。飛行機の騒音によって恒さんが突発性難聴になってしまったと最近聞いた。写真を見ているだけならのどかだが(リンク参照)、騒音がものすごい。人の暮らす土地ではないのである。

 もういいよ、引っ越せばいいよ。と思ってしまう私なのだが、彼らは住みつづけ、耕しつづけている。

 最近、羽田空港が拡張され、成田はいらなかったみたいな話になりつつある。まったくなんのために戸村さんや恒さんのお父さん、恒さんたちは闘ったのか。成田空港は壊して、元の大地に戻せばよい。なぜそれができないのだろうか。

 ほんとうはもともといらなかったのである。
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by lumokurago | 2011-11-29 10:58 | 本(book)
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