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君が代の思い出

 
 昨日、うちでクリスマスにかこつけたパーティがありました。そこにジョニーHさんがみえ、この歌を歌ってくれたので、思い出話をします。

 私が1976年にはじめて就職した高井戸学童クラブでは、学校行事などをみにいくことを思いつかないほど、子どもとも父母とも信頼しあっていたので、入学式、卒業式、運動会、学芸会などには1度も行ったことがありません。日の丸君が代がどうなっていたかも不明ですが、まあ、なかったでしょうね。

 次の職場、宮前学童クラブに異動したのは、7年後の1983年。ここ高井戸第二小学校は「アカ二」と言われるほど組合が強かったので、プールの検定もなく、水着も赤でも黄色でも自由でした。高二には障害児学級がありましたが、普通学級との交流もさかんでした。このときは校長先生に招待されて、何度か卒業式に行きました。もちろん日の丸君が代はなく、子どもとのつきあいが深い学童クラブ職員が来賓の先頭で、形式的に招待している教育委員会、町内会会長や区議会議員は後の方でした。とても心のこもった卒業式を行っていました。

 次に異動したのは4年後の1987年、宮前北学童クラブで、荻窪小学校でした。この学校は「アカ」ではありませんでした。プールに検定があり、水着も紺色のスクール水着に統一されていました。まず、君が代ではないのですが、就学時健診の当日、障害児を障害児学級や養護学校に振り分けるため=障害児発見のために行われている「就学時健診」の目的を説明し、受けるのを止めましょうという趣旨のビラを、私は休暇を取って、校門の外で父母たちにまいていました。

 ビラを全部まきおわり、職場に戻ったところ、館長が「話がある」と言います。学校から「お宅の職員が校門でビラをまいている。迷惑だからやめさせてくれ」という電話がかかってきたというのです。驚きました。本人に言えばいいものを、本人には一言も言わずに、わざわざ館長に電話するとは! 

 館長はこのとき、「渡辺さんの『迷惑』は真摯だから『迷惑』じゃない」という手紙をくれました。

 2年後の1989年、卒業式に私が出席することになったのですが、来賓席に座ると事が大きくなると思い、父母席の一番後ろに座りました。この小学校ではすでに卒業式に日の丸君が代を導入しており、私はそのことを知っていたのです。私は君が代で起立しませんでした。まわりの父母はみんな立っていたので、見えないと思ったのですが・・・。

 学校から怒鳴りこんできたと思いますか? いいえ、まったく逆に校長が神妙にわざわざ菓子折りまで持って、児童館に来て、館長(まえの人とは違う人)に、「お宅の職員が君が代で起立しなかったが、学校では問題にしないから」と言いに来たのです。どういう意味? 完全に不明です。

 そのときの館長は気の小さい事務方の男性(専門職ではなく、区からまわされてくる)で、なにか気がかりなことが起こりそうになると、「鶴亀鶴亀(面倒なことが何事も起こりませんように)」とまじないを唱える癖がありました。それは毎日のことでした。子どもも覚えてしまって、その年の文集の館長の文章の下に、鶴と亀の絵を描いていました。

 このときも、校長が帰ったら館長は「鶴亀鶴亀」と唱え、「渡辺さんの『迷惑』は真摯」だとは言いませんでした。ちなみに、この館長は女性職員をアメリカ女性に例えればだれかといって、職員の受けを狙おうとしていたのですが、私の同僚は「ベティ」、私は「ヒラリー」でした。私がこわかったのかもしれませんね。

 さて、ここからが大事なところです。

 そのまた次に、私は「アカ二」だった小学校の学童クラブに戻りました。1994年のことです。この頃、日の丸君が代の押し付けが始まっていたのでしょうか。先生たちは工夫に工夫を重ねていました。年ごとにおいつめられつつ、それでもできるだけ子どもには聞かせたくないという思いだったようです。最初の変化は前の年までまったくなかった日の丸が校庭の国旗掲揚塔になるべく目立たないように挙げられ、子どもが入場するまえに音楽のみの君が代が流れました。が、「起立」の声はなかったと思います。次の年は、校門に日の丸、歌の君が代を流し、そのまた次の年は、式場正面に広げて貼るのではなく、隅っこのポールに下げ・・・やがては君が代も歌わせるという具合です。

 私が出席したときは、子どもの入場前に曲を流すというやり方でしたが、「起立」という号令がかかりました。私はとっさに、「起立しなくてもいいんですよ。するかしないかは自由です」と大声で言いました。そうしたら「自由でいいんですか」というようにざわめいて、起立しない父母がちらほらありました。このときは、校長が館長に菓子折りを持ってくることもありませんでした。校長はともかく、先生たちは支持してくれたのでしょう。でもそれ以来、卒業式には出席していません。

 1999年に国旗国歌法が制定され、当時の小渕首相は「義務付けはしない」と答弁したが、2003年に10.23通達(都教委による事実上の教員への日の丸君が代強制の通達)がでて、起立しない教員は処分されるようになりました。本土の捨て石にされた沖縄や自由を誇った都立高校での日の丸の掲揚率、君が代の斉唱率もほぼ100%に。

 いま、調子に乗った大阪市長は教育基本条例設置を叫び、石原都知事も「教育を破壊する」と言っています。

 先生たちの1人、2人ではなく、8割、9割が拒否すれば(ほんとうはその考えの人がほとんどなのですからね)止めることができたと思うのですが・・・。だってそんなに大ぜいをクビにしたら、学校は次の日から困るのですから。それにそんなに大ぜいが裁判を起こせば裁判所ばパンクしたかも!

 しかし、ここでも人間は弱いのでしょう。「教え子を再び戦場に送るな」と言ったのはだれでしたっけ? 同じ苦しみを繰り返すことがわかっているのに、よくも平気でいられるなあ。

 やっぱり、人間、性悪説か・・・。性弱説か・・・。
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by lumokurago | 2011-12-26 19:50 | 社会(society)
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