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柴田翔

 柴田翔を読んだきっかけはなんだったのか、何も覚えていない。が、4冊も取ってあったことを思えば、当時(20代前半)は傾倒していたと思われる。

 『されど われらが日々――』 この本の奥付 1977年 (出版「昭和」39年)
 『鳥の影』 出版「昭和」46年
 『贈る言葉』 出版「昭和」46年
 『立ち尽くす明日』  出版「昭和」50年

 『鳥の影』の加賀乙彦の解説より引用する。

 ――若い頃の希望や夢は、いつかは破れていく。その希望や夢が明るく大きいものであればあるほど挫折の傷は深い。柴田翔を読むとき、そこには、失われた青春とそのことに傷ついた人間たちがよく現われてくる。その傷を癒す手立ては若い頃にも現在にもどこにもない。行く手には袋小路がひかえるのみ、といった状況をこの小説家は執拗に描いている。

 作品のある部分が、作者の核となる気分や興味を鮮明に映し出すことがある。たとえば、『贈る言葉』の主人公の女子学生は、メーデーに参加をしている嬉々とした学友たちを見て次のように言う。

 「それは、どんなにいいことだろうかって思うの。あんなに明るく、自分のしていることは正しいんだ、それは誰にも否定できないことだって、信じていられるとしたら。だけど、いつか、あの人たちだって気づかない訳には行かないのよ。私たちは決してそんなに明るい社会になんか暮らしてはいないってことに。私たちのまわりの社会派、決して、将来へ向って進んでなど行かない。それは、暗く、陰気で、精一杯に生きて行こうとする人の心の願いなど、少しもかえりみようとはしない社会なんだ。そこでは、もっとmずるく、もっと、頑なに、ただひたすら自分に執着するほか、生きていく方法なんかありはしないんだってことに。そして、あの人たちがそれに気づいた時は、もう総て手遅れなんだわ。その時は、自分を捨てて、死んだように生きていくほかはないのよ」

 ここに柴田翔という小説家の重要な傾向が要約されている。――

 もう一つ、私が当時書き写した文章がある。

 「人生への強烈な関心というものは、おそらく、その強烈さに見合うだけの、一つの思い込みにも似た強烈な観念、例えば永久革命、例えば永遠の反抗、更には絶対的愛、絶対の自由、純粋な性といった強烈な観念に、転化することなしには、存在しつづけることができない。それらの観念はみな「絶対」あるいはそれに準ずる形容詞を要求するのであって、つまるところはただ一つ、漸く始められた人生を力の限り生きたいと願う若い人間のあがきなのだ。だが、そうやって形成された排他的な観念は、自己の強烈さに見合うだけの対象を、この世界に発見できない。それゆえ、あまりに強い関心を人生に懐くものは、必然的に、身のまわりの事柄には全く興味が持てず、自分をごまかして二十日ねずみのように空虚な行動の車を踏みつづけるか、あるいは、外見的には完全な無関心、無気力のうちに陥ってしまう他はない」

 若い男女の関係や「結婚」「家族」にひそむほころび、幻想や矛盾、打算もいやというほど書かれている。『されど われらが日々――』の最後に主人公の女性が自分の生き方を求めて旅立っていくところにとても共感した20代の私だった。
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by lumokurago | 2011-12-04 16:25 | 本(book)
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